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ラノベ残酷物語  作者: 秋山完
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40●ファンタジーの原点回帰:凄まじき「欲望の解放」……漫画『バンパイヤ』と劇場アニメ『千夜一夜物語』。

40●ファンタジーの原点回帰:凄まじき「欲望の解放」……漫画『バンパイヤ』と劇場アニメ『千夜一夜物語』。




 さて、この国のラノベ作品の、発想の「原点」はどこにあるのか、それを考えるにあたって、うっかり見落としそうで見落としてはならない大ヒット作がありました。


 手塚治虫先生が総指揮をされた劇場アニメ『千夜一夜物語』(1969)です。


 当時、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『マグマ大使』等のTVアニメorドラマで大ヒットを飛ばし、飛ぶ鳥を落とす勢いの虫プロダクションが、「大人(青年)向けのアニメ映画」に挑んだ意欲作。

 『千夜一夜物語』の主人公は、エネルギッシュで欲望丸出し、野性的な若者アルディン。しかし職業は素寒貧すかんぴんの水売りで、バグダッドのバザールで売られていた奴隷の美少女に一目ぼれ、彼女もなぜか一目ぼれしてくれて、ほぼ合意の上で彼女を「無料で誘拐」、すなわち盗み出したことで、波乱万丈にして支離滅裂な大冒険が始まります。

 話中のエピソードは、オリジナルの『千夜一夜物語』でおなじみの「アリババと四十人の盗賊」「アラジンと魔法のランプ」「船乗りシンドバッドの話」などを大胆に翻案して一本にまとめたようですが、なんといっても「大人(青年)向け」作品のため、21世紀の現在の感覚からすると、ほぼセクハラにして破廉恥なセックス描写が赤裸々というか、アッケラカンなまでに続々と視覚化されています。

 そうはいってもアニメですので、どぎつい成人映画的な描写にはせず、危ないセックスシーンはアートな絵画的イメージに抽象化され、18禁の指定は免れたようです。

 1960年代後半、サブカルはビートルズが席巻し、風俗はヒッピーが全盛で、アートはサイケデリック、中ピ連に代表されるウーマンリブ運動が週刊誌をにぎわせて、メディアではフリーセックスが叫ばれる、そんな自由と熱狂の時代だからこそ、出現を許された作品なのではないでしょうか。

 さまざまな保守的道徳観でがんじがらめにされ、ことあらばネットで全国に拡散されて魔女狩り並みに吊るし上げを食らう21世紀においては、もはや映画館の上演どころか制作自体が不可能な「絶滅危惧作品」と言うべきかもしれませんね。


 さてそんな「問題作」でもある『千夜一夜物語』ですが、それもそのはず、最初から「大人(青年)向け」に設計された長編アニメ映画でしたから。

 そもそも誰もが「アニメなんて子供向け」と思っている時代に、常識とは真逆の「大人向けアニメ」を打ち出したこと自体が世界初の偉業だったかもしれません。

 しかも成功したのです。ウィキペディアでは「興行成績は、配給収入で2億9000万円と大ヒットとなり、1969年の5位にランクする結果となった。」とされています。

 凄いことです。DVDのコメンタリーによると、最初のうちは、観客が若者のカップル中心だったけれど、そのうち小学生あたりの子供さんも増えてきて……と、困惑気味に語っておられます。そりゃ、ヤバいシーンがてんこもりなんだから。

 しかしなんといっても「手塚治虫ブランド」です。集客力は抜群でした。


       *


 ここで脇道に逸れます。

 手塚治虫先生の漫画作品で個人的に最高傑作だと思うのは『バンパイヤ』(漫画は1966-69 TVドラマは1968-69)です。

 バンパイヤといっても吸血鬼に限定せず、広い意味で、なにかのきっかけで人外じんがいの生物に変身してしまう特異体質の人間集団を指しています。

 変身する科学的要因はTVドラマ第一話の冒頭で説明されていて、これがなかなかSFなのだ。

 女性の胎内で受精卵が分裂して人間の赤ちゃんに成長する過程で、太古の昔から無数の生物を経て人類に進化していく、そのプロセスがひととおり再現されますね。私たちの細胞には、魚類だったころや爬虫類だったころ、そしてさまざまな哺乳類だったころの遺伝情報が蓄積され記憶されている。その記憶を呼び覚まして、異種生物に変異する能力を覚醒させた人々が存在する……という仮説です。典型例が「狼男」で、主人公の少年トッペイもオオカミに変身するタイプとして描かれます。

 バンパイヤと称される人々は、普通の人間たちから迫害されてきた歴史があって、ひっそりと山奥に潜んでいたのですが、人間の悪役主人公である青年ロックがバンパイヤの特殊能力に目をつけて、人類の征服をたくらむ……という筋立てでした。


 で、ワタシ的に注目しているのは『バンパイヤ』(漫画は1966-69 TVドラマは1968-69)の発表時期。

 手塚治虫先生の実質デビューを『マアチャンの日記帳』『新寶島』の1946年として、先生が亡くなられた1989年までの43年間を漫画家としての活動期間ととらえると、1966から69年の『バンパイヤ』はちょうどその中間地点にあたります。

 このとき、手塚先生はご自身の作品に革命的なほど大きなシフトチェンジを試みておられました。

 「子供向け」から「大人向け」へ。

 『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』……など、それまでの作品群は、主な読者に小学生あたりを設定し、それゆえに物語は勧善懲悪、正義こそが尊いとされる価値観で、人道にかなうヒューマニズムが謳いあげられていました。

 辛辣に言えばキレイゴト、PTA関連団体に推薦されるにふさわしい作品として設計されていたともいえるでしょう。

 しかし、いつまでもそのままでは、いずれ創作が行き詰まるときがやってきます。

 子供だった読者は成長し、大人になります。そのとき『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』などの「子供向け」作品は愛読されることなく、捨て去られてしまいます、どうすべきか。

 だからこれからは、大人になった漫画ファンの要望に応える「大人向け」の作品が必要だ、そう、手塚先生が考えられたとしても不思議ではありません。

 「子供向け」から「大人向け」の作品への大胆なシフトチェンジが実行される、その最初期の先鋒を担った実験的作品が『バンパイヤ』であったと思います。


 秋田文庫の『バンパイヤ②』(1995)の巻末解説で、大林宣彦氏がこのように手塚先生の言葉を引用しておられます。……「バンパイヤは私の恐怖三部作の第一作にあたります」と手塚治虫は言う。そして、「この第一作をこれまでの手塚マンガのカラーからぬけ出す糸(いとぐち?)にしたいと思います」。これまでの手塚マンガのカラーといえば勿論、“愛と感動のヒューマニズム”である。……


 これまでの創作の方向性をガラリとシフトチェンジする、その決意とエネルギーが『バンパイヤ』に凝縮されたと考えてよいでしょう。

 しかも「完全な大人向き作品」ではなく、これまでの「子供向け」スタイルを残しつつ、作品の中で異種生物に変身するバンパイヤ一族の如く、悪が闊歩する「大人向け」の作風に随時“変身”する作品だったのです。

 数ある手塚作品の中でも極めてユニークな傑作に仕上げられたのだと思います。


 少年の主人公トッペイの価値観は「子供向け」作品の正義感に貫かれます。

 しかし悪役ヴィランのロックが見せる行動原理はまさに「大人向け」、私利私欲のために手段を選ばぬ我利我利亡者、殺人など朝飯前でへっちゃらです。

 作品ではむしろこのロックの悪漢ぶりが鮮やかに描かれ、ラストに至っても、ロックが本当に滅びたのか、いやまた復活する余地を残しているのか判然とせず、曖昧なままに物語が閉じられます。

 要するに、「子供向け」と「大人向け」が象徴的に混在し両立する作品であり、手塚漫画のテイストが大人(青年)向けへと決定的に遷移していく、その“分水嶺”を示しているのが『バンパイヤ』というタイトルの金字塔的作品であると思うわけです。


 手塚作品はその後しばらく「大人向け」の作品とはいかなるものか、時には迷い、模索しているように見受けられましたが、1973年の『ブラック・ジャック』連載開始とその大ヒットで、「大人向け」の方向性が確定していったように思われます。


 『バンパイヤ』の漫画は1966~69年、TVドラマは1968~69年です。

 そして『千夜一夜物語』は1969年の公開、両作は全く同時期です。

 『バンパイヤ』と『千夜一夜物語』は、手塚作品の「オトナ化」をくっきりと指し示す、鮮烈なメルクマールとも考えられるでしょう。


 両作品に共通する要素は……

 「人間の欲望の解放」です。

 バンパイヤ一族は、ある種のきっかけで異種生物のケダモノに変身します。

 そのとき、理性的な人間の衣を脱ぎ捨てて、人類の社会規範や道徳観の束縛を断ち切って、欲望のまま自由に生きるケダモノに変貌するわけです。

 つまり、ジキルとハイドですね。

 人外の生き物に変身することで、欲望を解放する、そして自由になる。

 これが『バンパイヤ』の作品的な魅力につながっています。

 そして、悪の主人公ロック。

 彼は人間でありながら、最初から「欲望を解放した」存在です。

 善悪の規範をかなぐり捨てて、手段を選ばす、当然のように悪をなします。

 これがまた、カッコイイ。善の要素は皆無なのに、カッコ良く見えてしまいます。

 悪漢のくせに、最高にクール。

 キャラ的に、史上最強のヴィランじゃないかと思いますよ。

 ディズニーアニメの歴代ヴィランと比較しても、“バンパイヤのロック”にはちょっと、かないますまい。


 そして『千夜一夜物語』の主人公アルディンは……

 これまた、「欲望を解放した」存在、自己の欲望、とりわけ下半身の欲望に実に正直なこと。

 王様にまで成り上がってやると意欲満々の精力絶倫、女性を抱くも別れるもその場次第の自分勝手、その無責任さ。

 ただ、彼女の愛を利用したり悪用したりはしません。セックスの一期一会が真剣勝負のようです。この点は、宿敵となる悪役、腹黒いバドリーとの決定的な違いです。


 それゆえアルディンは、「おおむね悪人のくせに、紙一重で、憎めない奴」に位置づけられているようです。ちょっとカッコ悪くもありますが。

 ここのところ、「純粋悪」をスマートに貫く、バンパイヤのロックとの相違点でもありますね。


 アルディンはロックと違い、「お間抜けな無責任さ」も兼ね備えています。

 その壮大な物語のクライマックスを彩るのが、天に届けと建設された巨塔がクラッシュする場面。

 とはいえ、天罰や神罰ではなく、ただの自重崩壊であって、王となったアルディンの命令を真に受けてせっせと塔を建てた国民がバカだったのだよ……な結末です。

 したたかに生き延びて飄々《ひょうひょう》と去るアルディン。その後ろ姿は……


 ルパン三世に似ている……


 物語中のアルディンのノリは、アニメのルパン三世にかなりクリソツ。

 とくに「アリババと四十人の盗賊」を翻案したストーリーの部分では、ルパン的な泥棒を演じてくれます。

 『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』が放映されるのは1971~72年ですから、1969年の『千夜一夜物語』が、どこかで関連しているのかもしれませんね。

 ルパン三世自身、「欲望を解放」した存在ですし。

 また「船乗りシンドバッドの話」の翻案部分などは、なんとなく『ワンピース』。

 そういえばルフィたち麦わらの海賊団の物語も、敵味方それぞれの「欲望を解放」したお話ですね。毎回続々と登場する敵役なんざ、もうガンガンに欲望丸出しな方々ばかりです。


       *


 「欲望の解放」。

 そのままダイレクトに作品に取り入れられるか、難しさはあるでしょうが、『バンパイヤ』と『千夜一夜物語』を観てから21世紀の今どきのラノベを読むと……

 なんだか気の抜けたサイダー、言葉は悪いけど、去勢された猫みたいな印象で終始する感じがしないでもありません。あ、あくまで個人の感想ですよ。


 だから、やってみてもいいのでは? 登場人物たちの「欲望の解放」ってやつを。




   【次章へ続きます】




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