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ラノベ残酷物語  作者: 秋山完
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27●ファンタジーの真髄を感じる劇場アニメなど。海外篇。

27●ファンタジーの真髄を感じる劇場アニメなど。海外篇。



◆以下は海外作品です。


●『ファンタジア』(1940)

 ディズニーアニメの最高傑作でしょう。これを観ると21世紀の3DCGアニメがなんとも安っぽく見えてしまうほど。

 しかも1940年という公開年からして、その先進性には絶句するしかありません。

 翌年には真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発、南方に進出した日本軍が上海やマニラあたりで、『ファンタジア』と『風と共に去りぬ』(1939)のフィルムを押収して関係者内で上映、唖然と驚愕したとか。だよねー、総天然色だし。当時国産の『桃太郎 海の神兵』(1945)はよく頑張ったけれどモノクロだし音声の状態もよくない、アニメの表現技術ではいい勝負しているけれど、基礎的な制作環境がまるで追いついていなかったみたいです。やはり国力の差。


 そんな『ファンタジア』の功績のひとつは、あのミッキーの名場面、“魔法使いの弟子”ですね。

 あの場面によって、「魔法をおどろおどろしい術ではなく、可愛い現象として描写した」こと、そして「子供にも楽しめる魔法を演じて見せた」ということです。

 それまでの魔法使いは、ほぼ、爺さん婆さんの魔法使いによる、呪術的なおっかない超常現象でしたから。当時の子供たちの抱くイメージでは「魔法=毒リンゴ」ではなかったかなあ。魔法は子供を怖がらせる道具だったんですよ。

 そんな常識を塗り替えて、以降のディズニーアニメでは「魔法を遊び、魔法を楽しむ」ことができるようになりました。その結果、20世紀末に『ハリー・ポッター』がメガヒットする素地をつくりだしたと思うのです。



●『ビアンカの大冒険』(1977)

 ウィキペディアには「ウォルト・ディズニー・プロダクション創立50周年記念として制作された本作はマージェリー・シャープの小説『The Rescuers』(邦題『小さい勇士のものがたり』)と『Miss Bianca』(同『ミス・ビアンカのぼうけん』)が原作。二作の合成である為、内容は大幅に変えられている。」とあります。

 このころのディズニー・プロはなぜかふところがとても深かったのか、なんとネズミの男女ペアという主人公で新作を創ってしまいました。MキーとMニーは怒ったんじゃないか? 私個人としては、耳のまん丸いあっちの二匹よりも、こちらの「バーナードとビアンカ」の方が好きですね。

 「無実なのに捕らえられて自由を奪われた者を解放する」という崇高な使命を帯びて正義の冒険に赴く……という国際的ボランティアの精神は、21世紀の今こそ再評価されるべきでしょう。現実世界で独裁者に捕まって、いわれなく幽閉されている人々がいるのですから。

 失礼ながら、耳のまん丸いあっちの二匹さんは、国際貢献からはちょっと外れているようで……。

 本作のバーナード君とビアンカ嬢のミッション、「不当な幽閉者の自由への解放」は、むしろ21世紀のラノベにこそ登場してほしいテーマだと思うのですが。


 『王様の剣』(1963)以来、連綿と続いてきた“ざらつく線で表現された、いかにも汗水たらした手描きそのもの”な画風は『ビアンカの大冒険』をもって終わり、以後のディズニーアニメはCGを多用したアメコミ風に変貌していきます。

 その意味でも、20世紀の古き良きクラシックな画風を楽しめる貴重な一作。

 主題歌など音楽も完成度が高く、夢のある歌詞で、個人的にはディズニーアニメで一番だと思いますよ。あの「レリゴー!」よりもずっと好きです。

 また挿入歌で「アメリカ陸軍航空隊の歌」(『Wild Blue Yonder(空の彼方へ)』)が使われているところも、たまりません。重要な脇役、アホウドリ航空の“パイロット兼航空機”のオービル氏は引退した老兵なのです。墜落と上昇がセットになったテイクオフのセンスはピカイチ!


 そしてラストシーンで、本作ならではの歴史的な場面が現れます。マスコミのインタビュアーが、ビアンカたちに救われた少女に「動物たちと話ができるの?」と尋ねるのです。

 それまでのディズニーアニメでは、人間の子供と動物たちは難なく会話できるのが常識で、誰も疑いを差しはさまない大前提だったのですが、ここで初めて、現実の世界から、まっとうな疑問が発せられたのですね。つまり「あえて常識を疑った」場面なのです。

 それに対する少女の回答が実に明瞭。つまり「だから、これがファンタジーなのですよ」と、作品の作り手が高らかに宣言しているわけです。これもファンタジーの本質を衝いた、意外と大切な要素ではないかと……。


●『アナスタシア』(1997)

 前述の『ビアンカの大冒険』の作画監督などを手掛けたドン・ブルース監督が「ドル箱作品ばかり創る重役達の方針に反発し」(ウィキペディアより)、ディズニーを退社、20世紀フォックスのもとで制作した作品。ディズニーアニメのクラシカルな作風を継承した最後の記念碑的大作。

 ロシア革命で滅亡したロマノフ王朝の最後の正当な継承者、アナスタシア姫が生存していたら……という設定のファンタジーで、著名な怪僧ラスプーチンが悪魔として登場、アナスタシアを付け狙う。

 すばらしいのは、冒険の結末の見事さ。アナスタシア嬢は姫君としてお仕着せの皇位に甘んじることなく、常に自分の意志で行動し、最後に自分の価値観で自分の運命を選びます。この「自分で選ぶ」という簡単なことがどれほど大切なのか、この作品は、さらりとスムーズにフィナーレを演出しながらも、その「選択の重み」を伝えてくれるんですね。

 つまりその選択は「あれもこれも得る」のでなく、「何を捨てるか」ということ。

 皇位という富と名誉と権力を手に入れるか、それともすべてを捨てるか。

 それを彼女は「打算無し」で、率直に決断します。拍手!

 「幸せ」って、そういうものかもしれませんね。


 後年のディズニー作品『アナと雪の女王』(2013)は大ヒットしましたが、アナもエルザも結局のところ魔法に助けられて、あれもこれもそれも、ぜーんぶ! 手に入れてしまうわけで、結局なにひとつ失わず、捨てることもなく、横から見ているとずいぶん「欲の深いハッピーエンド」だったなあ、という印象がぬぐえません。

 酷評ですみませんが、『アナスタシア』に比べると『アナ雪』は凡作の域にとどまると感じます。なんだかんだ言っても自分のワガママで国を捨ててレリゴーしちゃったエルザが、見捨てた国民のことを考えもせず、ろくに悩まずに、しれっと女王に出戻りする無責任さ(あのフローズンな極寒騒動で、普通、多数の臣民が凍死したはずですよ? だって誰も冬支度していないのだから)が、気になります。観終えて、「いったい、何だったんだ?」と呆気にとられる珍作品でもありました。

 同じアナでも、アナスタシアの方がはるかに素晴らしいヒロインであると思いますが……。

 一介の孤児であったアナスタシアは闘いののちに晴れてロマノフの皇位継承者となりますが、そこで彼女は全てをゼロベースに戻し、ひとりの人間として、自分の価値観で「責任ある選択」をするのですから。

 それに彼女は、魔法力ゼロで悪魔と戦うのです。

 ただの普通人ふつうじんであるアナスタシアが、魔法に苦戦しつつも、魔法に打ち勝つ。

 それって、すばらしいファンタジーだと思うのです。



●ジャック・タチ監督の実写作品とその関連アニメ作品

 フランスの喜劇監督として最高峰のジャック・タチ氏(1907生-1982没)の実写映画。いずれもパントマイムの魅力をギッシリと詰め込んだ、バラエティ豊かな神業かみわざのコメディです。

 それも、活躍年代が重なるチャールズ・チャップリン(1889生-1977没)の映画にみられる「お馬鹿な笑い」でなく、静謐なほどに洗練を極めたユーモアとウィット。これほど上品なお笑いがあるものかと、驚きと快感を満喫できる不思議さ。

 とくに『プレイタイム』(1967)は、高層ビルを含む街並みをセットで緻密に組み上げた、十年がかりの超大作でありながら、そこには劇的なドラマはみられず、ただ淡々と大衆の営みがあるばかり……なのですが、それが全く退屈することなく、二度三度と繰り返し楽しんで観られる傑作に仕上がっているのです。

 いや絶対に退屈するはずなのに、不思議と退屈しない。ついつい魅入ってしまい、二時間が過ぎてしまう、それも、ホラーでもグロでもない、つまり「過剰な刺激」に訴えるギャグではなく、ヒューマンな微笑みに満ちたコメディといいますか、もうすっかり、観客がタチ監督の魔法にかけられてしまうのです。

 作品そのものが一種の魔法である、とでも言うしかない、ファンタジックな逸品。ホント、癖になる一作ですよ!

 同じくタチ監督の『パラード』(1974)はサーカスが舞台で、六十代後半のタチ氏自身も出演、ヨーロッパ最高級のパントマイムを存分に披露されています。アメリカのチャップリンとヨーロッパのタチ、脳内で比較すると、タチ氏の偉大さが浮かび上がります。


 そして劇場アニメの『イリュージョニスト』(2011 英仏合作)

 これはタチ監督が遺した幻の脚本を、「ベルヴィル・ランデブー」のシルバン・ショメ監督がアニメ映画化したもの。

 時は1950年代。落ちぶれた初老の手品師タチシェフは、いわゆる“ドサ回りの営業”でスコットランドの離島を訪れる。そこで出逢った貧しい少女アリスはタチシェフを本物の魔法使いだと信じこんでついてくるが……。

 80分という短い作品ですが、手描きを重視した画面作りが古風で、忘れ去った記憶の彼方の風景を甦らせてくれる、これまた魔法のように美しい作品。

 人生の晩年……って、こんなふうに過ごすのも、一つの幸せなのかもしれませんね。とても切ないけれど、心をおだやかに凪いだ気持ちにさせてくれる、タチ監督が遺した、まさに最後のイリュージョンなのでは。

 タチ監督の本名はジャック・タチシェフ(Jacques Tatischeff)、主人公の手品師は作品公開の30年近く昔に亡くなられた本人へのオマージュでありレクイエムでもあるのでしょう。ヒョロッとした長身で、フラリと現れる様子が、『できるかな』の高見のっぽさん(1934生-2022没)とそっくりで、天国で共演されてはいないかな……と思ったりもします。



   【次章へ続きます】




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