26●ファンタジーの真髄を感じる劇場アニメ。国内篇。
26●ファンタジーの真髄を感じる劇場アニメ。国内篇。
ファンタジーって、何だろう?
そんな、根本的命題を考えるにつけ、思い出される作品があります。
順不同ですが、おもに劇場アニメから書き出してみますと……
*
文中、敬称を略させていただきました。
●『おおかみこどもの雨と雪』(2012)
「吸血鬼もの」に比べて「人狼もの」の作品は圧倒的に少なく、手塚治虫先生のTVアニメ「バンパイヤ」(1968-69)以来ではないでしょうか。しかも、男性的・父性的な視点の「バンパイヤ」に対して、女性的・母性的な視点で同じテーマをとらえた『おおかみこどもの雨と雪』の発想はコペルニクス的転回そのものでした。母と息子の別れのシーン、涙腺決壊です。
細田守監督の最高傑作じゃないかな?
●『アリーテ姫』(2001)
魔法を論理的に解析してゆくと、その本質はやがて科学と同じ様相を示して……。
お仕着せの生き方にはまることなく、自分の知恵と力で世界の謎を解明しようとするアリーテ姫の姿は、ありきたりなファンタジーに対するアンチテーゼそのもの。
何事も「魔法だから」で納得してしまうラノベの異世界が、アリーテの一挙手一投足で崩壊します。目からウロコというか、「ファンタジーなんだから魔法があって当然」というラノベ的先入観の洗脳が解けた気分。
ラストシーンで独立独歩、黙々と歩みゆくアリーテの静かな力強さは、ズシリと胸を打ちます。明らかに「生き方を問う作品」、この重たさが、メンドクサイことは考えずに済ませる21世紀の軽薄な世相には、かえって新鮮に映ります。
片渕須直監督の最高傑作では?
また、「魔法だけど実は科学かも?」といった世界観は、TVアニメ『スクラップドプリンセス』(2003)にも見ることができます。物語の最初から「魔法的な科学」とされているのではなく、あくまで魔法として認識されながら、舞台となる異世界の正体が明らかになるにつれて、「魔法に見えるけど、じつは科学かも?」に変化してくるのですね。絶妙な演出、こちらも間違いなく必見の傑作です。
なお「魔法だけど実は科学的テクノロジー」というトリックは、実写映画『オズの魔法使』(1939)のラスト近くで、オズ氏が正体を現す場面で露見しますね。伝統的な演出ともいえるわけです。
●『メトロポリス』(2001)
原作は手塚治虫、監督はりんたろう、脚本は大友克洋……と、大御所の各氏が揃った伝説的大作。しかしウィキペディアには「製作期間は5年、総制作費は10億円、総作画枚数は15万枚、興行収入は7.5億円」と、興行的には成功しませんでした。
専門家や識者、特に海外からの評価はダントツなのに、大衆の興味から微妙に外れてしまった不運な作品と言えるでしょうが、だからこそ忘れてはならない名作。
「人間vsロボット」の対立イメージに対して、「人間でなくロボットでもなく、それは超人だ!」と第三の新概念を提示して、思索的な止揚を試みたのは、やはり本作ならではの偉業ではないでしょうか。
「超人」という名称が適切かどうかは疑義があるかもしれません。しかしそれは別として、私たちが「AかBか」の二者択一にとらわれていたところに、「いや、どちらでもなくCである」と明瞭な新境地を開いたのは、哲学的な大転換ではなかったかと……
それだけに、「私は人間、それともロボット?」と苦悩し呻吟するヒロイン、少女ティマの、あまりにも人間的な苦しみには涙がにじみます。
作中の一場面で、ティマの背中に輝く翼が垣間見えます。そうか、彼女は本当は「超人」というよりも「天使」だったんだ……。
それはまた、本家本元の古典映画「メトロポリス」(1927)に対する、世紀を超えた回答になっているのでは?
そんな余韻を残してくれる、すばらしい作品です。
公開は2001年5月、物語のクライマックスでメトロポリスを象徴する摩天楼・ジグラットが崩壊します、その壮大さ。しかし、それからおよそ百日後に、NYのあのツインタワーが崩れ去りました。恐ろしい皮肉ですが、今となれば時代の運命を背負った道標的作品になったといえましょう。
●『千年女優』(2002)
今敏監督が遺された作品は例外なく傑作揃いですが、平沢進の音楽との見事な融合、虚構と現実がないまぜとなって疾走する世界観の美しさはまさに逸品ですね。
今敏監督の最高傑作はTVアニメの『妄想代理人』(2004)でしょうか。それにしても、「虚構と現実の錯綜と融合」はファンタジーのメインストリート。しかも視覚的に超絶的な完成度を実現し、一瞬たりともその品質が落ちない、芸術としてのファンタジーの緻密さと溢れる才能の煌きは、今敏監督の作品に尽きるのではないでしょうか。
監督の早逝は、本当に惜しまれます。今は『千年女優』の彼女とともに、流れ星のように夜空を旅しておられるのでしょうか。
●『天気の子』(2019)
新海誠監督作品で一番好きなのは『秒速5センチメートル』(2007)ですが、あの青春の蹉跌と喪失感を切なくマイルドに包摂してくれたのが『天気の子』ではないかと。『秒速……』と『天気の子』は地下の伏流水みたいなものでつながっているような気がします。
さて虚構の敵は現実。ファンタジー最大の敵は、私たちの現実社会ですね。
『天気の子』の主人公の少年は、人間だらけの大都会にあって、スッパリと疎外されています。唯一のか細い社会的な接点は、“晴れ女”の少女。その貴重な接点を踏みにじるのが現実の社会であり、警察官がその象徴として描かれています。
“現実社会”の無情な仕打ちに対抗する、“現実的な武器”として拳銃が与えられますが、それはまた、使ってはならない禁忌の手段。使ったら最後、“現実社会”の冷たいギロチンが首元に落下することになりますね。
この緊張状態が『天気の子』ならではの魅力です。
主人公は否応なく、現実と戦わねばならない。
ファンタジーの魔法の世界に自慰的に逃げることはできない。
そんな彼の、ささやかな抵抗におかまいなく、雨はひたすら降り続き、大都会は水に沈んでゆく。
少しずつ、救いようもなく進んでゆく「世界の滅び」に対して、主人公の二人は抗うことなく、穏やかに受け入れているかのようです。
現実社会のあらゆる人間の抵抗を超越して、「雨」は降り注ぐ。
これも天の配剤なり、神の意志のようなものかもしれない。そんな諦念を肯定するところが、『天気の子』ならではの「美学」なのかもしれません。
「現実と虚構の相克を描いた」ファンタジーとして、貴重な一作です。
少年が旅する船「二代目さるびあ丸」は映画公開翌年の2020年に売却され、謎の祠が屋上にあるという設定の廃ビルも2020年に解体されて、作品に精細に描かれたリアルな風景が、たちまち虚構の風景と化してしまった……という“現実”も、作品世界に、はかなげな彩りを添えています。
●『ひるね姫~知らないワタシの物語~』(2017)
ラノベではすっかり日常化してしまった「異世界」ですが、これを「眠ることでつながる、もう一人の自分がいる世界」として、鏡面的に描く……という演出の妙技を堪能できる注目作です。
今ここにいる自分の、現実世界での冒険と、夢の中の自分の異世界での冒険、両者を繋ぐ媒体に最新のAIテクノロジーが関係するあたりは、斬新。創造性の高いAIの近未来ビジョンをファンタジックに見せてもらったという印象。
瀬戸内から東京までのロードムービー・スタイルで物語が展開するあたり、新海誠監督の『すずめの戸締まり』(2022)に先んじた演出かな。うっかり見落としたくない個性的な一作です。
なお、作中の年代は2020年で、東京オリンピック開催の三日前からお話が始まります。この点、「コロナ禍のない、もうひとつの未来」を観ているようで、不思議な気分にさせてくれます。ちょっと不思議なパラレルワールドが魅力的。
【次章へ続きます】




