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ラノベ残酷物語  作者: 秋山完
24/54

24●ファンタジー映画としての『シベールの日曜日』。

24●ファンタジー映画としての『シベールの日曜日』。



 クリスマス・ファンタジー映画の最高傑作、これですね。

 ジャンルを問わず、古今東西の映画の中でも最高だと思います。


 『シベールの日曜日』(1962仏)


 なぜファンタジー映画なのかというと、「1962年の現代によみがえる、古代神のクリスマス」を垣間見せてくれるからですね。

 もともとクリスマスは、冬至を越えて太陽が再び力を取り戻し、やがて真冬が終わって暖かく光に満ちた春の訪れを願う、太古のお祭りのなごりとも言われています。

 古代神がご本尊となる冬至の祭りは、古代ローマ時代に勃興したキリスト教によって、異教の祭祀として廃止されました。しかし土着の自然神への異教信仰は根強く、結局、キリスト教の教義と融合して、救世主の生誕を祝う祭儀ミサとして成立したのだとか。諸説あるのでしょうが。


 注目すべきは、キリスト教としては極めて例外的な「夜のミサ」であるということです。


「かつて20世紀半ばまではミサの行われる時間が厳しく制限されており、降誕祭と復活祭の前夜を除いて午後1時から夜明けの1時間前以前まで行うことができなかった。」(ウィキペディア「ミサ」の項より)


 キリスト教は、太陽が地平線から昇り、そして正午を過ぎて西方へ傾き、その陽光のパワーが弱まり始めるまでの、「光に満ちた時間」を支配する宗教であるという印象を受けます。

 すると逆に、夜は魔物が徘徊する恐ろしい時間となります。だから、夜明けに鋭い鳴き声で魔物たちを追い払ってくれる鳥を象徴して、魔よけの風見鶏が教会の屋根に設置されていたりしますね。


 ということは、降誕祭クリスマス、そして復活祭イースターともに、紀元前の異教の流れを汲む祭祀であり、だから例外的に、昼ではなく夜の儀式となっていたのだろう……と思うわけです。根拠となる文献に当たったわけではないので、あくまで私個人の想像ですが。


 そのように、異教の神秘を内包したクリスマス。

 とある秋、クリスマスの数週間前に、パリ郊外の街、ヴィル・ダヴレイで二人が出会います。

 インドシナ戦争でアジアの異教徒の娘を理由なく銃撃し、殺害したと思い込んで、罪の意識に憑りつかれた青年。

 フランス人だけど、当時“ジプシー”と呼ばれていた異教の民族の血を継いでいるがゆえに、家族から疎外され、父親に捨てられた少女。


 つまり、迫害した青年と、迫害された少女。


 二人の素朴な純愛ともいえる交流の中で、キリスト教以前の自然神の心が甦っていきます。


 いくつかの神秘的なギミックが暗示的に登場します。

 キリスト教の支配的な空気をあらわす、巨大な鳥かごと葬式の鐘、そして修道院に付設されている孤児院。

 キリスト教では神様の安息日である日曜日にだけ、つまり神様の目を避けて逢瀬を重ねる二人。

 息の詰まるような社会の監視から隠れてデートする二人にとって、もう一つの自由な世界を想起させる、湖の水面に映った鏡面の世界。

 異教的な祭典であるカーニバルの移動遊園地。

 ワイングラスの縁を湿った指でこすって音を出すグラスハープ。それが青年の閉塞感に隙間を開けて異教空間へと誘います。

 そして、樹木に突き刺して精霊の声を聴くことができる異教のナイフ。

 クリスマス・イブ、教会の檣楼しょうろうの十字架の上に付けられた、魔除けの風見鶏を取り外す青年。このとき青年の心は解放されて迷いが消えます。

 二人だけのツリーを前に、ささやかなイブの儀式、そこで、少女は真の自分をあらわします。

 シベール……それは異教の大地母神キュベレーのこと……。


 紀元後の「一神教」であるキリスト教。

 紀元前の「多神教」である古代信仰。

 人類二千年にわたるこの二つの想念の相克と、人の心の奥底に秘められたDNAのような古代神の存在が幻想的に暗示されます。

 それは大自然への回帰であり、二人のささやかな心のルネサンス……


 つまり、心の原点回帰。


 何十回観ても、新しい解釈が浮かび上がってくる、史上まれにみる物凄い傑作ではないかと思います。


       *


 ファンタジーとは、今、あたり前のように私たちをがんじがらめに支配している社会規範や宗教的制約、合理的な思想だと思い込まされている物事に対して、ささやかな抵抗を試みる「心の原点回帰」なのかもしれません。


       *


 少女シベールを演じるパトリシア・ゴッジは当時わずか12歳。単なる“可愛い女の子”の役柄ではなく、運命的な神秘性を備えた巫女のような、不思議な存在感を纏っていました。

 パトリシア・ゴッジは続いて『かもめの城』(1965)で、孤独な空想にひたる15歳の少女となります。美少女ながら暗い影があり、心の穢れに苦しむ“汚れ役”を衝撃的に演じています。

 『シベールの日曜日』(1962)とは全く別の作品ですが、こちらも逸品です。

 ゴッジ嬢はそれ以降目立った活動はなく、『シベール』と『かもめ』の二作で完結した感がありますが、作品内容の濃度は超ド級ですよ!


       *




    【次章へ続きます】



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