20●なにゆえ主人公は「死んで」転生するのか? 「学園もの」は心の故郷? そして「幸せって何?」
20●なにゆえ主人公は「死んで」転生するのか? 「学園もの」は心の故郷? そして「幸せって何?」
*
「死んで転生、チートで無双」がすっかりテンプレ化して定着したラノベですが、それにしてもどうして、死ななくては物語が始まらないのでしょうか?
そこが、私には解せません。
というのは、「死ななくても物語は十分に成立する」からです。
従来、この種の物語方式は、下記の二パターンでした……
ア◆異世界の現地住民が活躍する。……『指輪物語』『スレイヤーズ!』など。史実では、神の啓示を受けたジャンヌ・ダルクがそうですね。『スクラップドプリンセス』もそうです。
イ◆こちらの世界から異世界へ“転移”する。……『ナルニア国ものがたり』『戦国自衛隊』など。古くは『不思議の国のアリス』『オズの魔法使い』、映画では『失はれた地平線』(1937)も近いですね。また『ストレンジドーン』もそうです。
「ア」の場合は異世界に生まれた主人公たちが、先天的、あるいは後天的にチート力を獲得することで、物語が始まる。
「イ」の場合は、現代世界の価値観やテクノロジーなどを中世風の異世界に持ち込むことでチート力を獲得し、物語が始まる。
いずれにしても、展開されるストーリーは、「死んで転生、チートで無双」パターンの物語と比べて、大差ありません。
つまり、わざわざ死んでスライムに転生しなくても、現地産のスライムを主人公にして、神様から自我意識とチート力を授かったことにすれば、同じなのです。
なのに、「死んで転生」する様式が流行しています。
「死んで転生」のパターンがドッと出てきて主流化したのは、2023年の現在からみて十数年前、ネット投稿作品で多用されたのがきっかけでしょう。
にしても、なにゆえに、わざわざ「死んで転生」という、“無駄な手続き”を踏んで異世界に転生しなくてはならないのでしょうか。
死に方も、だいたい、①ホームから転落して電車に轢かれる、あるいは、②コンビニの前でトラックに轢かれる……の、二大轢死パターンに大別されるほどのテンプレ状態。
「そうまでして、死にたいのか?……」
……と、嘆息したくなるほどです。しかし「めんどくさいことは、あっさりスルーする」と揶揄されもするZ世代の若者たちが、それでも、めんどくさい基本設定にすぎない「死んで転生」を絶対的に必要としている……と解釈するしかありません。
ということは……
「死んでスッパリお別れしたいほど、今、生きている現実世界はつまらない」ことに尽きるのでしょう。
「死んで転生」は不可逆のプロセスです。異世界へ“転移”する「イ」のパターンならば、いずれもとの世界に戻ってハッピーエンドなのですが……
つまり現代の読者は「生き返って戻りたくもない」ということのようですね。
「死にたいほど、つまらない現実世界」という現状は、小説『ちょっと今から仕事やめてくる』(北川恵海氏著2015、実写映画は2017)のヒットに現れていますね。
また、第23回電撃小説大賞で大賞を獲得した『君は月夜に光り輝く』(佐野徹夜氏著2017メディアワークス文庫)の作者あとがき(314ページ)に、いみじくもこう記されています。
「この世界は、理不尽で、辛くて、酷いことに満ち溢れています。
死にたくなるなんて、それは当たり前のことだ、と僕は思います。」
それほどまでに、現実世界は酷い。
それはわかります、大いに納得できますが、だからといって、仮想的に死んだつもりでラノベの異世界に脳内トリップして、チートで無双したところで……
この十数年、現実は何一つ良くなっていないのではありませんか?
二十代で現実世界に絶望し、ラノベの異世界に耽溺して心が救われたとしても、今はもう四十代……
読者にこそ、現実が突き付けられています。待ったなしで。
その意味でも、「現実から逃避するのでなく、現実と戦うラノベ」が模索されていいのかもしれません。
「現実を忘れる麻酔剤」ではなく、「現実に目覚めるカンフル剤」、そして「現実と戦うための滋養強壮ドリンク」として。
*
さて、「異世界もの」に並ぶ、ラノベの鉄板ジャンルとして、「学園もの」がありますね。
最大の成功作は『涼宮ハルヒ シリーズ』(2003-)でしょう。
「学園もの」の大きな転機は、「魔法化」したことです。
学園の魔法化は、明らかに『ハリー・ポッター』の影響がもたらしたものでした。
ジュブナイルSFにおける「学園もの」の古典的代表作は眉村卓先生の『ねらわれた学園』(1973年刊行、1981年に実写映画化、2012年にアニメ映画化など……)でしたね。筒井康隆先生の『時をかける少女』(1965-66)に並んで、TVドラマを含めて続々と映像化された歴史的ヒット作です。
しかし『ねらわれた学園』でクラスを席巻していたのは魔法でなく「超能力」の方でした。
実際は魔法も超能力も同じようなもので、区別のしようもないのですが……
そこへ、超能力でなく魔法で『ねらわれた学園』をやってくれたのが『ハリー・ポッター』(1997-)だったわけです。
国内で邦訳が出版される前にハリポタを知って、多くのラノベファンが、こう思ったことでしょう。
「あ、ガッコで魔法を教えてくれるのって、アリなんだ」
それから雨後のタケノコのように、国産魔法学校がラノベとアニメの世界に開校していきました。アニメだけでも『魔法先生ネギま!』『赤ずきんチャチャ』『リトルウィッチアカデミア』『魔入りました入間君』『魔法科高校の劣等生』『ゼロの使い魔』『メアリと魔女の花(劇場アニメ)』『まぶらほ』『とある魔術の禁書目録』『ナイツ&マジック』『対魔導学園35試験小隊』『魔王学院の不適合者』『金装のヴェルメイユ』『魔法戦争』『世紀末オカルト学院』などなど……以上順不同。
「死んで転生+異世界+魔法学園」という、テンプレを複数合わせた、鉄板ラノベも数知れず……
*
ともあれ「学園もの」が、ラノベという出版ジャンルが成立して三十年余り、その大黒柱の一本であり続けたことは疑いようもありません。
何故でしょう。
思えば、十代の読者にとっては、現実の生活の大半が「学園」にありますね。
そして卒業後の若者にとって、「学園」は、還りたい心のふるさと……ということなのでしょう。
なんといっても、「死んで転生したい」ほど過酷で非道な実社会です。
そんな実社会を耐え忍ぶ読者がラノベの世界に逃れる行き先として、「学園」はいつまでも忘れられない「心のシェルター」と言えるかもしれません。
そこは実社会よりもはるかに自由だった、モラトリアムに守られた小世界。
現実の自分が嫌でも直面している「格差の固定」が表面上おだやかな上、「魔法」というチート力で無双することができれば、スクールカーストの下剋上も天下統一も思いのままですから。つまり「青春のやり直し」です。
だから、みんな、学園に戻りたい。
その思いには納得し、共感もします。
しかし「学園」は永遠に続くことはできません。
いつか「卒業」しなくてはならず「中退」や「転校」もあり得ます。
魔法的なファンタジーの要素と学園のスクールカーストの要素を融合させた傑作がありました。
TVアニメの『少女革命ウテナ』(1997)ですね。
TVアニメとしては、その小劇場的な哲学性が際立ち、エヴァを超えた、二十世紀の最高傑作だと思います。
登場人物にとって世界の全てだった「学園」という「鳥かご」から放たれてゆく最終話エンドロールの少女アンシー、その後ろ姿が物語る「喪失感と開放感」は、ありきたりなアニメのスケールを異次元的に超えていたと思います。
正直、ハリポタと比べても、『少女革命ウテナ』の方が凄いですよ!
また、私たちの心のふるさとでもある「学園」とそこからの卒業を、超絶の哀切を込めて描き上げた傑作がTVアニメの『Angel Beats! エンジェル ビーツ』(2010)でした。
最初は「魔法学園もの」と思ってしまいますが、重なる事件の影に明かされる学園の秘密と、最終話の切なさは超絶級、この作品の基本アイデアは、それまで「ありそうで誰もやらなかった!」という究極さを感じさせます。
それにしても……
『Angel Beats! エンジェル ビーツ』(2010)とか、劇場アニメの『おおかみこどもの雨と雪』(2012)以降の時代は、あくまで私の個人的な主観ですが、ラノベやアニメの「不作感」がつきまとっています。
ちょうど、借金頼みの経済愚策の最たるものである「ABノミクス」が国内に猛威を振るった時期と重なりますが……
かつては元気があったラノベ自体が、全体に息切れしてきたというか……
いや確かに、私たちの社会全体が、ゲンナリして力をなくしています。
とくに、2023年の今から振り返って十年ばかり、この国は異次元の失速を続け、その結果は絶望的ですらあります。
国の借金は十年で倍になり、しかも総額は年間国家予算の十倍以上! 2023年度予算では35兆円も新規国債を発行して借金、そのうち25兆円が返済金、つまり借金返済のための借金だとは……。そして円安地獄で物価は高騰、日銀さんが発表する物価指標ではなぜか「生鮮食料品は除く」となっていますが、殺人的な物価高はそこにあるのですが……。しかも「円安なのに貿易赤字が最大」って、何なのだ? コロナ禍が収まってきたようで宿泊・飲食業界は大繁盛なのに、人手不足で営業縮小とか? 賃金を上げればいいはずが、そうせずに、事実上の移民で解決するんだとか? ということは、ホントのところ、景気はちっとも回復していないのでは?
……等々、不確かな情報ばかりが飛び交って、真実、この国は足腰がガタガタになっているのではないだろうか?
国家の年間予算の十倍を超える「国債という名の借金」、政治家さんはだれも言わないけれど、「いつか全部返さなくてはならない」ことだけは確かなんでしょう?
この国の指導者は、この十年余り、何をしてきたんだ?
そんな、先の見えない閉塞感だけは、どっぷりとのしかかる最近です。
*
ということで……
1999年に国内出版されたハリポタ以来の「魔法学園もの」を愛してきた読者も、当時二十代なら、今や四十代か五十代……。
「死にたいほどにくだらない」現実世界で悶々と生きていくしか方法のない自分を、「死んで転生」や「魔法学園もの」のラノベで慰めてきても、年齢が中高年の域に近づいてくると、その悲愴感は、耐えがたいものになってきますね。
現実の実社会は、上級国民でなければ、屈辱間と敗北感にさいなまれるものです。自分自身が若いうちは、まだ「未来がある」と言い聞かせることができても、四十代半ばにもなると、人生がすっかり「詰んで」きて、明らかに先が見えてきます。
あるいは「お先真っ暗」なのか……
これからのラノベは、そんな中高年の「絶望感」に応える処方箋を示さねばならないでしょう。
なにも、うらぶれた中高年を主人公にする必要はありませんが、主人公が少年であれ少女であれ、物語の中で直面する「屈辱感と敗北感」にどのように対処するのか、そして「生きる幸せ」というものについて、新しいビジョンを見せることではないでしょうか?
「本当の幸せって、こういうことじゃないか?」
そのように、気付かせてくれる作品です。
大衆向けのファンタジーとして、基本のキではあると思いますが、その「基本のキ」から、ここ十年ほど、ファンタジーもSFも目を背けて、微妙に避けてきたように思えてならないのです。
【次章へ続きます】




