18●ニッポンの「異世界ラノベ」は「アリス以前」への原点回帰か?
18●ニッポンの「異世界ラノベ」は「アリス以前」への原点回帰か?
これまで見てきたように、過去百年以上のファンタジー作品のおおまかな流れは、やはり「時代の空気」とは無関係でなかったように思えます。
ファンタジー作品を“大衆の「不安・欠乏・憤怒」を和らげる処方箋”であると考えれば、その時代時代の風を受けて成立するというものでしょう。
さて、前述した①~④の歴史的傾向とその作品群を眺めた上で、21世紀の現在、「死んで転生、チートで無双」に席巻されたニッポンのラノベファンタジーを、どのようにとらえればいいのか、考えてみましょう。
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とはいえ奇妙なことに、前述した①~④の歴史的傾向からは、ニッポンにおいて、「死んで転生、チートで無双」パターンの「異世界ラノベ」が勃興し、大流行している原因は読み取れません。
どうやら、世界のファンタジーの本流とは別な方向に、ニッポンのラノベは二十世紀末あたりに、突如、突然変異的にガラパゴス進化していったのではないか? そんな気がします。
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そこで、“アリス以前”のファンタジー作品に目を転じてみましょう。
■アリス前……“ビフォーアリス”のファンタジー
『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル著1865)以前の作品群。
A◆アーサー王伝説とシェイクスピアの戯曲
英国はウェールズに伝わる、5世紀の英雄とされるアーサー王の騎士道ロマンスに満ちた物語の数々は、12世紀頃に成立したとされます。円卓の騎士、ランスロット、湖の乙女、トリスタンとイゾルデ、パーシヴァル、ガラハッド、聖杯探求、石に刺さった剣、キャメロットといったキャラクターやモチーフは、中世以降の演劇やオペラ等に多大な影響を残しました。
そして、その他のさまざまな騎士伝説なども踏まえて、英国のウィリアム・シェイクスピア(1564生-1616没)が遺した戯曲群。
活字で読むのはけっこうしんどいし退屈でしょうから、現代の日本人で読破している人は多くないでしょう。ただし、翻案されて映画になった作品が多々あるので、それらの映像から形成されたイメージが大きいのでは。
『ロミオとジュリエット』(1595-96)、『ハムレット』(1600-01)、『リア王』(1605)、『マクベス』(1606)、『夏の夜の夢』(1595-96)、『ヴェニスの商人』(1596-97)、『テンペスト』(1611)……などなど、現代ファンタジーの基本の基本って感じです。
とりわけ1996年の英米合作映画『ハムレット』は映像も音楽も圧巻の超大作で、『タイタニック』(1997)直前のケイト・ウィンスレット嬢が演じるオフィーリアはまさに眼福でした。
幽霊や妖精が出てこない作品もありますが、書かれた時代では“現代劇”でも、いまや古典中の古典。その古さゆえに、シェイクスピアの全ての作品を中世的なファンタジーととらえてもおかしくないと思います。
B◆『グリム童話集』(1812-)
ドイツのグリム兄弟が収集編纂したこの童話集に収録されたメルヘンが、21世紀現在のニッポンのファンタジーにどれほど大きな影響を残しているのか、下記のタイトルから明らかでしょう。
『狼と七匹の子山羊』『ラプンツェル』『ヘンゼルとグレーテル』『灰かぶり(シンデレラ)』『赤ずきん』『ブレーメンの音楽隊』『いばら姫』『白雪姫』……
C◆アンデルセン童話(発表時期は1835-72)
デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが創作した童話作品群。彼は17歳頃に王立劇場の支配人ヨナス・コリンに寵愛されてパトロンを得るまでは、極貧の生活を送ったらしく、その童話作品に描かれた富と貧困の格差には真剣なリアリティが感じられます。
グリム童話集と並んで、21世紀現在のニッポンのファンタジーに与えている影響がはかり知れないこと、下記のラインナップが物語ります。
『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』『親指姫』『人魚姫』『裸の王様』『野の白鳥(白鳥の王子)』『みにくいアヒルの子』『もみの木』『雪の女王』『赤い靴』『マッチ売りの少女』『パンをふんだ娘』……
D◆バレエとオペラ
TVどころか映画もほぼ存在しなかった19世紀において、ファンタジー作品の視覚的イメージを形成したのは、舞台芸術。とりわけバレエとオペラが果たした役割は大きいでしょう。
バレエでは言うまでもなく、チャイコフスキー(1840生-1893没)の『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』。
それから、オペラ作品(ワーグナーの場合は楽劇)では……
『魔笛』(モーツァルト作1791作曲)
『魔弾の射手』(ウェーバー作1821初演)
『さまよえるオランダ人』(ワーグナー作1842完成)
『ニーベルングの指輪』(ワーグナー作1848-74)
などが印象的ですね。
とりわけ里中満智子先生による『マンガ名作オペラシリーズ』(中央公論社2003-2005)は、観賞に費用も時間もかかるオペラの大衆化に一役買ったと言えるでしょうし、『ハリー・ポッター』ブームのさなか、ファンタジーの視覚化という意味で注目すべきだと思います。
またワーグナーの諸作品、とくに『ニーベルングの指輪』は松本零士、里中満智子、あずみ椋の諸先生によって漫画化されており、ただならぬ人気がありますね。
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で、前述の「アリス前」のA~Dを頭に置いて、「アリス後」の①~④を思い返してみますと、どうやら、ニッポンのラノベファンタジーは、「アリス後の①~④」の流れを汲むよりも、「アリス前のA~D」へと“原点回帰”して、バブル景気が崩壊した1990年代以降に爆誕したのではないか……と思います。
「死んで転生、チートで無双」する「異世界ラノベ」を構成するイメージの多くは中世ヨーロッパ風です。『アーサー王』伝説(12世紀に成立されたとされる)にシェイクスピアの戯曲に描かれた中世世界が加わり、さらにワーグナーの『ニーベルングの指輪』と北欧神話にもとづく挿話が散りばめられて、日本国内で作り出されたものでしょう。
とくに、肌も露わな甲冑姿で戦う“戦乙女”のキャラクターは、ワーグナーの作品なくして形成されなかったと思われます。戦乙女のイメージを私たちが共有できるのは、彼の楽劇『ワルキューレ』と、映画『地獄の黙示録』に流れた狂おしくも勇壮な曲のおかげですね。ハイル・ワーグナー!
ラノベでは、そんな中世ヨーロッパな異世界に「グリム&アンデルセン」なキャラクターがわさわさと大量に出演することで、姫君もドラゴンも何でもありで大活躍するようになったのではないかと……
ただしニッポンの「ラノベ異世界」は、「アリス前のA~D」に直接的にインスパイアされたのではなさそうです。
ヨーロッパの中世社会は、そんなに甘くありません。貧富の格差はすさまじく、絶対王政は残酷で、処刑も虐殺も魔女狩りも簡単に行われましたし、戦争も日常茶飯事、市民のモラルもかなり低かったでしょう。なんといってもミュージカル映画の『レ・ミゼラブル』(2012)にみるような世界で実際に暮らすのは御免ですよね。ホントに「ああ無情」な社会です。
それに基本的な障害として、トイレ問題がありました。中世ヨーロッパの世界では、下水道はもとよりトイレなるものが各家庭どころか宮殿にも未整備であったとのことで、その点、古代ローマの方がよほど清潔だったのではないかと。
リアルな中世社会はラノベにそぐわなかったのであり、そのため、中世の醜い部分や汚い部分を大胆にそぎ落として都合よく改変・加工するプロセスが加わったものと思われます。
【次章へ続きます】




