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ラノベ残酷物語  作者: 秋山完
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16●大衆の「不安・欠乏・憎悪」に応えること。

16●大衆の「不安・欠乏・憎悪」に応えること。



       *


 大衆にとって今のラノベは、どのような役割を果たす存在なのでしょうか?

 回答は明快です。


 「閉塞感に風穴を開ける」ことですね。


 1990年頃のバブル経済の崩壊から今に至る「失われた三十年」と呼ばれる期間は、庶民にとって、息の詰まるような閉塞感に圧迫された日々でした。


 子供のころから「親ガチャ」の結果に支配され、将来にわたって、希望を持てない立場の人は、おおむね死ぬまで希望を持てません。

 親から独立して自分の力で稼ごうにも、「正規と非正規」の壁は厚くて高く、ベルリンの壁よりも堅固です。(そもそも雇用を「正規・非正規」と分別すること自体、ある種の異常性を感じますね。労働者として「非正規」のレッテルを貼られる屈辱感は、「人間として非正規、すなわち奴隷」と呼ばれるのと同じような、“ヤな感じ”を伴いますが、社会はそれでよしとしています。そこがまた不気味で不快)

 そして、昭和なら引退してご隠居様となる老後ですら、低賃金で働くことが奨励され、人生を幸せに幕引きさせてくれる「あがり」は夢のまた夢……


 「幸せへの希望」が、どこをどう向いても見つけられない、これは「閉塞感」そのものでしょう。


 大衆向けのラノベに読者が期待することは、「閉塞感に風穴を開ける」こと。

 これは確かだと思います。


       *


 さてそれでは、大衆に蔓延している「閉塞感」の中身とは……


 たぶん「不安と欠乏と憎悪」です。

 「不安と欠乏と憎悪」に日常的にさいなまれていながら、解決策がなく、解決策を講じるように社会に対して表明することもできず、誰かに救いを求める手段もなく、自分の心の内にため込むしかないという状況です。


 この「不安と欠乏と憎悪」の最大の要因は、「社会の上下格差の固定化」にあるでしょう。

 とりわけ「司法・教育・医療」の三分野で、「上級と非上級」の格差が、親の代以前から固定化される傾向にあることです。


 この、「格差の固定化」による「不安と欠乏と憎悪」が充満した「閉塞感」を象徴する事例としては……


① 池袋の暴走死傷事故(2019)

② 猪苗代湖のボート死傷事故(2020)

③ 知床遊覧船沈没事故(2022)


 この三つの「事故」は心情的には「事件」として印象付けられますが、いずれも加害者側が責任を否定するか、いまだ起訴にも至っていないケースであり、民事訴訟の行方すら定かではないと聞きます。

 加害と被害、双方の立場にある人々の間に横たわる「格差」の不気味なこと。

 もしも被害者が普通の市民でなく、有力な上級国民の家族だったら、警察の対応は最初からずいぶん違っていたような気がしないでもありませんね……

 心底、ぞっとするのです。


 「不安と欠乏と憎悪」という「閉塞感」に閉ざされた社会。

 これはまさに、ラノベなんかではない、リアルの世界。

 その陰鬱さをどうにかするために、ラノベは読まれているのかもしれませんね。

 つまり「不安と欠乏と憎悪」を和らげる鎮痛薬の“処方箋”として。


       *


 漫画の大ヒット作にも、「閉塞感に風穴を開ける」テーマがみられます。

 『進撃の巨人』(2009-)、『鬼滅の刃』(2016-)、『約束のネバーランド』(2016-)ですね。

 閉塞感の元凶は、「逃げようもなく、巨人や鬼によって一方的に捕食される」という、圧倒的に自由が抑圧された状況にあります。強者は食べる側、弱者は食べられる側……と、立場が固定された環境、これは閉塞感にみちた牢獄でもあります。この地獄のような状態を何とかして打破すべく、主人公たちは行動します。


 さて「閉塞感に風穴を開ける」テーマは、上記の漫画三作品の以前には、今にいう「デスゲーム小説」という形で社会的なブームになっていました。

 『バトル・ロワイアル』(1999)、『リアル鬼ごっこ』(2001)、『ハンガー・ゲーム』(2008、外国作家)がそうですね。いずれも、近未来もしくは並行世界の架空国家が舞台で、国家の制度として理不尽な殺し合いが実施され、主人公たちは最終的に元凶の王様や独裁者に反撃を試みようとします。

 しかし作品に内包される宿命的な問題点は「終わらないこと」。

 ゲームに勝って閉塞感を打ち破っても、そこには別な閉塞感が待ち受けていて、殺戮のゲームはまたまだ続く……となるわけです。


 なお、やや異色ながら、漫画の『本格科学冒険漫画 20世紀少年』(1999-)や、『DEATH NOTEデスノート』(2003-)も、デスゲーム作品に近いテイストを有していると思います。



 ともあれ……

 勝っても、終わらない。

 すなわち、問題点が解決しない。


 「閉塞感に風穴を開ける」テーマの、究極の課題でしょう。

 どうすればいいのか。


 しっかりと回答を出した作品があります。

 TVドラマの『プリズナーNo.6』(1967-68英 全17話)。


 今や古典的な作品ですが、観れば観るほどに、斬新。


 主人公は英国の諜報部員、ある日、気を失って目覚めると「№6」と名付けられて、地図にない村に閉じ込められていた。あの手この手で脱走を図るが、いつも謎の人物「№2」によって阻まれてしまう。

 村は「№1」という人物に支配されている。ナンバーの上位者と戦って勝ちあがり、最後に「№1」を倒せば解決すると思われるのだが……

 ……というお話で、ある意味、「成り上がりデスゲーム」な要素も含んだ「脱出もの」のSFサスペンスドラマです。


 主人公№6にとって最大の問題は、かりに№1の地位を奪っても、自分が新たな独裁者になるだけで、「支配者と村人」の体制は変わらないということです。

 問題の本質は何一つ解決しない。

 リアルの世の中もそうですね。独裁者が倒れても、次の独裁者に入れ替わるだけ。

№1に勝っても、それでは本当に勝ったことになりえない。

 では、どうするのか。

 №1に勝つと同時に、社会全体の価値観を一気にフッ飛ばして、異なる仕組みの社会にパラダイムシフトさせることです。

 『プリズナーNo.6』の最終話では、そのような暗示が感じられ、鳥肌立つほどに上出来ウェルダンな結末となっていました。


 よくある堂々巡りでなく、しっかりとした結末です。


 しかも「村」は、異次元の別世界ではなく、私たちのすぐそばに存在するリアルの世界でもあることが明瞭に示唆されて、けっこうドキッとさせてくれます。


 あの結末の見事さは、やはり空前絶後では?


 「閉塞感に風穴を開ける」テーマの作品として、必見であると思います。



       *


 「デスゲーム」は今後のラノベのジャンルとして、すたれることはないでしょう。

 しかし問題は「今やリアル社会を生きること自体が、壮絶なデスゲームと化している」ことです。不景気になればあっさり失業、ホームレス、路上死。景気がよくても低賃金でブラック労働、過重なサービス残業で過労死に直面する……

 それが21世紀ニッポンのごく普通の日常風景。運送車両のスライドドアで指を切断しても、配達を優先して仕事を続けたドライバーのことが最近報道されていましたが、それこそ「仕事」に追いかけられる「リアル鬼ごっこ」ではありませんか?


 この社会で、ひっそり目立たず穏やかに余生を送ろうと考えても、大小の犯罪やら災難やらが向こうから次々と降りかかってくるご時世となりました。

 私個人としては、デスゲームのお話よりも、「デスゲームなんて、なんぼのもんじゃい!」くらいに、全国規模のリアル・デスゲームを笑い飛ばす作品の方を読みたいと思うのですが……




  【次章へ続きます】



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