12●「タイパ」は21世紀の時間泥棒、そして「即席感動(インスタントエモーション)」の蔓延?
12●「タイパ」は21世紀の時間泥棒、そして「即席感動」の蔓延?
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時間の使い方にコスパ同様の効率を求める「タイパ」なるものが声高に説かれるようになってきました。
タイム・パフォーマンス、すなわち“時間”に置き代えたコスパの概念。
例えば……
① 50円安い野菜を買うために30分歩いて遠くのスーパーへ出向く。
② 正価の野菜を近くのスーパーで買って、浮いた時間を有意義なことに使う。
この①よりも②が、「タイパ」にかなった賢い生活だ……ということらしい。
アホかいな、ですよ。
時間の使い方?
そんなことまで誰かに指図されなくちゃならんのか。
私は迷わず「50円安い野菜を買うために、30分歩いて遠くのスーパーへ出向く」方を選択しますよ。往復一時間は無駄足でなく、健康的なウォーキングですから。
それとも、歩きながら考え事のできる時間かな。
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TVの中では高学歴のお兄さんがタイパ、タイパと繰り返してくれる。
「Z世代」なるイマドキの若者層は、タイパを大切にするらしい。
まるで、一日ボーッとのらりくらり暮らしたら、罪悪感を持って反省しろと言わんばかりでして。そういえばボーッと生きていたら、永遠に五歳のままの女の子に叱り飛ばされるのだから、誠に世知辛い時代でありますね。
そのうちトイレもゆっくり行かせてくれなくなるだろう。
これ、昨年、2022年の12月、「三省堂 辞書を編む人が選ぶ『今年の新語2022』」の大賞に「タイパ」が選ばれて、突然に脚光を浴び始めたらしい。
まあ、きっと一発芸みたいな流行だろう。来年には消え去っているかもしれないし、そうあることを切に願う次第であります。
というのは……
例えば、某巨大遊園地のアトラクションや某ミシュランなグルメ店で、列をなして一時間二時間と並ぶ人々は、タイパ的にどうなのか。
禁固刑で刑務所に服役している人々は、タイパ的にどうなのか。
喫煙者が煙草を吸う時間は、タイパ的にどうなのか。
サイトに投稿する原稿を書く時間と労力は、タイパ的に人生の無駄遣いなのか?
歩行中や運転中の「ながらスマホ」は時間を有効に使うとして、タイパ的に推奨されるのか?
などと、ホントにくだらん些事を考えさせられてしまうのであって、そんなことを考えて時間を費すこと自体、人生の無駄使いなのでは? これってタイパ的にどうなのよ? となってしまうからです。
それこそ、「ほっといてくれ」と言いたくなるような、ですね。
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結論として、タイパの概念は、《《人類を惑わす愚考の最たるもの》》と断定。
その証拠に、次の三つの例を考えてみましょう。
① 議場で居眠りする議員先生。
常識的には、国民の税金で開催されている議会で居眠りするなんて、本来、「真面目に議事に参加すべき時間」を無駄にする、すなわち国民から時間と税金をくすねて、サボっていることになります。
しかし、タイパの概念からすると……
議員先生は「議会の議事という“無価値な時間”を自分の睡眠に有効活用して英気を養っているのだから、タイパ最高!」と褒められることになりませんか?
② 医院で患者が何時間も待たされて、診察は数分。
タイパの概念からすると、何時間も待つのなら、その間に読書なりスマホなりで時間を有効に使うべし、となるのだろうが、病気持ちの患者がそんなことをしたら病状が悪化しますね。
一方、医者の側からすると、患者が大勢待っていてくれると、空き時間を作らずに診察できるので、すこぶる効率的ということになりますか?
③ サービス残業。
本来、休養に宛てられる自由時間を仕事に奪われて、しかも無給なのだから、労働者にとってはタイパ最悪。
一方、経営者にとっては、無給で長時間働いてくれるのだから、タイパ最高! となりますね。
で、何が言いたいのかというと……。
「タイパ」の概念を持ち出したとたん、そこに、「自分の時間を奪われる側」と「他人の時間を奪う側」が対照的に出現する……という現象です。
これ、思い出しますよね。
ミヒャエル・エンデの著作『モモ』(1973)に登場する時間泥棒。
上記①②③の事例は、「他者の時間を奪うことで自分の時間を効率化する、すなわちタイパを向上する」結果を生む事象であり、時間を奪う側の人物が善人であれ悪人であれ、その行為はモモの時間泥棒と結果的に同種同列であると考えられます。
つまり、「タイパ」を声高に主張することは、ちょっと極論すれば「時間泥棒が、上から目線で自己を正当化する言い訳である」とも受け取れるでしょう。
「タイパ」とは、他者の時間を奪い取る側にとって、一方的に都合のいいロジックであるわけです。
だから、百害あって一利なし。一刻も早く、すたれてほしい概念でありますね。
警戒しよう。
まことしやかに「タイパ」を主張して、私たちの自由な時間を奪い去る、21世紀の時間泥棒たちを。
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それなら、時間の「幸福度」を物差しにしてみたらどうでしょうか?
思えば、人生の至福の時間こそ、居眠りしているときですよ。こっくりこっくりの議員先生は、最高に幸せな時間を満喫しておられるのだろうと推察します。
まあ、それはともかく土曜日ののどかな昼下がりにうたた寝するような時間ってのは、押しなべて「幸せ」ですよね、悪夢を見た場合は別ですが。
そう、自分の時間の使い方くらい、ゴチャゴチャ指示されずに、ほおっておいて欲しいものです。のんびりしたいときには、のんびりしたいのだ。
他人のことや心配事を、しばし忘れて、ボーッと、ただ無為に時間を過ごす。
時間の無駄に違いはありませんが、そのかわり、「幸せ度」は高いですね。
この「アンチタイパ」な時間こそ、代わりの効かない幸せなひとときではないでしょうか?
目指そう、「アンチタイパ」生活! ナマケモノこそ幸せに生きるのだ!
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で、なぜ、「タイパ」について考えてみたのかと言いますと……
若者に蔓延しつつあるという「タイパ族」の特徴として、「映像番組の早送り、あるいは“ファスト映画”の活用」が、あげられているからです。
TV番組や映画は、録画や配信等の“早送り”でさっさと結末を知る。
あるいは著作権を犯すことの多い“ファスト映画”を視聴して、数分で結末を知る。
要するにタイパの向上、イコール視聴する時間の効率化ですね。
非難するつもりはありません。他者の時間を奪わない限り、個人の自由ですから。
しかしここに、Z世代の若者をメインとした、ある風潮が窺えます。
何かにつけて「最短で結果を出す」ことを求め、結果に至る地道な手順やコツコツと重ねる努力や、時には必要な“回り道”も無視してスルーする。そんな時代の空気。
そして、美しい結末を優先するために「細かいことは気にしない」的に、読者の気にかかる問題点をシカトスルーした印象を残す、最近のラノベ作品……のことです。
おそらく、読者や観客の若者たちは、こう考えているのでしょう。
「めんどくさいプロセスは省略して、手っ取り早く感動させてよ!」
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「他人は待たせても、私はカップ麺の三分しか待たないよ!」的な価値観ですね。
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つまり、読書や映画観賞で「タイパ」を突き詰めれば……
美しい感動の結末に至るまでの道筋は最短コースでブッ飛ばし、とにかく手っ取り早い「即席感動」を私におくれ!
……ということではないでしょうか?
「手っ取り早く感動したい」
これが、Z世代の、タイパを唱える若者たちの、最近の心理なのでは?
ラノベなんかは、さっさと読んで感動して、即、次の作品に移る。
分かるような気がします。たとえば、21世紀のニッポンで隆盛を極める巨大テーマパークのアトラクションやパレード。
行って、観るだけでその日のうちに感動し、記念のお土産を持ち帰る。すべて、その日だけの即席な出来事。入園時間は限られているので、ファストパスを活用して、とにかく多く回るのだ!
そんなテーマパークと同じ感覚で、ラノベなどの小説や映画作品がとらえられているのではありませんか?
そして読者だけでなく、作者も編集氏もそうなってはいないでしょうか?
「とにかく感動させろ、途中は適当に端折っていいから、手っ取り早く、速攻で感動させろ」と……
昨今のラノベの「物足りなさ」は、そんなところに象徴的に表れているように感じるのです。
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古今東西の映画の最高傑作は、私見ですが『シベールの日曜日』(1962制作)だと思います。
この作品、最初にサラッと観ただけでは「ロリコン青年の倒錯と破滅」の物語で終わってしまいます。
しかし、少し考えてみると、いくつも幾つも、謎が残っていることに気づきます。
不可解な言動に走る少女シベールの妖しい魅力も、二度見を誘います。
そして繰り返し何度も観て、ようやく……
ヨーロッパの紀元前の多神教と、紀元後の一神教とのせめぎ合いに通じる、遥かな歴史を超えた、大自然の地母神の現代人の心へのよみがえりを描く作品であることが、じわじわと感じられてくるのです。
本来、人はもっと“自然”であってよいのではないかと。
繰り返し何度も観ることで、ようやく滲み出てくる、本物の感動。
公開当初は、世界に衝撃を与えるような感動作として認められることはなかったでしょう。アカデミー外国語映画賞はもらいましたが。
しかし、それから60年あまり、なぜか消え失せることなく伝えられる名作です。
手っ取り早い「即席感動」の真逆を行く傑作。
メンドクサイけど、じっくり時間をかけて鑑賞してこそ、感動が深まる名作。
そういった作品は、20世紀の中盤に多くつくられました。
『ローマの休日』『カサブランカ』『大列車作戦』『ドクトル・ジバゴ』……
国産では『ここに泉あり』『キューポラのある街』『名もなく貧しく美しく』……
アニメでは『太陽の王子ホルスの大冒険』『未来少年コナン』『ヴイナス戦記』……
“早送り”や“ファスト映画”を常用する人々には、おそらく気付くことのできない感動が、そこに眠っているのだと思います。
【次章へ続きます】




