10●国内最古の転生ラノベは? そして現代のラノベで気になる、初歩的な「物足りなさ」
10●国内最古の転生ラノベは? そして現代のラノベで気になる、初歩的な「物足りなさ」
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こちらの世界で死没し、異世界へ転生する途中で神様からチート力をもらい、転生先で無双して大活躍……
そんな、通俗的な異世界転生ラノベは、いつ、どこで、どのようなストーリーで始まったのでしょうか?
ウィキペディアなどでいろいろと解釈されていますね。
マーク・トゥエイン作の『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889)がそうであり、現代にもつながる大ヒット作としては、エドガー・ライス・バローズの『火星シリーズ』(1917~)というのが通説のようですね。
とにかく、最初に始めた人は偉い!
ニッポンではどうでしょう。
私見としましては……
『竹取物語』(平安前期、最古の写本が14世紀。作者不詳)
月人のかぐや姫がこっちの世界に転生してくるので、いわば「逆転生」ものですが、あらゆる転生作品のルーツとして、世界に誇れると思いますよ。
私たちの世界から異世界へトリップするパターンでは……
古くは『浦島太郎』、これが童話として完成したのは大正時代らしいですね。
戦後では半村良先生の『戦国自衛隊』(1971)、第二次大戦中のミリタリー物では高木彬光先生の『連合艦隊ついに勝つ』(1971)が記憶に残りますが、少女漫画の『王家の紋章』(1976-)、『天は赤い河のほとり』(1995-2002)も異世界転移ものとして高い評価を受けていますね。
宇宙旅行から帰ったところ、地球が異世界化していたという設定の傑作は、ピエール・ブールのSF『猿の惑星』(1968)で、映画化が続いた大ヒット作品。国産では、石森章太郎先生の漫画『リュウの道』(1969-70)が内容的に最高でした。
今どきなJKのタイムスリップ異世界転移は、眉村卓先生の『時空の旅人』(1977-78 劇場アニメ化1986)。
そして『聖ミカエラ学園漂流記』(著:高取英1983)が90年代にアニメ化されましたね。映像化されるとアダルト作品にされてしまいましたが。
“この世”で一度死んで、異世界に生まれ変わる形で転生するパターンは、どの作品が元祖なのか、よくわかりません。
「死と転生」に近いイメージで“前世の記憶”にまつわるエピソードを描いた大傑作は、手塚治虫先生の短編『0次元の丘』(1969)です。そのお話を読んで、シベリウスの『トゥオネラの白鳥』に魅せられました。21世紀のコミック作品を束にしてもかなわない、強烈な感動が胸にグサッときたのを覚えています。
おそらく、最初に「死と転生」が扱われたのは、1970年前後に国内で発表された膨大な漫画作品のどれかではないでしょうか。
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それにしても……
SFファンタジー系に限らず、昨今のラノベを読むたび、「物足りなさ」を感じるのは私だけでしょうか?
じつは、読む途中で、かなり初歩的なことで引っかかり、それか気になって、読み終えても、感動はさておき、釈然としないケースがままあります。
なんかこう、言葉が悪くてすみませんが、「初歩的な矛盾」を抱えたまま発表されたらしき作品が目につくのです……
【CASE1】
戦前の古い映画フィルムの中に描かれた異世界から、お転婆な姫様が昭和30年代の現実世界に実体化、彼女に恋焦がれる若者との間に展開する、ちょっとコミカルで切ないラブコメのファンタジー。しかし姫君は、こちらの世界で「人の温もり」に触れると、何かとてもヤバいことになるという……
……というお話で、映画化されており、まずは映画を観たのですが、見終わってどうも釈然としない……。それは下記の二点。
① 姫君は、「人の温もり」に触れてはならない、ここが実は曖昧。素肌を触れ合ってはいけないのか、体温を感じてはいけないのか。しかし映画の中では、ノースリーブやらデコルテなどに露出度の高い衣服を好み、観ていてハラハラ。女優さんの見栄えとしては素肌を適度に見せた方がイキイキとしていいのだけれど、すれ違うだれかと簡単に接触しそう。
対策として、水中ダイビングのウェットスーツみたいな着衣で全身をカバーすれば、彼氏と手をつなぐことも、ハグもできそうなのだが……つまり、与えられたリスクに対して、どのような対策をしたのか、よくわからないので、モヤモヤ感が残るのです。
② ひとつの解決法として、青年の方が姫様に連れられてフィルムの中の異世界に転移していくことも考えられる。「それなら、僕をフィルムの中に連れてって!」と、青年が姫様に願う場面があってもいいのだが。結局お話のラストは、そうなったのかな? とも思わせつつも、物語の中で具体的に検討されておらず、こちらも、もやもやしてしまう。
物語の結末は、とてもとても美しい。いい作品ですよ、本当に。
しかし、その美しい結末に持っていくために、「細かいことは気にしない」的に、観客の気にかかる問題点を、モヤっとスルーしたような印象が残るのです。
【CASE2】
愛する彼女には奇病があった。冬になって気温が下がると眠り込んで春まで目を覚まさない。ある種の“冬眠”らしいが……。
……という設定の、SF仕立てのラブロマンス。
これもいい作品です。ただ、次のことが気になります。
たいてい誰でも、このような対処法を思いつくでしょう。
① 温度管理した、暖かいシェルター施設の中で外出せずに冬を過ごしたらどうか。
② それとも冬が来る前に南半球の国へ行って、春が来るまで暮らしたらどうか。
しかしなぜか、物語の中で、この①と②を試した形跡がないのです。
変だなあ……と思いながら、読み進めます。
すると物語の結末近くで彼女の奇病は「ただの冬眠ではない」ことが判明し、お話が急展開します。そこに感動があるのですが……
しかしなるほど、だれでも思いつく①と②を試していないのは、これを試すと、物語の冒頭から「ただの冬眠ではない」ことが立証されてしまうからですね。
ややテクニカルですが、結末の感動を実現するために、おそらく、そのストーリーの障害となるであろう①と②を、意図的に語らなかったのではないかと。
美しい結末を優先するために「細かいことは気にしない」的に、読者の気にかかる問題点に触らずにスルーしたような印象が残ってしまうのです。
【CASE3】
主人公の少年(高2)は不思議な洞窟を発見する。奥へ進むと、まるで“あの世”みたいな異界が現れる。そして異界への境界を超えると、時間の流れが“この世”よりもはるかに遅くなるのだ。
……といった設定のお話です。アーヴィングの『リップ・ヴァン・ウィンクル』(1819-20)と、かなり似ていますね。
この洞窟の奥の異界に長時間滞在すると、浦島太郎みたいに“この世”の時間から取り残されてしまうのですが、そんな浦島太郎に彼女がいたとしたら……という、SF仕立てのラブロマンス。
しかし気になる点がいくつか……
① 主人公の少年は携帯電話を持っています。それで洞窟の奥の異界に入ったらどうするか? 普通、写真を撮影するでしょう。しかし全編を通じて一度も、異界の写真撮影を試みた形跡がありません。
② 主人公の少年は、洞窟のどの地点から異界の影響下に入って、時間の進み方が異なるのか、その境界線の位置を測定しようとします。
誰でも思いつくのが、時刻表示を合わせた時計二個を使う方法。
小型デジタル時計二個を十数メートルの紐でつなぎ、洞窟内のA地点に一個を置き、紐を伸ばしながら進んでB地点にもう一個を置いて戻る。時間を置いてA地点の時計を持ってB地点の時計に走り寄って時刻を比較する。秒表示まで一致していれば、そこはまだ異界ではない。
続いてB地点に時計一個を残して紐を伸ばしつつC地点へ移動して一個を置き……と、尺取虫方式で時計を置いては回収して前進し、どこかで時刻表示にズレが出れば、そこから異界が始まっていることになる。……のだけれど、主人公はもっと大変な肉体的に負担の多い、しんどい方法を実施する。時計二個を使う方法は小学生でも考えつきそうなものだが?
③ 主人公は以前、自分のミスで妹を死なせたことを気に病んでいる。もしかして洞窟の異界で妹に逢えるのではと願って探検するのだが……。
で、幽霊なのか幻なのかわからないけど、“妹”らしき存在に出会う。
このとき主人公が真っ先にすべきことは、妹への謝罪でしょう。「ごめん、兄ちゃんが悪かったんだ」と。しかし物語では、謝罪した形跡がありません。泣いて土下座して謝ってもいいのですが、そうすることなくストーリーが進みます。主人公の心に深く刻まれた重要なトラウマだけに、気にかかりますが……
これも、とてもいい作品です。
しかしこちらも、美しい結末を優先するために「細かいことは気にしない」的に、読者の気にかかる問題点に触らずにスルーしたような印象が残ってしまうのです。
【次章へ続きます】




