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井戸端の新しい顔

春の終わり、吉備の村に新しいお嫁さんがやってきた。


門の家に嫁いできた春江という若い女性だった。


その話は、本人が村に来る前から井戸端で広まっていた。


「今度のお嫁さん、どんな人なんじゃろうね」


とみさんが言うと、ふみがすぐに口を挟んだ。


「若いんじゃろ? どこから来たんかね。兄弟はおるんかね。畑仕事はできるんかね」


「ふみさん、あんたが嫁に行くわけじゃないんよ」


きぬさんが笑った。


「そりゃあ、気になるじゃろ。知らん人が来るんじゃけえ」


「そんなに気になるなら、本人に聞いたらええが」


おさよさんが言った。


「もちろん聞くよ。うちは人見知りせんけえ」


「誰が人見知りせんのかね。あんたは人の話を聞く前に、自分の話を始めるじゃろ」


「そんなことないよ」


ふみはそう言ったが、みんなが笑った。


数日後、ふみは井戸端で春江を見かけた。


少し離れたところで、水を汲もうとしている。


「あんたが、今度のお嫁さん?」


春江が振り返った。


「はい。春江といいます」


「そうかそうか。うちはふみ。よろしくね」


ふみは、挨拶もそこそこに春江の顔を覗き込んだ。


「まあ、きれいな人じゃねえ。どこから来たん? ご実家は遠いん? ここの暮らしには慣れた?」


春江は、次々に飛んでくる質問に少し戸惑った。


「ええと、まだ来たばかりなので……」


「ああ、ごめんごめん。うちは聞きたいことがいっぱいあるんよ」


そこへ、おさよさんたちもやってきた。


「ふみさん、いきなり質問攻めにしたらいけんよ」


「そうじゃね。ごめんね。うち、こういう性分じゃけえ」


ふみは悪びれずに笑った。


「でも、困ったことがあったら何でも聞きんさい。村のことなら、だいたい分かるけえ」


「だいたい、じゃろ?」


きぬさんが横から言った。


「きぬさん、そこは黙っとってよ」


春江は、思わず笑った。


それから、ふみは春江を見かけるたびに声をかけるようになった。


畑で会えば、野菜の育て方を教える。買い物に行けば、店の場所や値段のことを教える。村の行事があれば、あれこれと説明する。


ただし、教えることが正しいとは限らなかった。


ある日、春江が畑で草を抜いていると、ふみが通りかかった。


「春江さん、それは抜かんほうがええよ」


「そうなんですか?」


「そうそう。大事な野菜じゃけえ」


春江は手を止めた。


そこへ、義父がやってきた。


「ふみ、それは草じゃぞ」


「えっ?」


「野菜はこっちじゃ」


ふみは一瞬、黙った。


春江が笑いをこらえている。


「まあ、今日は間違えんかったと思うんじゃけどね」


「ふみさん、前にも間違えたんですか?」


「前の話はせんでええんよ」


春江はとうとう声を出して笑った。


ふみもつられて笑った。


「まあ、こんなこともあるわ。失敗せんと覚えんけえね」


そう言いながら、ふみは自分の失敗を棚に上げて、春江に畑仕事を教え始めた。


春江が嫁いでからしばらくして、ふみは少し気になることがあった。


井戸端で顔を合わせても、春江はどこか遠慮がちだった。笑ってはいるが、何かを気にしているようにも見えた。


「春江さん、家ではどうなん?」


ある日、ふみが尋ねた。


「どうって?」


「姑さんや舅さんとは、うまくいっとる?」


春江は少し困った顔をした。


「まあ、いろいろ教えてもらっています」


「そうかねえ。うちも最初は大変じゃったよ。源吉さんは畑のことにうるさいし、ふささんは家のやり方があるし」


「ふみさんも、そうだったんですね」


「そりゃあ、そうよ。うちなんか、最初は何をしても怒られとったんじゃけえ」


そこまで言って、ふみは少し考えた。


「まあ、今でも怒られるけどね」


二人は笑った。


春江は、少しだけ肩の力が抜けたようだった。


ある日、ふみは春江の家の前を通りかかった。


庭先には洗濯物が山のように積まれている。春江は一人で洗濯をしていた。


「春江さん、えらい洗濯物じゃねえ」


「そうなんです。なかなか終わらなくて」


「手伝おうか?」


「いえ、大丈夫です」


「遠慮せんでええよ。うちは手伝うのが好きなんじゃけえ」


そう言って、ふみは返事を待たずに洗濯物を手に取った。


しばらく二人で手を動かしていると、ふみはいつもの調子で話し始めた。


「ところで、春江さん。門の家のご飯はどうなん? 味付けは濃いんかね。うちは最初、源吉さんの好みが分からんでねえ」


春江は少し笑った。


「うちは、まだ気を使ってしまって。何を出したらいいか迷うんです」


「分かる分かる。うちも最初はそうじゃった。けど、毎日作っとったら、そのうち分かるようになるよ」


「そうでしょうか」


「大丈夫よ。うちなんか、今ではふささんに味付けを教えとるくらいじゃけえ」


そのとき、春江がふみの顔を見た。


「本当ですか?」


「……いや、たまにね」


ふみは少し目をそらした。


春江が笑い出す。


「ふみさん、面白いですね」


「面白いいうより、正直なんよ」


ふみも笑った。


その帰り道、ふみは自分が少ししゃべりすぎたことに気づいた。


春江は、まだこの家の暮らしに慣れていない。自分の経験を話すつもりが、いつの間にか自慢話のようになってしまった。


「また余計なことを言うてしもうたかねえ」


ふみは独り言を言った。


それでも、次の日になると、また春江のことが気になった。


井戸端で春江の姿を見かけないと、どうしたのだろうと思う。顔を合わせれば、つい話しかけてしまう。


ある日、春江が井戸端に来なかった。


「今日は春江さん、来とらんね」


ふみが言うと、おさよさんが答えた。


「家のことで忙しいんじゃないかね」


「そうかねえ」


ふみは少し考えてから、立ち上がった。


「ちょっと行ってくるわ」


「また、おせっかいかい?」


きぬさんが笑う。


「そうよ。悪い?」


「いや、あんたらしいわ」


ふみは春江の家へ向かった。


春江は庭先で一人、洗濯物をたたんでいた。


「春江さん!」


「あら、ふみさん。どうしたんですか?」


「どうしたもこうしたもないよ。最近、井戸端で見んけえ」


「すみません。ちょっと家のことが忙しくて」


「謝らんでええよ。うちが勝手に気になっただけじゃけえ」


春江は少し黙ったあと、ぽつりと言った。


「実は、まだこの家の暮らしに慣れなくて。何をするにも気を使ってしまうんです」


ふみは、すぐに返事をしなかった。


自分が嫁いできたころのことを思い出していた。


家のやり方が分からず、失敗しては落ち込み、誰にも言えずに泣きたくなった日もあった。


「そうじゃろうね。うちも、最初は家に帰りたくなる日があったよ」


春江が顔を上げた。


「ふみさんも?」


「そりゃあ、あったよ。ええ顔ばっかりしとったけど、腹が立つこともあったし、泣きたい日もあった。今でも源吉さんに小言を言われたら、心の中では言い返しとるんよ」


「ふふふ」


「口に出したら、また面倒じゃけえね」


二人は笑った。


ふみは、少し声を落として続けた。


「無理して、ええ嫁さんになろうとせんでもええよ。分からんことは聞けばええし、嫌なことがあったら、うちに言いに来たらええ。うちも、全部うまくいっとるわけじゃないけえ」


春江は、ゆっくり頷いた。


「ありがとうございます」


「礼はいらんよ。うちも、ここへ来たときは、いろんな人に助けてもろうたんじゃから」


その帰り道、ふみは自分の母のことを思い出した。


父が亡くなったあと、母は一人でふみを育ててくれた。あのころ、母のそばにはちづがいた。


たなかで働くように声をかけてくれたのも、何かと気にかけてくれたのも、ちづだった。


母は、ちづと話しているとき、よく笑っていた。


ふみは、子どものころ、その笑顔を見るのが好きだった。


母にも、頼れる人がいたから、少しは気持ちが楽になったのかもしれない。


自分も、母やちづ、近所の人たちに助けられてきた。


そう思うと、春江のことを放っておけない気持ちが、少し分かるような気がした。


ただ、ふみは自分が人の世話を焼きすぎることも分かっていた。


夫からも、よく言われる。


「ふみは、よその家のことまで心配しすぎじゃ」


「心配しとるんじゃないよ。気になるだけ」


「それを心配しとる言うんじゃ」


「そうかねえ」


ふみは笑ってごまかした。


春江との付き合いは、少しずつ深まっていった。


二人でお茶を飲み、畑の話をし、家族の話をした。


春江は、ふみの話を聞くのが好きだった。ふみは、春江の話を聞くのが好きだった。


もっとも、ふみの話が長くなりすぎて、春江が笑いながら「ふみさん、もうその話は三回目です」と言うこともあった。


「そうじゃったかね。大事な話じゃけえ、何回でも言うんよ」


「はいはい」


そんなやり取りが、二人の間に増えていった。


ある日の帰り際、ふみは春江に声をかけた。


「今度、うちに来んさい。まんじゅうを買うてあるんよ」


「また、まんじゅうですか」


「まんじゅうは何回食べても飽きんのよ」


「ふみさん、本当に好きですね」


「好きなもんは好きなんじゃけえ」


ふみは胸を張った。


春江が笑った。


その笑顔を見て、ふみはうれしくなった。


海辺の町で、母と二人で暮らしていたころ。母のそばには、ちづがいた。


自分も、母やちづに支えられてきた。


今度は、自分が誰かのそばにいてやれたらいい。


そう思いながらも、ふみは少し照れくさくなった。


「まあ、うちも人の世話ばっかり焼いとらんで、自分の家のこともせんといけんね」


春江が笑った。


「ふみさん、もう帰ってご飯を作らないと」


「あっ、いけん! 忘れとった!」


ふみは慌てて歩き出した。


「またね、春江さん!」


その背中を見送りながら、春江は笑っていた。


ふみは、いつも少し忙しい。


人のことが気になり、話したいことがあり、やることを忘れては慌てる。


けれど、誰かが困っていると、知らん顔ができない。


そんなふみの毎日は、今日も賑やかだった。

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