第一部 第28話(第一部最終話) 忍者失格
『忍者は目立ってはならない』――それが鉄則である。
シャワー室でのあの大騒動の直後、カノープスは急いで『忍者訓練施設』へと赴いたが、そこにハダルの姿はなかった。
翌朝、早朝のうちに生徒会室を訪れたカノープスは、シリウス会長へ『魔法生物部』の撤収後処理についての報告を済ませた。
報告を終えて退出しかけた際、シリウスがふと引き止めるように声をかけてきた。
「ところで……君とスピカ君について、妙な噂を耳にしたのだが……それは事実かな?」
「問題となるような事実は一切ございません」
カノープスが即座に答えると、シリウスは静かに頷いた。
「僕は君たちを信じているよ」
「だが……退学処分になるような事態だけは避けてほしい」
「僕は……君たちを失いたくはないんだ」
「温かいお気遣い、ありがとうございます。ですが今回の件に関しましてはご心配無用です。ご安心ください」
恭しく告げて生徒会室を後にしたカノープスだったが、心の中で首をかしげた。
(……一体どんな噂が立っているというのだ?)
その疑問は、廊下を出てすぐに氷解した。
「おい見ろよ、エロ忍者だぜ!」
「カノープスとスピカさんが一緒にシャワーを浴びてたって本当かよ!?」
「いや、カノープスが強引に女子シャワー室へ押し入ったって話だぜ?」
「私はカノープスと編入生のモブ君が一緒にシャワーを浴びたって聞いたけど……」
「忍者って……そういうアブノーマルな人が多いのかしらねぇ」
『忍者は目立ってはならない』――繰り返しになるが、それが忍びの鉄則である。
しかし現在、ハイクラス忍者カノープスは、学園中で最も注目を集め、目立ちまくっていた。
(((みんな好き勝手言いやがって……!! っていうか、モブ君とシャワー浴びたって何の問題があるんだよ!!)))
心の中で激しくツッコミを入れつつも、今のカノープスにとって何よりも優先すべきは、ハダルの誤解を解くことだった。
噂話に花を咲かせる人ゴミの中で、カノープスは必死にハダルの姿を探した。
その途中、偶然スピカと鉢合わせた。
「カノープス君! 変な噂が立っちゃってるけれど……カノープス君は何も悪くないんだから、気にしないでね!」
「あ……ありがとうございます。スピカさん」
短い会話を交わしただけでも、周囲からの視線が突き刺さるように痛い。
二人はそそくさと距離を置いた。
(スピカさんだって酷い噂の被害者なのに、僕のことを心配してくれるなんて……また惚れてしまうだろ…もう…)
だが、今の自分の本命はハダルだ。
校舎の角を曲がったところで、カノープスはようやくハダルの姿を視界に捉えた!
カノープスの姿を認めたハダルは、冷たく一瞥をくれると露骨に視線を逸らし、隣にいたスティーブの腕をぎゅっと掴んで踵を返した。
「行きましょう、スティーブ先輩!」
「あ、悪いなカノープス!」
スティーブが後ろ手で手を振りながら去っていく。
「ま、待ってくれハダル君! 話を聞いてくれーーー!!」
カノープスの必死の叫びも虚しく、ハダルは振り返ることなく去っていった。
一人取り残されたカノープスは、去り際にハダルが見せたあの瞳を思い返した。
(あぁ……完全にゴミを見るような目だった……)
あの『ミゾミミズ』は、粉にされても煎じられてもいないというのに、カノープスとハダルの間に見事なまでの「離間の計」を成功させてしまったのだ。
(あの時……二人で迷彩壁紙に包まった時のあの温もりは、一体何だったのだろう……)
カノープスの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
そうだ、自分は闇に生きる忍者なのだ。
ほんの少し、甘い夢を見ていただけなのだ――。
必死でそう自分に言い聞かせていると、背後から底意地の悪い声が響いた。
「よーお、学園公認のエロ忍者さんよー」
振り返ると、第二王子リゲル・ランスターが意地悪な笑みを浮かべて立っていた。
「お前……スピカのシャワー室に強引に入り込んだって、マジか?」
カノープスは視線すら合わせず、リゲルの問いかけを完全に無視した。
「おい! 聞いてんのかア!?」
「俺は舞踏会での借りを忘れたわけじゃねえんだぞ!!」
激昂したリゲルが、カノープスの胸ぐらを強く掴み上げた。
カノープスはすっと視線を上げ、冷徹な瞳でリゲルを見つめると、静かに呪文を呟いた。
「忍スキル――『金縛り』」
「……っ!?」
リゲルの身体の自由が、一瞬にして完全に奪われた。
身の危険を察知したリゲルは、即座にソードマスターのスキルを発動させる!
「『マインドリセット(精神回復)』!」
強力な精神防御で金縛りを破り、身体の自由を取り戻した――と思った次の瞬間、己の首元にヒヤリと鋭い冷たさが押し当てられていた。
カノープスのクナイが、寸分違わずリゲルの頸動脈を捉えていたのだ。
「スキル――『クリティカルサーチ(致命傷探索)』」
冷酷な殺気を前に、リゲルは冷や汗を流しながら苦し紛れに吐き捨てた。
「……っ! 王族に刃を向ける気か……!?」
カノープスは淡々と言い放った。
「……ふーん。自分が不利になると王族を盾にするんですね」
「かっこいいですね、リゲル第二王子」
クナイを引くと、カノープスはそのまま振り返ることもなく歩み去った。
「お、覚えていやがれ……!!」
去り行く背中に捨て台詞を吐いた瞬間、リゲルは(うわ……このセリフ、めちゃくちゃダサい……)と心の中で頭を抱えた。
◇
『忍者訓練施設』の敷地内でハダルが一人修練に励んでいると、珍しい来訪者がやってきた。
「ハダルさん、少しお話を聞いてもらえるかな?」
そこに立っていたのは、噂の渦中にいるスピカ・マセットだった。
スピカは、昨日の出来事のすべてを誠実かつ丁寧にハダルへ打ち明けた。
『魔法生物部』での水槽事故のこと。そして、スピカの髪からシャワー室に現れたミゾミミズを、カノープスが嫌がる素振りも見せずに必死に取り除いてくれたこと――。
すべてを聞き終えたハダルは、静かにスピカへ尋ねた。
「どうして……このことを私に話しに来てくれたんですか?」
スピカは優しく目元をほころばせた。
「あの時ね……カノープス君、ハダルさんに誤解されたら困るって感じで、本当に必死だったから」
「(((……!)))」
ハダルの胸の奥に固まっていた重く冷たい塊が、すうっと溶けて消えていくようだった。
「……ありがとうございます、スピカさん! 私、先輩を探してきます!」
◇
ハダルは、カノープスをすぐに見つけることができた。
あの学園祭の時、二人で迷彩壁紙に包まった、庭園の思い出の大きな木の下にいたからだ。
「カノープス先輩……!」
ハダルが声をかけると、木陰で丸くなっていたカノープスが跳ね起きた。
「ハ、ハダル君……!?」
見上げると、なぜかカノープスの両目は真っ赤に腫れ上がっていた。
「なんですかそのお顔!『学園一の凄腕忍者カノープス』が台無しじゃないですか!」
「う……うぅ……色々とごめんよ、ハダル君……!!」
ハダルの優しい笑顔を見た瞬間、カノープスは我慢していた感情が決壊し、子供のようにポロポロと大粒の涙を溢れさせた。
「もう……本当にしょうがない先輩ですねぇ」
ハダルは呆れつつも愛おしそうに微笑むと、指先でカノープスの目元を優しく拭った。
(あぁ……本当に僕は、忍者失格だな……)
泣きじゃくりながら、カノープスは心の中で自笑した。
ミルキーウェールズ王国が誇るハイクラス忍者カノープスは、ハダルの温かい指先のぬくもりを感じながら、胸がいっぱいに満たされていくのを確かに実感していたのだった。
◇◆◇
その頃――遠く離れた『ロメーダ帝国』の暗い閣議室にて。
参謀のデネボラが、静かに主君へと頭を垂れて報告を行っていた。
「レグルス皇帝陛下。例の件……開催地変更の議が、無事了承されました」
玉座に深々と腰掛けたレグルス皇帝が、冷徹な笑みを浮かべる。
「よくやってくれた。……当日が楽しみだな」
皇帝は窓の外のミルキーウェールズの方角を見つめ、静かに野望を口にした。
「我々が望めば、すべては思い通りになる。……今回の件も、そして『聖女』の件もな」
スピカたちのあたたかな日常の裏で――世界各国の巨大な思惑と陰謀が、静かに、そして確実に動き出そうとしていた。
――第一部 完――
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