第一部 第24話 潤う心、揺らぐ決意
カノープスが生徒会室へ赴いたものの、そこにスピカの姿はなかった。
室内にいたのは、副会長のルスカと会計のベガだ。二人は学園祭関係と思われる大量の書類と格闘していた。
その大半は、当初の予算を大幅にオーバーした実行金額の再申請書類であった。
カノープスはルスカに向かって静かに尋ねた。
「他の皆様はどうされたのですか?」
ルスカは片手に書類を持ったまま、重厚な声で答える。
「シリウス会長とデネブ書記は要人との面会中だ。スピカ庶務は各展示施設の撤収作業の視察に向かっている。……ちょうどいい、カノープス庶務もスピカ庶務の手伝いに向かってもらえないか?」
「かしこまりました」
カノープスが深々と一礼し、立ち去ろうとしたその時――ルスカが彼を呼び止めた。
「カノープス君。……その『ラックの宝珠』、効果が切れているぞ。私が再付与してあげよう」
「『ラックアップ(幸運度上昇)』!」
ルスカがパラディンのスキルを発揮し、手慣れた仕草で呪文を唱えると、カノープスの腕に巻かれたハダルからの御守りは、眩い輝きを取り戻した。
「……ありがとうございます、ルスカ副会長」
「礼には及ばん。スピカ庶務を頼んだぞ」
カノープスは静かに生徒会室を後にすると、スピカの元へと急いだ。
◇
その頃――スピカは『魔法生物部』の展示現場で、前日に続いて撤収のヒアリングを行っていた。
魔法生物部部長のサムが、悲壮感漂う顔でスピカに訴えかけている。
「スピカ君……! クマムシマンが今日も乾眠モードに入ったまま、水をかけても一向に戻らないんだ……!」
(……やっぱり)
スピカは切ない溜め息をついた。
学園祭の最中、重厚な鎖で繋がれ、子どもたちのボール投げの的にされていた彼のメンタル消耗は、察するに余りある。
(子どもたちが喜びそうな企画だったとはいえ……あの企画は私が止めるべきだったのかもしれないわ)
スピカは、固く乾ききった塊に向かって申し訳なさで胸を痛めた。
そこへ、カノープスが静かに姿を現した。
「スピカさん、どうかしましたか?」
カノープスが声をかけると、スピカはカラカラに乾いたクマムシマンの塊にそっと頬を寄せ、悲しそうに答えた。
「彼……学園祭で辛い思いをして、心を閉ざして元気度を無くしてしまったの……」
スピカの温もりと吐息に触れ、乾いたその塊が一瞬、小さな光を放ったように見えた。
スピカはクマムシマンを優しく床に置くと、真剣な面持ちで呪文を唱えた。
「『バリア・コンストラクション・スモール(小結界構築)』!」
瞬時にスピカの周囲へ展開される、清らかな小防壁。
続いて、彼女の可憐な唇から慈愛に満ちた呪文が静かに紡がれる。
「『ヒール(効果付与回復)』……!
『クリエイトウォーター(水出現)』……! 『ホーリー(神聖属性付与)』!」
聖なる光をまとった水が溢れ出すと、乾いていた塊は瞬く間に水分を吸収し、みるみるうちに人の形へと形を変えていった。
やがて、本来の姿を取り戻したクマムシマンが、力なく呟いた。
「スピカさん……私は、一体……?」
スピカは、屈んで彼の顔を覗き込み、心からの優しさで微笑みかけた。
「あなたは辛い思いをして、心を閉ざしてしまっていたのね。……この方陣の中で、しばらくゆっくり休んでいるといいわ」
「……ありがとうございます、スピカさん」
クマムシマンは、涙を浮かべて微かな笑顔を返したのだった。
◇
人智を超え、魔法生物の傷ついた精神さえも瞬時に癒やしてしまう彼女の「奇跡」――。
それを再び目の当たりにしたカノープスは、己の胸に強く強く言い聞かせるように思った。
(……自分は、彼女を己のものにしたいわけではないのだ。……自分はただ、彼女の放つ神聖さに憧れ、それを陰から護りたかっただけなのだと)
カノープスは一度は決意したはずの心が、静かに、そして激しく揺れ動くのを感じた。
しかしーー腕に巻き付けられたハダルの『ラックの宝珠』の温もりを支えにその決意を再び奮い立たせた。
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