第一部 第23話 忍者の罠
盛大な盛り上がりを見せた学園祭も終わり、祭りの後の余韻がまだかすかに漂うメレンヘア学園。
秋風が吹き抜ける庭園に、佇む影があった――カノープスだ。
静けさの中で、彼は学園祭の最中に後輩のくノ一、ハダル・ギレスがくれたあの温もりを思い出していた。
(これは……狂った歯車を元に戻すチャンスなのだ)
カノープスは静かに思案を巡らせる。
カノープスの家系は、代々ミルキーウェールズ王家を表裏で支えてきた名家であった。
表では外交の調整役として、裏では諜報活動の幹部機関として、国家の安寧のために忠誠を捧げ続けてきたのだ。
カノープス自身もまた、若くして国の諜報活動に携わり、第一王子シリウスに見出された。
彼に心酔し、国家と主君のためにこの命を捧げると誓ったはずだった。
――そう、あの少女が現れるまでは。
冷静冷徹に務めを果たしてきた彼の歯車が狂い始めたのは、スピカ・マセットがこの学園に編入してきてからだ。
不本意ながら彼女のあまりに美しく眩い肢体に遭遇してしまったあの日以来、カノープスの胸の中に、自分でも理解できない暗い感情が芽生えた。
(彼女を誰にも渡したくない。誰にも汚されたくない……たとえそれが、私が忠義を捧げた王子であっても――)
あの日も、自分は狂っていた。
あの日――スピカに何か異変があれば王子に報告するのが、本来の彼の任務であった。
彼女が一人で裏庭へ向かった時、ただその事実をシリウスに報告さえしていれば良かったのだ。
しかし――自分は、彼女に王子を近づけたくはなかった。
カノープスは王子を迷わせるためにモブ・デュランの元へと誘導し、時間を稼いだ。
そして、彼女のいる裏庭へと先回りし、不穏な罠を仕掛けたのだ。
主君の頭上から足元に花瓶を落とし、彼女に近づくなと警告するつもりだった。
だが――焦りから目測を誤り、花瓶はシリウスの頭部を直撃してしまった。
血を流して倒れるシリウスを見下ろした時、カノープスは自らの犯した罪の重大さに血の気が引いた。
もし第一王子の身に万一のことがあれば、自分は『王族暗殺』という最悪の国家反逆罪を免れない。
自らが招いた狂気と恐怖に、身体が震えた。
そんな彼と王子を土壇場で救ったのは、スピカの起こした奇跡――聖なる『ラージヒール』の奔流だった。
彼女の放った圧倒的な魔力はシリウスを包み込み、その傷を時間を巻き戻すかのように完治させたのだ。
皮肉なことに、彼女を王子から遠ざけるために仕掛けたはずの花瓶は、彼女と王子を結びつける最大のきっかけとなってしまった。
その後も、彼女にシリウスやリゲルが接近するたび、カノープスの心には逃れられない激しいさざ波が立ち、胸を締め付け続けた。
その苦しいさざ波を――静かに鎮めてくれたのが、ハダル・ギレスだったのだ。
(私は……ハダルに報いなければならない)
もう、スピカ・マセットへの歪んだ想いは封印すべきだ。
カノープスは、自らの内に秘めた過ちと想いに対し、一つの決断を下そうとしていた。
「生徒会室へ行こう」
カノープスは腕に巻き付けられた、ハダルからの贈り物――『ラックの宝珠』にそっと指先で触れ、その温もりを確かめた。
己の暗い感情に決別を告げるため、彼はスピカの待つ生徒会室へと足を踏み出したのだった。
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