第一部 第22話 うわさの女
女子寮の特別室――。
デネブはどこか釈然としない胸騒ぎを感じながら、寝所についていた。
(……なんだか胸騒ぎがして眠れないわ!)
その時、バタンと部屋の扉が開け放たれ、メイドが青ざめた顔で駆け込んできた。
「お、お嬢様! 大変でございます!!」
「なになの、夜遅くに騒々しいわね」
「例の編入生の小娘とシリウス王子が……『一緒にお風呂に入った』と学園中で噂になっております!!」
「(((!!!)))」
デネブはカッと目を見開き、淑女の仮面を即座に叩き割った。
「あの小娘ーーーーッ!! やってくれたわね!! 今から私も殿下と一緒にお風呂に入るわーーーっ!!」
冷静さを完全に失った主人を、メイドが必死で引き留める。
「お嬢様! 落ち着いてください! お静かに!!」
「ハッ……!」
我に返ったデネブは、ゴホンと咳払いをして優雅な素振りを取り繕った。
「そ、そう……。殿下のお遊び好き(?)にも困ったものね……ふふふ……」
しかし、デネブの心中は決して穏やかではなかった。
(よりによって殿下とお風呂だなんて……よりによって殿下とお風呂……よりによって殿下とお風呂だなんてーーーーっ!!)
デネブは呪詛のように、その言葉を頭の中でぐるぐると繰り返すのだった。
◇
翌朝――スピカが登校すると、校舎のあちこちからヒソヒソと囁く声が聞こえてきた。
「おい、聞いたか!?」
「うん、聞いた! あの子、二人の王子と一緒にお風呂に入ったらしいぜ!」
「えっ!? 俺はあの子とカノープスと第二王子が一緒にお風呂に入ったって聞いたけど……」
「俺はあの子とシリウス王子とモブ君が一緒にお風呂に入ったって聞いたぞ?」
「僕は、あの子とシリウス王子が一緒にお風呂に入ってケンカしたって聞いたよ!」
(((なんでカノープス君やモブ君まで混ざってるのよーーーー!!??)))
登場人物が勝手に増え、もはやカオスな『混浴パーティー状態』である。
卒倒しそうな目眩をこらえ、スピカは深く天を仰いだ。
(私……まさに噂の女……!)
(……みんなー。とりあえず一回、お風呂から離れようかーーー……?)
(あぁ……周りからの視線が痛い……刺さるように痛い……)
うなだれるスピカに、ナンシーが優しく寄り添う。
「スピカさん、元気を出して……!」
クレアもグッと拳を握りしめ、スピカを勇気づけた。
「噂の鎮火は私に任せて!『一緒にお風呂に入ったのはスピカの弟さんたち!』ってみんなに言いまくって広めるから!」
(……まあ、それはそれで年頃の女子としてかなり恥ずかしいのだけど……)
実家のセンシティブなお風呂事情を学園中に言い触らされるのもどうかとスピカが思っていると、そこへ高飛車な声が鋭く投げかけられた。
「ちょっと、良いかしら?」
振り返ると、取り巻きのお供を引き連れたデュポン侯爵家の令嬢、イザベラが仁王立ちしていた。
「あなたね! 殿下と一緒にお風呂に入って、殿下をたぶらかしたのは!!」
クレアが即座にスピカの前に割って入る!
「違うわ! スピカは殿下とお風呂なんて入っていないわ! 一緒にお風呂に入ったのはスピカの弟さんたちよ!」
(……だからそれはそれで恥ずかしいってば……!)
スピカが地味な精神的ダメージを受けているのも知らず、イザベラは嘲笑を浮かべた。
「ふん、どうだか!」
「聞けばあなた、半年前までは庶民同然の暮らしをしていたそうですわね? 」
「下々の殿方とも、さぞお盛んだったんじゃないかしら?」
お供の生徒が大慌てでイザベラの袖を引く。
「イ、イザベラ様……! その発言は少々お上品ではないかと……!」
「コホン!」
イザベラは誤魔化すように咳払いをすると、さらに捲し立てた。
「とにかく! 色香で殿下を惑わすなんて言語道断! 」
「学園の風紀が乱れますわ! 」
「あなたのような者が、なぜこの学園に入学できたのかしらね!?」
「――お取り込み中、失礼するよ」
教室に、涼やかでよく通る澄んだ声が響き渡った。
イザベラが恐る恐る振り返ると、そこには噂の渦中の人物――シリウス王子が佇んでいた。
「で、殿下……!!」
イザベラはシリウスの姿を見るやいなや、激しく動揺して狼狽した。
「あ、あの……その……! 殿方がお盛んだとかそういう意味ではなくて! 私が殿下と一緒にお風呂に入りたいとか、そういうのでもなくて……!」
お供が顔を青くしてイザベラの手を引っ張る。
「イザベラ様! 完全に取り乱していらっしゃいます! ここは引き下がりましょう!」
シリウスは退室していくイザベラ一行を静かに見送ると、教室全体に向かって威厳に満ちた声を響かせた。
「みんな、聞いてほしい。……僕が彼女と一緒にお風呂に入ったという噂は、神に誓って完全な事実無根だ。彼女には何一つ罪はない!」
シーンと静まり返る教室。シリウスは言葉を重ねる。
「これ以上、この件に関して悪質な風評を立てる者がいれば……僕は生徒会長として、厳しい処分を下すことを厭わないよ」
凛とした警告を発した後、シリウスは優しくスピカに視線を向けた。
「スピカ君。放課後、生徒会室に来てくれるかい?」
「……はい」
「あの……シリウス会長!」
「なんだい?」
「……ありがとうございます!」
シリウスは爽やかに微笑んだ。
「放課後、生徒会室で待っているよ。それじゃあ」
シリウスは短く告げると、風のように教室を去っていった。スピカはその頼もしい後ろ姿を、じっと見つめていた。
◇
放課後――。
スピカは重い足取りで生徒会室の扉を叩いた。
部屋に入ると、豪華な椅子に深く腰掛けたシリウスが待っていた。
「シリウス会長……」
「やあ」
スピカは神妙な面持ちで歩み寄ると、一枚の書類を差し出した。
「……これを」
「なんだい、これは?」
シリウスはスピカの目をじっと見つめて問いかける。
「……私は、生徒会役員の職務を途中で放棄しました。メレンヘア学園の生徒会役員として……失格です。辞表を提出させていただきます」
シリウスはしばし沈黙した後、静かに首を振った。
「……これは、受け取れないな」
「えっ……?」
シリウスは深く椅子に背をもたれかけ、柔らかい眼差しでスピカを見つめた。
「僕はね、学園祭の時に魔法生物部の展示を見学したんだ」
「子どもたちがトグへもんの周りに集まって、とても楽しそうに触れ合っている姿を見たよ。……もしトグへもんが鎖で繋がれていたら、あの子たちの笑顔は見られなかっただろうね」
「会長……」
「それだけじゃない。君が報告書で知らせてくれた各展示の改善点も、みんなが安全に楽しむためにとても役立っていた。……少なくとも、今の僕には君が必要だ。僕は、君にこの生徒会に残ってほしい」
スピカの瞳に、ポロポロと温かい涙が溢れ出した。
「……ズルイです、会長……! そんな風に言われたら……辞められないじゃないですか……!」
シリウスは心底嬉しそうに、弾けるような笑顔を向けた。
「ふふっ。じゃあ、今日も仕事がたくさんあるよ。……まずは、各展示で当日に不具合がなかったか、ヒアリングをしてきてもらえるかい?」
スピカは濡れた目元を拭い、満面の笑みで答えた。
「はいっ! お任せください! 早速行ってまいります!」
晴れやかな顔で生徒会室を飛び出していくスピカ。
その様子を廊下で見守っていた生徒たちが、コソコソと囁き合った。
「あれ……? 編入生、めちゃくちゃ笑顔で出てきたぞ?」
「会長と……仲直りしたのかな……?」
◇
各施設のヒアリングをすべて終え、女子寮の自室に戻ったスピカは、ベッドの上に大の字になって仰向けになり、天井を見上げた。
(……なんか色々大変だったけれど、丸く収まって本当に良かったな……)
コンコン――。
「あのー……スピカ。ちょっと良い?」
扉の向こうからクレアの声がした。
「どうぞ!」
スピカが入室を促すと、クレアはなぜかもじもじと気まずそうに部屋に入ってきた。
「あのね……すごく言いにくいんだけど……」
「なに?」
クレアは恐る恐る、スピカの顔を覗き込んだ。
「スピカが……シリウス会長と『お風呂で仲直りした』って噂、本当……?」
スピカは、遠い目をして天井を見つめた。
(((みんなーーーー。一旦、お風呂から離れようかーーーーー……??)))
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