第一部 第10話 新米くノ一ハダル・ギレス
忍者訓練施設の道場で、一人静かに道具の手入れをしていたカノープスに、スティーブが馴々しく話しかけてきた。
「なぁ~、もう仲直りしようぜ。どういう心境の変化か知らんが、第二王子も例の女子の監視をやめたしさぁ」
「あの人のことは関係ない」
つれない返事をする同僚に、スティーブはヘラヘラと話題を切り替える。
「そういえば今日、レンジャーから新しい『くノ一』が昇格してくるらしいぞ。かなりのカワイイ子らしい!」
『カワイイ子』というワードにピクッと眉を反応させたカノープスだったが、すぐに表情を崩さず突っ撥ねた。
「……関係ない!」
「あっ、早速来たみたいだぞ!」
道場の入り口には、レンジャーの軽装備に身を包んだ一人の少女が佇んでいた。
少女は可憐な口元を緩め、凛とした声を響かせる。
「初めまして! 今日から皆様と研鑽を積むことになりました、ハダル・ギレスです。よろしくお願いします!」
淡い桃色の唇。柔らかな亜麻色の髪の隙間から覗く、茶色のつぶらな瞳がカノープスを真っ直ぐに見つめてきた。
(あっ……目があった……!)
カノープスは一瞬で顔を真っ赤にし、思わず目を逸らした。
「俺、スティーブ! よろしくな! はいこれ、お近づきの印の『忍者飴』!」
パシッ――!!
放り投げられた飴を、カノープスが空中できっちりキャッチし、スティーブを激しい眼光で睨みつけた。
「惚れ薬入りの飴を配るのをやめろ!」
スティーブはバツが悪そうに肩をすくめる。
「テスト! テストだって! 舐めようとしたら止めたっての!」
カノープスはハダルに向き直り、真剣な面持ちで忠告した。
「いいか、ここで差し出されるものは絶対に口にするな」
「は、はいっ!」
ハダルは恐縮して小さく頷いた。
* * *
ハダルの可憐な声をどこから聞きつけたのか、天井裏や影の中からゾロゾロと変態……もとい先輩忍者たちが集まり出してきた。
師範のアレクサンダー・ゴトウがゆっくりと入室して上座に腰掛けると、ハダルも下座に正座し直した。
「ハダル・ギレスと申します。まだまだ未熟者ですが、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます!」
「うむ」
「適性診断と忍者の『加護』は、校長先生から受けてまいりました。本日より忍者の訓練が可能です!」
「うむ」
深々と頷いたアレクサンダーは、スッとハダルの耳元に顔を近づけ、ひそひそと囁いた。
「君……『ハニートラップ』に興味はないかね?」
「忍者にそんなもの必要ありません!!」
カノープスが立ち上がり、顔を真っ赤にして師範の発言を全否定した。
アレクサンダーは気を取り直すと、二人に命じる。
「スティーブ、カノープス。彼女に基本的な忍術を教えてやってくれ」
施設筆頭のゾルゲンダー・ゴトウが、ハダルに訓練用の衣装を手渡した。
「はい、かしこまりました! よろしくお願い申し上げます!」
ハダルはペコリと頭を下げると、衣装を受け取って更衣室へと向かった。
……直後、更衣室の周囲に無数の影が群がり始める。
カノープスは無言で気配を消すと、群がる忍者たちの背中のツボを次々と正確に突き刺し、金縛りをかけて更衣室の前に転がしていった。
* * *
更衣室から出てきたハダルは、足元で身動きが取れずに転がっている先輩忍者たちを「?」と不思議そうに見下ろしながら、カノープスたちの前へと歩み寄った。
「あの……お待たせしました」
……一瞬、二人の息が止まった。
露出度が極めて高い、視線のやり所に戸惑うデザインのくノ一衣装。
ハダルの可憐な容姿も相まって、破壊力は絶大だった。
ハダルは少し眉をひそめて訴える。
「これ……ちょっとエッチすぎませんか? なんかおへその周りとか透けて見えてますし……」
「えっ、めちゃくちゃイイじゃん!!」
全肯定するスティーブを綺麗にスルーし、ハダルは上目遣いでカノープスに尋ねた。
「カノープス先輩、どうですか……?」
「……い、いいんじゃないか」
カノープスは明後日の方向を向いたまま、ボソッと答えた。
「カノープス先輩が良いって言うなら……まぁいっか!」
ハダルはパッと表情を明るくして納得した。
スティーブがカノープスの横腹を肘でつつく。
「おい、いつもの勢いで師匠(筆頭)に文句言わないのかよ?」
「…………」
カノープスは真っ赤な顔のまま沈黙を貫いた。
* * *
ハダルは二人の指導のもと、忍者としての基本動作を次々とこなしていった。
足音を殺す歩き方。
周囲の観察。
忍者走り。
障害物の乗り越え。
棒手裏剣の投擲。
どれも完璧にこなしていくハダルを見て、スティーブが感心したように呟く。
「レンジャーをマスターしてるだけあって、筋がいいなぁ!」
「あぁ」
カノープスは努めて冷静に応じる。
「なぁ……彼女、めちゃくちゃ可愛くないか?」
「…………」
スティーブの問いかけに、カノープスは再び黙り込んだ。
「うちの連中も早速、いやらしい目で陰から覗いてるぜ」
スティーブが耳打ちすると、カノープスは即座に手裏剣を構えて一閃した。
「お前たちは学園祭の準備だろうがッ!!」
「ぎゃあああ!?」
覗き見忍者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「あっ、筆頭!」
怪しい枯葉の山の中に、隠れきれていないゾルゲンダーの姿を発見したカノープスは溜息をついた。
「……まさか、師範までいませんよね?」
辺りを見回すと、ハダルが「あっ! 可愛いワンちゃん!」とはしゃいでいた。あからさまに怪しい犬が、ハダルと楽しそうに戯れている。
犬に擬態してハダルにジャレついている師範に、カノープスは冷ややかに言い放った。
「……プライドは無いんですか」
* * *
棒手裏剣を投げるハダルを眺めながら、スティーブがニヤニヤと呟いた。
「俺さぁ、あの子狙っちゃってもいい?」
「駄目だ」
カノープスは即答した。
「へ? そこは『好きにしろ』とか言う流れだろ?」
「お前だけは絶対に駄目だ!」
「ま、お前の許可なんてなくても好きにするけどね~」
スティーブがやれやれと肩をすくめると、ハダルが明るい声をかけてきた。
「カノープス先輩! 私の棒手裏剣、どうですか!?」
カノープスはハダルの元へ歩み寄ると、その手元にそっと触れた。
「的に向かって目線を合わせ……投げた後の指先はまっすぐに伸ばすんだ」
(あっ……女子に触れてしまった……!)
その瞬間を見逃さず、スティーブが下品な野次を飛ばす。
「ハッ! さりげなくボディタッチしてんじゃん! スケベ~!」
「ち、違う! これは指導だっ!!」
真っ赤になって弁明するカノープスを見て、ハダルはクスッと可憐に微笑んだ。
* * *
しばらく練習を続けた後。
ハダルがトコトコとカノープスの元へやってきた。
「ねぇ、カノープス先輩! 『ハニートラップ』って、異性を誘惑する術なんですって?」
ハダルは身体を寄せ、カノープスの至近距離で囁きかける。
「……もし私がマスターしたら、カノープス先輩も私に振り向いてくれますか?」
「っ……!!」
カノープスは爆発しそうなほど顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、そんなことはやめろ! 忍者には必要ない!!」
あまりの剣幕に、ハダルは叱られた仔犬のようにキュッと体を縮こませた。
「は、はい……ごめんなさい……」
しかし、ハダルはすぐにハッと気づき、つま先立ちになった。
「先輩……」
「……何だ」
「……鼻血出てます」
ハダルは優しく手を伸ばし、カノープスの頬にそっと触れると、ハンカチで丁寧に鼻血を拭い取ってくれた。
「……ありがとう」
夕暮れ時の忍者訓練施設は、どこか甘く柔らかで、あたたかな空気に包まれた。
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