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花火  作者: あさひ
第一章 しかけは爆弾です
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しかけは爆弾です⑨



 午前三時。岩木は枕元に置いたスマホを凝視していた。

 さしたる確証があるともない漠然とした一抹の不安から、明かりを点け、コーヒーを淹れる。

 暗い部屋での考え事は、ともすれば内向的になりがちだ。


 無防備だった胸中の風通しを良くしようと、窓を少しだけ開けると、じめじめと蒸した風が入ってきた。

 雨は夜中のうちに止んだようで、アスファルトの上で帰化した独特の匂いが立ち込めてくる。頭がズキリと痛む。昨夜は飲み過ぎた。


 ドリップしたてのコーヒーに氷を溶かして一口啜り、これから調理する食材のようにスマホを台所に置いて、換気扇の下で煙草をつける。


 動画を観終わったあとにそれらしきアプリを開くと、自分の写真がプロフィール画面として表示されていた。


 写真の上には本名がむき出しに記載されていて、下部にはチケット×1と書いてあるだけの、淡白なページだった。ただ左右にスワイプすることで、見知らぬ人のプロフィール画面に飛べる勝手がわかった。


「こんなマッチングアプリ、Tinderくらいしか入れた覚えがねえぞ」


 岩木は、このアプリがいつからあるのか、誰から送られて来た動画なのか調べようとしてみたが、どちらも分からなかった。

 肌身離さず携帯していたスマホを、誰が、いつ、どうやって細工したのか。ウイルスの類いでこういった事が出来るのか。

 インターネットやスマホのアルゴリズムに明るくない岩木には、仔細考えもつかなかった。


 あるいは日常的なレコメンデーションから嗜好がわかる、と爆弾男は言った。


「ならおれの嗜好もわかるってか」


 岩木は沈黙したスマホに話しかけてみる。乱暴に言うことで、内なる動揺への抵抗力を強めようとした。


「岩木さんはブレンドを特に好みますが、いつもの喫茶店ではアメリカンを嗜みます」という無機質な女性の音声がふと光ったスマホから流れる。


 岩木は慌てて服にコーヒーを溢した。


 溢れたコーヒーに気にもかけず、岩木はただ戦慄した。見込んだのは無反応であって、まさかそこから声が出てくるとは思わなかったからだ。


 しかるにその回答は、非番に欠かさず行うランニング後の、岩木の朝の光景だった。


 その上、アプリの画面上では写真が変わっていて、終業後の昼下がり、缶ビールと魚肉ソーセージを買ってコンビニから出て来た、昨日の自分だった。


 誰かに見られている、という感覚から、反射的に玄関を振り返る。


 まだ濡れたままのビニール傘が、だらしなく三和土にもたれているだけで、変わったところはなさそうだった。


 岩木は口も悪いが女癖も悪く、非番の前日は必ず街に出て女を漁る。

 そうして昨夜も、バベルという、カラオケもダーツもある若年層向けのバーに入っていった──。


 店内は平日の割に、比較的混んでいた。

 学校の教室ほどの広さに、十席ある丸テーブルは一つも空いておらず、仕方なくカウンターに座り水割りを頼む。


 向き直って見てみると、各テーブルで四、五人の男女が赤ら顔で乾杯していたり、中央のステージで歌っている男もいた。


 週末のオアシスだとでも言うように、活気だったムードの中で、その情緒に取り残されたように、二人組の女が森閑として飲んでいるのが見えた。

 そのうちの一人が、こちらをちらちらとみている。ふん。今夜はあれだな。

 

 女なんて腐るほど居る。電モクを手に取る。

 すでに四曲ほど予約が入っており、ちょうどいいな、と流行りの歌を入れる。


 岩木のたった一つの特技は、昔から歌だった。

 案の定岩木が歌い始めると話し声が止まり、数人がこっちを見ながら何か言っている。歓声を上げるやつまでいた。


 歌い終わり、二人組のところへ電モクを持っていく。

「めっちゃ上手いですね」

「ね、プロかと思った」


 プロはこんなとこと来ねえよ、と内心思う。


「いやいや、そんなことないですよ。あ、どうぞ」電モクを差し出すと「いやいや、この後歌えないでしょ」と女が笑う。

「そうそう、歌えない歌えない。あ、そうだ、お兄さんリクエストしていいですか」

「僕でよければ」と笑い返す。


 これですこれ。え、どれだろう、知ってる曲かな、と電モクを覗き込み、ほんの五センチほどの距離に顔があったが女は避けなかった。


 なら、と、カウンターに戻ろうという動作をしてみると、腕を掴んできた。ねえ、待ってと。

 ほんと簡単だな。つまらねえ位に。


 結局その流れで一緒に飲むことになり、しばらくすると、そろそろ二人とも潰れるな、と分かるくらいに舌が回っていなかった。


 じゃあ、おれのことをちらちら見て来たコイツで良いか。


 大丈夫ですか? と介抱の体で連きそって行き、広めのトイレでヤッた。

 戻ってくると、私先帰るね、と、めれんが際立ったもう一人の女がテーブルを立つ。


「ここニ階で階段危ないから、タクシー来るまで一緒に待ってるね」とトイレから一緒に戻ってきた女に言うと、私も帰る、と言うのでお会計まだだからちょっと待ってて、と引き止めた。


 すぐ戻って来て会計したら友達と乗れるから。

 あ、うん、と分かってるのか分かってないのか、椅子に座った女の内股が震えていた。


 タクシーが来て、女のカバンを取り先に乗った。

「え、ちょっとそれ私の」

「早く、タクシー行っちゃうから乗って」

「え、あ、うん」だいぶ酔っ払ってんな。


 ずいぶん走ったところで、「ああ、ごめん。おれも酔っ払ってた。友達置いて来ちゃったね」といまさら気づいたかのように言う。


「降りる?」と聞くと

「降りられるわけないじゃん」とまだ酔っている女は言った。

 だよな。と岩木は笑う。冷静じゃん。

 タクシーはそのまま、首都高速横羽線を下って行った──。


 あのビニール傘は......あの女の傘か。いつの間に帰ったのか。

 二日酔いの頭が痛む。

 玄関を見て、ようやく鍵が掛かっていないことに気づく。今にも誰かが入って来そうな予感がして、岩木は末恐ろしくなり鍵を掛ける。


 一方で、舐めやがって、とも思うのは、ただでさえあれこれと物事を考えるのが苦手な、言葉など快感の入り口ほどにしか意味を持たない、岩木のシンプルな感情の収束だった。

 

 結局そのまま眠れなくなって、アパートから本署へ出勤した。

 欠伸を噛み殺しながら朝礼を終え、当直の申し送りを受けながら、この事を誰かに相談するべきか悩んでいた。


 いたずらにしてはタチの悪い動画内容だった。現状、それだけだ。強いて言うならば、身に覚えのないアプリがインストールされている程度。物理的な実害があったわけじゃない。

 

 ただ、悪い結果になるのではないか、という憂いに気を揉んだ。

 杞憂に終わればいいが、動画の内容通りに爆弾がしかけられているとすれば、予断は許さない。

 面倒だ。悩み抜いた末、直属の上司に判断を仰ぐことに決めた。心細さを等分に切り分けることで、笑い話で済んだ時の話のネタくらいにはなるだろう、とさえ思う始末だった。


 そういう時に限って忙しく、気づけば夕方を過ぎた。

 机につき、報告書の作成にあたる。

 手短に終わらせて、夜間パトロールまでのどこかのタイミングで、と岩木は機を伺う。


 給湯室から、両手にお茶を持った上司が出て来た。


「飲むか」

「あ、ありがとうございます」

「今日は忙しかったな。浜田のばあさんも毎日毎日よく来るもんだ」

「はは、本当ですね。動物病院に連れてく猫が分からないって、なんですかね」

「猫屋敷だからなあ、あの家は」

「本当そうですよ」一息つき、今だなと思った。


「あ、先輩、ちょっと良いですか」

「ん?」

「ちょっと相談があるんですけど」

「なんだ深刻だな」

 これ見てほしいんですけど、岩木は自分のスマホを開き、件の動画を見せようとしたが、それは叶わなかった。

 

 ──無い。

 昨日の動画もアプリも、スマホから全て消えていた。いくら探しても、どこにもそのデータの痕跡が無い。おかしい。今朝までは確実にこのスマホの中にあった。


「それでなんだ、相談というのは」

「あ、いえ、はは。やっぱり何でもないです」



 岩木の内側に、不快な空気が立ち込めた。

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