しかけは爆弾です⑤
強羅を抜け広場に出ると、土曜とあってか、大涌谷は大勢の観光客でひしめき合っていた。
時計を見ると、まだ昼前だった。
少し離れた熱海の綺麗なスコリアや、麓の地質防災センターで見た、炊飯器ほどの大きさもある火山弾に印象を残したが、朝早くから動いた事で思いの外時間が余った。
せっかくだから温泉でも入るか、と箱根によって、チェックインまでにはまだ時間がある余暇を楽しむように、強羅を登って来た。
土産屋では、温泉卵を買おうと並ぶ人達が行列を作っている。
山を削るようにして切り立った広場では、冊に走り寄った少年が「マグマだ」と地熱による蒸気にカメラを向けていて、微笑ましく思う。
硫黄の匂いに顔をしかめている学生服姿の集団に、「夏休みか」と合点がいった。
「おれも、行き掛けの駄賃だ」
呼吸を深くし、集中力を研ぎ澄ませる。音への指向性が、過敏になっていく。
動く被写体では無かったが、百分の一のスケールで失われたものは確実にある、ただ抜けないだけの癖を、そうやっていつも言い訳じみた。
カルデラに、レンズを向ける。
それが、全ての元凶となった。
ずずず、と何か、引きずられるような、不穏な音がした。
その方向へ首を捻ると、周りの誰も、気付いていないようだった。
少し登ったところに、寂れた四阿が見えた。その寄棟屋根の下で、サングラスを掛けた男が、何かを乱暴に引いている。
男の手の先をみると、遠くからでもブランド物のバッグだとわかる色柄の鞄を、女性がしがみつくようにしている。
「ひったくりか?」と眉を細めたが、色眼鏡越しだと余計に乱視がひどくなり、外した。
気づけば立ち上がり、足を進めていた。
四阿への動線は真っ直ぐとれず、向かう為には土産屋や観光案内所を超え、脇の駐車場を通り抜けなければ辿り着かないようだった。
男の罵声が聞こえ、距離がもどかしくなる。耳のコントロールに集中すると、「お互い様じゃない。どうせあんただって騙そうとしてたんでしょ」と女性の声が聞こえた。
その言葉に、目をすがめる。
女性の方がいくらか年上に見え、若い燕との痴話喧嘩か、と小走りだった速度を落としていく。
だが、近づくにつれ次第に荒くなっていく男の手振りに、庇護欲が働き、その時はその時だと地面を蹴った。
「どうかされましたか?」
四阿の目の前まで来ると、跪くようにして鞄を掴む女性の方は、明らかに怯えている様相で、男に向けた視線に強みが増した。
「関係ないだろ。黙ってろ」サングラスを掛けた男は、乱暴に言った。
おれの一回りほど歳下か。二十代前半だろうとあたりをつける。
「ですが、お連れの女性は明らかに怖がっている。老婆心かもしれないが」
「助けてくださいこの人突然――」
「ちっ」舌打ちと同時に、男が女性を殴った。
だくん。胸が瞬間的に摩擦する。
「おい」
押さえつけようとした左手を叩かれ「お前もうるせぇんだよ」と鞄を放り投げ、拳を振り出してきた。
振りかぶってきた拳を見ながら、オーバー過ぎるぞ、と思う。ゼロの無動作から、もっと速く動く対象は山ほど居たぞ。易々と、避ける。
女性に手を上げるなんて最低な野郎だなあ、言ってやろうかと睨むが「あ」と声が出た瞬間、サングラスが宙を飛び、男は白目を剥いて卒倒した。
「やっちまった」避けたはずみで、肩にぶら下げた一眼レフが振れ、男の顎を激しく打ちつけたのだった。
女性は、こっちを見て「なに、いまの」と唖然としている。
「いやあ、不可抗力で」と苦い顔をするが、あなたを守ろうとして、とは言えず、この男にはこのくらい良いのではないか、という気にもなる。罰が当たったんだ。と思う事にする。
とはいえ、周囲の目もある。観光客からは少し離れているし、見られてないことを願うが、このままにしておくわけにはいかない。
「おい、大丈夫か。起きろ」平手で、男の顔を軽く叩く。
動かずにいた女性が、ふと思い付いたかのように、膝についた砂を払い「あ、では、わたしはこれで」と足早に去っていく。
突然の訪問と続く展開に驚かせてしまったとはいえ、経緯や事情など、話してくれてもよさそうなものなのに。どう、これで、なのか。あとは二人で楽しくどうぞ。か。
女性が去り二人きりになると、自分からこの面倒に介入したにもかかわらず、追い立てられるような気持ちになってきて、男を叩く力が、少し強くなる。
「おい」反応がない。くそ。
「さっさと起きろ」二の腕を思い切りつねる。できろ、痣。
「いってえ」と飛び起きた男は、目のフォーカスを失っていて、きょろきょろと辺りを見回している。
「あれ、女がいたんだっけ。いたんだよな。で、もういない。なんでだっけ」
頭打ったからか。こっちを向いたら言ってやろう。突然すまないな、でもあんたが、まず謝罪、でも聞いて、と弁明を。
上がおかずで、下がご飯、のお弁当箱よろしく、二段構えだ。
「そうなのか、あんたも」脈絡が無い言葉を、二の腕をさすりながら男は言った。
「なにがだ」応えるのに、数秒かかった。今日初めて、外で喋ったみたいになった。
「だから身代わりの」
身代わり?
こいつは何を言っているんだ。頭を打ったとはいえ、素っ頓狂に過ぎる。お前の頭は豆腐か。
何も言えずに居ると、こちらの怪訝な顔に何かを理解したようで、いいや、なんでもない、と手を振る。忘れてくれ。
身代わり? 不可解な符号は、落ちつきを取り戻しつつある胸に絡まった。
言葉そのものが持つ不穏さに、引っかかる。
「なんだ。言ってみろ」
男の左肩に手を置き、逃さないという意思を、力の入れ具合で明確に伝える。
「いてぇよ、いてぇ。ちっ。ゴリラかよ。言わないとどうなんだよ」
「警察に行くことになる」思慮もなく、言った。女性を殴ったあげく、止めようとした人にまで襲いかかって、そのままなわけいくか。
くそが、苦虫を噛み潰したような表情をし、切れてやがると口に溜まっている血を吐いた。
口にすることを、明らかに逡巡している。押し黙る男に業を煮やし、襟首を掴み連れ出そうとする。
「わかったわかった。言うから」両手を挙げ「降参降参」と白旗を振っている。
「はやく言え」
「いやな、そもそもはな、あの女から仕掛けてきたんだぞ。おれがプレイヤーだと知ってだ。悪いのはあっちだろ」
「さっきからなんの話をしてる」プレイヤーとはなんだ。
「マジで違えのか、あんた」何か考える様子になって、「ならこれを見せた方が早いかもな」と黒いチノパンから取り出した携帯を操作しながら「なんだか知らねえが、見れやがる」とぶつぶつぼやいている。
見れやがるなんて言葉はあるのか、何が言いたいんだと問い詰めると、画面をこちらに向けて来た。
「まあ、これを見ろよ。見れるみたいだからな」
黒い画面に、白い手袋をしたようなイラストが中心に浮かぶようにして、こちらを指差している。
下部に十分弱のバーが表示された、動画だった。




