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花火  作者: あさひ
第三章 八月六日
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八月六日⑩

「レントゲンでも骨折はしてませんでした。応急処置はしておきましたが」


 初療室から救急外来に移された処置ベッドの上で、若い医者が足首に包帯を巻いてくる。


「まあ、捻挫でしょう」


 研修医かな、と三上はる菜はあたりをつける。セイコーの腕時計、金がない若い医者によく居るタイプ。


 はる菜は、一戦を終えたような疲労感から横になり、スマホを開く。

 フェイスIDでロックを外すと、MAPが開いたままになっていた。


「あ、うそ」赤い点の『玉屋』が、宮ノ下あたりからこっちに向かって移動してきている。

 

 迂闊だった。あの瞬間さえ逃げ切れば終わりだと勝手に思っていた。

 

「まだ終わってないわけ」呆然とした意識に、送られてきた男の声が蘇る


──無論、行かない、という選択肢はおすすめできません。あなたがたが現在保有している携帯のGPS、SNSのアカウント、メッセージの送受信、発着信履歴、電子マネー、全て筒抜けであります──。


 携帯のGPS。電源を切ればわたしの現在地はわからなくなるの。


──また、電源や回線を遮断されることや、およそ不審と思われる嫌疑的な言動を確認した場合には、私の友人がお手伝いに向かうことになりますので、あしからず──。


 違う。電源を切ってもきっと無駄。それに不審な言動って何。わたしは岩木という男とチケットの交換をちゃんとしようとしただけ。それなのに赤い点はこっちに来てるじゃない。一一〇番しても繋がらないし、最初からわたしに逃げ道なんてなくない? 


 だいたい、指示した奴を教えろって、何。


「三上さん。三上さん」若い医者に呼びかけられて、はっとする。


「大丈夫ですか? 捻挫といえども、しばらくは安静にしてくださいね」


「あ、はい。ありがとうございます」


 外来へ移った時から、既視感が頭をもたげている。なんか見た事あるんだよなこの若い医者。何処にでも居そうな研修医だからかな。

 もしかしたらうちの病棟にもアルバイトで来たことがあるのかも。


 間仕切りが開けられ「先生、ちょっと」と看護師が医者を呼んでいる。


「すみませんね。直ぐに戻ってきますから」と医者はカーテンの向こう側へ消えていく。

 その背中を見て、思い出した。


 夜間に救急で運ばれて来た昏睡状態の患者に、CPRを繰り返していた当直医だ。


 わたしが、石渡に呼ばれて当直室のシャワールームに居た時に、受け持ち患者の容態が急変したあの時の当直医。大学病院からアルバイトで来てた筈。


 最悪。わたしには気づかなかったのだろうか。


「もう何年前の話よ」思い出したくもないトラウマから意識をスマホに戻す。


 やっぱり。どんどん近づいて来ている。岩木といいトラウマといいこのロシア男といい、わたしの周りにはわたしを癒してくれる男はいない訳? 


「痛っ」足首を少し捻ってみた。あちこちに打撲のあざが出来ていて、何処が痛みの元かわからない。けど、骨折を免れたのは不幸中の幸い。


 右足首を揉み回すようにして動かす。なんとか自立歩行は出来る。早くここから逃げないと。


 処置ベッドから降りて、カーテンを静かに開ける。処置室には誰も居ない。


 ストレッチャーをバタバタと運ぶ足音が廊下から聞こえて来る。一般病棟なら今が手薄。


 バッグを持ち、靴を履く。ヒールじゃなくて良かった。紐を緩めれば包帯を巻いていてもなんとか履ける。


 痛いのは我慢するしかない。びっこなんか引いてたら周りの看護師の目も騙せない。


 打撲の痛みが全身にあった。

 その痛みをおくびにも出さずに処置室から出て、フロントへ向かっていく。痛い痛い痛い。


 受付の方を一瞥する。腫れた右足が神経を圧迫して、疼痛が酷くなってくる。


 わたしに気づかないで。後で落ち着いたら絶対払いに来るから。今はごめんなさい。


 何食わぬ顔で病院の正面入口から出た。

 患者で埋め尽くされた一階は忙しなく、誰も呼び止めてくる者は居なかった。


 タクシー乗り場の方へ歩いて行こうとすると、待ちの行列に頭がくらっとした。


 無理。あんなの待ってられない。乗り場があると言うことは近辺でタクシーアプリも使えない。


 ロータリーを挟んだもう一本向こうの道に歩いていく。

 門前薬局の斜向かいの弁当屋から、作業着姿の男が出て来た。


 どうなるか分からない。これは賭け。一箇所に留まるよりは多分マシ。


 作業着姿の男が、路駐されたトラックの運転席に乗り込んだ。

 その幌付きのトラックの荷台へ、身体を滑り込ませる。

 中は暗く、丸い鉄の管のような物が荷台に縛り付けられていた。手探りでそのロープに捕まるように、どうにかこうにかして態勢を落ち着かせる。

 

 エンジン音がして、トラックが動き始めた。

 停まったままここでお昼にでもされたらどうしよう、と思ったところだった。


 ひとまずは移動出来るとほっと息を吐くと、前から声が聞こえて身を縮こませた。二人居たのね。会話の内容が遠く、耳をすませる。


「ほんとここのお弁当気に入ってるねえ。発見してから毎回寄ってない?」

「だってあっちまで行ったらパンしか無いじゃん。男はやっぱり米だよ米」

「確かに、コンビニも無いもんね」

「ほらお前のもあるよ」

「お、それはありがとう。おれのは幕の内?」

「正解」

「さすが、じゃあもう一つはあれでしょ、いつも食べてるやつ。マヨからだ」

「それも、正解」

「だって毎回それ食べてるもん。しかも絶対にあれだよ。マヨ多め。でしょ?」

「当たり前だろ。笑わせんなよ」


 あっちまで行ったらって、何処に行くの?

 自分で乗り込んだくせに、はる菜は早くも不安になった。

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