八月六日①
午前三時。枕の上のスマホが鳴った。すでに新作の映画は五倍速で全部見終え、眠ろうと目を閉じていたところだった。
ベッドにまどろみながら、スマホを開く。例のアプリの通知が表示されていて、開けると自分が送ったメッセージへの返信を知らせるものだとわかった。
「お前、女? おれらを嵌めようとしてんのか?」
「スケが調子こいてんじゃねえ」
「横須賀に明日来るなら、チケット貰ってやっても良いよ」
通知に気付かなかっただけで、かなりの返信があったみたいだった。古い順から、スクロールしていく。
どう見ても一般人とは思えない輩から送られて来ているメッセージは、どれもまともな内容ではなくて既読無視する。
『いえ、真ん中と言わず僕が箱根まで向かいますのでお待ちください』
あれ、これ良いんじゃない。見ると一番新しいメッセージだった。
アイコンをタップする。爽やかな好青年。わたしと比べるとかなり若そう。腕時計はGショックでげんなりするけれど、この中では一番マシ。
『わかりました。近くなりましたらまた連絡ください』指はそう送り返すのに、とはいえ現実味のないこのアプリに期待はしてない。
ナースステーションで関本と話している自分のアイコンを見ても、ただのストーカーがわたしを隠し撮りした、動画の内容も新手のウイルスかなんか、としか思わなかった。
一人の時は、何も考えたくない。
SNSのストーリーにあげるには非日常すぎて構ってちゃんが強いし、怖いと甘えられる相手の温もりを肌で感じたい。
アプリを開いては閉じ、開いては閉じ。
返信が来ないかと既にこのアプリに没入している自分を持て余す。
関本が頭にちらついて不快で、再び枕に横になる。
そう言えば、あいつとなんの会話をしたんだっけ、そうだ関本は呼ばれなかった、医師会が開いたパーティの話だ──。
「はる菜、ちょっとあっちの先生達と話してくるから、適当にしといて」
石渡は会場の端の方を指差して、待っててねとそちらに向かった。
人垣から石渡の向かった先を覗くと、立ち話をした数人の中年が見える。全員が全員、首から携帯をぶら下げていて苦笑した。着けている腕時計は、多少値が張りそう。
外科医だろうとすぐに分かる。
あの輪にわたしは入るのを嫌がるだろうと、以前のことを思い出して気を遣ってくれたのか。専門的すぎて彼らの会話は理解できない。
一人になった事で手持ち無沙汰になり、どこか若くて顔のいい開業医は居ないかと他のテーブルを見渡す。
男七割他は女医と若い女といった割合で、男のほとんどがブランドの腕時計をはめ、いい身なりをしている。
石渡の方へ再び目を向けると、見るからに若い女が数人はしゃいだ様子で紛れている。腕を組まれた石渡は、満更でもない顔で鼻の下を伸ばしている。
「気持ちわる」
テーブルに並べられた皿の隅で、サーモンチーズのカナッペがひとつだけ手をつけられずに余っている。片付けられもしないまま、いつからそこにあったのか。鮮度の落ちた現実から離れたくて会場入口の方へ歩き出す。
一人になりたくない。循環不全の代名詞なんて影で呼ばれたくない。
入口近くまで来た時に、一人の男が扉の脇に立っているのが見えた。人を探す風でもなく所在なげだった。
物悲しくどこか寂しそうで、アダルトチルドレンとはまた違う、子供と大人が共存したような存在感の男に目が離せなかった。
現実をロストしてる。わたしみたい。
男が目を合わせ、数秒して近づいて来た。
近くに来ると、背が高く同年代よりやや上の印象を受けた。
「はじめまして」とだけ言って握手を求めてくる。男の腕にはめられた腕時計は、おしゃれな外観はしているけれど高級なブランド物ではなかった。
名札には『高橋』と書いてある。
口元が緩んだ。
「はじめまして」と手を差し延べた──。
いつの間にか眠りに落ちていたみたいで、午前九時になっていた。
『事故渋滞と工事の二重苦で、少し時間が掛かってしまい申し訳ありません。箱根には10時頃着くと思いますが、待ち合わせはどこにしますか?』
通知を開封すると、岩木という男から二時間前にメッセージが届いていた。お互いの現在地がかなり鮮明に記されているのに、直接ここまで来ると言わないのは好感がもてる。
初々しく、警戒をして怖がる若さを、わたしはどこに脱ぎ捨てて来たんだろう。今は一人が何よりの恐怖だ。
広遠の外に作られた借景に、箱根山の蒸気が見える。あそこなら二〇分とかからない。
『箱根山の、大涌谷で』
自分の意思だけを伝えて男を翻弄とする癖が抜けない。
ベッドに散らばったコスプレを丸めてゴミ箱に捨て、男と会うという高揚がスマホを持たせ、シャワー室に向かう。




