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花火  作者: あさひ
第一章 しかけは爆弾です
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しかけは爆弾です②



八月六日。


 昨日もおとといも、ほとんど寝られなかった。浴衣姿で、髪をあげたりしているのだろうか。明日の待ち合わせでは、どんな顔をしていればいいのだろうか。

 

 終業式からの帰り道は、誰も話しかけてくることはないというのに、長嶺くんを見つけると、前の長嶺くんを追ってください。呼び止められても無視です無理です。タイミングが合わないんです。と回送中のタクシーさながらに早足で追いかけた。


 無事家に着くと、鏡に映る自分とスピード勝負をしたり、風呂に浸かりながら、リビングから持ち出したアルミホイルの芯をトロンボーンにしたりして、エネルギーで家中をマーキングする。


 それにしたって、ぼくはこの街をまだまだ知らないというのに「十二時半にね、鳩広場」と言った不意打ちの笑顔に、ぼくはできるかぎり自然体でいることに、ベストを尽くした。


 分からない時こそ全力を、と昔から父が言っている。

 頭の角度がボブスレーみたいな、枕の厚みに慣れつつあるベッドにまどろみながら、分からない人には鳩広場を、と昨日からぼくは思いはじめている。

 

 もう何かして誤魔化すしかないと、早朝からIKEAのカタログとSUUMOのサイトを覗いて、住んでもいない1LDKに、買ってもいないおしゃれなイスや、無駄にデカいダブルサイズのベッドを配置し、ニトリでカーテンやラグを選んでいちおうわくわくし、ブラックだなとかっこつけて淹れたコーヒーを嗜むふりをして、全体の計算した料金を見て「ふっ」と鼻で笑ってやった。

 

 そんな時間の無駄遣いをしても、ちっとも紛れない気持ちが肩を叩いてきて振り向けば指でほっぺを指してくる。これはあれだな、ぼくひとりでは無理だな。

 

 コーヒーを片付けようとリビングに出ると「ずいぶん早起きだな」と父が起きて来た。


「まだ6時半だぞ」

「父さんもコーヒー飲む?」とコーヒーメーカーからポットを取り「淹れたばかりだよ」と父のマグカップに注いだ。


「気がきくな。ありがとう」そう言うと、冷蔵庫から出した皿をレンジにかけ、テーブルに「朝飯だ」と並べた。昨日の残り物だ。


 父は味噌汁に火をかけると、椅子に座り雑誌を広げた。表紙には『スパイたちの百年戦争』と書いている。わざとだ。わざとぼくに見えるようにやっている。それが父の出勤前のルーティーンだった。


 対抗するように、ぼくは自分の好きな格闘技専門誌をひろげた。

「父さんさ、今日もお仕事だよね」ページを捲る父に話しかける。


「ああ、そうだが。祐一は今日から夏休みだよな。あ、またボクシングか。その表紙は、マークカントか」

「マークハントだよ。何回間違えるんだよ」

「マークハントか。そうかそうか。わるいな。強いのか」

「そりゃもう。サモアの怪人だからね」


「そうか。でもサモアの怪人とはいえ、このトムクルーズみたいに、飛ぶ飛行機にずっとしがみつくことは出来ないだろうな、その身体じゃ」と雑誌を見せてきて「とんでもない風速だぞ」「ありえない握力だ」と捲し立ててくる。


 あのね父さん「マークハントなら」とぼくも対抗してしまう。

「飛行機から落ちても無傷だよ」

 父はこれでもかと目を見開いていた。


「まさか」「そんな人間がいるものか」と父はコンロの火を止めにいく。


 その背中に「あのさ」と声を掛け、「仕事を見てみたいんだけど、邪魔じゃなければ」と言ってみた。

 おや、というように振り返りこっちを見る。


「本当か」少し嬉しそうに見える。

 それからすぐに「こうしちゃいられない」「なら支度しろ」「すぐ出るぞ」と立て続けに言い、玄関を出て行った。


 ぼくはバタバタと身支度を急ぎ、ありつけなかった朝飯をうらめしく眺め、エンジンの掛かった車に乗り込んだ。


 父は、運転席に座ると決まって「じゃーん」と何処からかメガネを取り出し「ミッション、インポッシブルだ」とそれを掛ける。


「これで無敵だ」と言いながら車を発信させる。


「ぼくはもう子供じゃないよ」

「お父さんのことを間違ってもトムクルーズと呼んじゃいけないぞ。バレたらまずいからな」

「呼ばないよ。間違ってもね。それに時代はキングスマンだよ」


 言われてみると、たしかに父は運転が上手い。発信もブレーキもいつ行ったのだろうと思えるほど静かだから、きっと上手いのだ。


 その事を、メガネを掛けた父に告げると「この状態のお父さんに運転できないものはないぞ。このメガネさえあればクレーンや大きいトラックだって余裕で運転できる」と言った。


「実はスパイのメガネなんだ」と。「言うなよ」とも。

 

 ぼくの知る限り、大きいトラックどころか、小さなトラックにも満たない、うちにある小さめのノート以外乗ってるのを見たことがないし、他の人と運転技術を比べる場面もないのだけれど。


 しばらく流れる景色をみて、製鉄所の煙をぼんやり見ていると「ユーイチ。お父さん仕事でな、夕方から別の場所に行かないとならなくてな」と心配そうに父が言った。


「大丈夫だよ。もう中学生だよ。一人で帰れるよ」

「道は得意になったのか」


 それを聞かれるとは。長嶺くんさえ居れば、と言いたいところだが偶然いるわけもないだろう。いつか葛西臨海公園で見た、カモを思い出す。なんとかカモ。なんだっけ。


「ねえお父さん。なんであのカモはぐるぐる同じ所を回っているの。しかもみんなで」

「あれは、ハシビロガモだな。みんなで渦潮みたいに、下から上に水流をつくって、餌のプランクトンを水面に集めるんだよ」


「へえ、なんだか僕みたいだ」同じ所をぐるぐる周るところなんか特に。

「ああいうチームワークは大事だぞ。一人で出来ないことも、みんなでやれば良いんだ」

「もし失敗しても、気にするな」


 まずい。こう言う時の父の話は長いのだ。

 

 話の方向も「失敗したらナイストライだ」「出来る人が、出来ない人のために、何が出来るか考えるんだ」と段々と逸れていき、結局「あのカモみたいに」と指を差し「男ならベストを尽くせ」と普段から何度も口にしている台詞を、この時もやっぱり口にした。


 父の「息子への人生訓」の栞は、ずっと同じページに閉じられたままに違いない。


「一羽、岸から見てるだけのカモがいるけど」ベストを尽くすどころか、サボっているけれど。

 若干の熱を帯びて来たところで水を向ける。


 父はむっとし、「ライフセーバーだ」と言った。



「これを持ってけ。父さんの携帯だ。ナビが使えるし、電車にも乗れるし買い物も出来る」

「父さんは携帯、どうするの」


 すると、ポケットからストラップ付きの携帯を取り出して、「会社のガラケーがある」と言った。


「一応、少しお金も渡しておく。百万円だ」と千円札数枚とケータイを渡してくる。

 財布にしまおうと、後部座席から鞄を取ろうとして気付いた。慌てて家を出たため持って来たのはリュックサックで、これは学校に行く時の鞄だ。


 財布は部屋のサコッシュに入れたままな事を思い出して、仕方なくそれにねじ込む。


「なんかあったら連絡しろ。父さんの名前で登録してあるから電話できる」

「スパイのケータイじゃないんだね」

 しまった、という顔をしたのをぼくは見逃さなかった。父さんほど顔に出るスパイは見た事がないよ。



「え、そうなの」

「そう、ダムはな、コンクリートだけで出来てるんだ。鉄筋を1本も使ってない。だから錆びることもないんだ。長く使える」


「鉄筋を使わない方が強いの? え、でも、それならマンションとかはなんで使ってるの」

「圧縮には強いんだが、引っ張りに弱いんだ。コンクリートはな。マンションには生活空間の為の空洞があるだろう。間取りだよ。そういう梁や柱の形を維持するには、コンクリートだけでは保たない。補強として鉄筋を入れるんだ」


「だがダムはな、厚みが桁外れに違う。マンションなどはせいぜい壁の厚みが一八cmだが、ダムはな、高さが一〇〇mあれば厚みも一〇〇mある。マンションと違って杭などではなく、堅固な岩盤にそのままコンクリートを流すんだ。桁違いに頑丈なんだよ」


「へえ、そうなんだ」

「そう、だから大きな地震でビルが倒壊。なんてことあるがダムはビクともしない。お前の好きなマークカントみたいなものだ」


「大きな地震なんて体験したことないけど、たしかにマーク『ハント』なら、ビクともしないだろうね」


「だろう」と父は笑っている。腕時計をみると、「ロープウェイのチケットはちゃんと持ってるか? ここから降りて下から見よう」

「もうはじまるの? 放流」


 もちろんのこと、その腕時計もスパイ道具の一種であるらしく、弟から貰ったんだと自慢していた。お父さんに弟なんて居たんだと聞くと「実はな、兄弟は三十人も居るんだ」とまた信じられない話をしていた。ぼくの空想癖は、由緒正しい遺伝なのかもしれない。


 お願いします、と係の人に自分のチケットを渡すと、ロープウェイでダムの麓まで降りると説明された。


 このロープウェイもダムを作った時の運搬路の名残であるらしく、錆びたレールはなかなかの年季をただよわせている。


 ギシギシと鳴るたびに不穏な気分になったけれど、父のにこやかな顔を見ていると、今日という日にしっかり羽をのばそうと思った。


 数分して到着し、ロープウェイを降りると、そこかしこに人が集まっている。

 地上から数メートルに立てられたスピーカーから何かのメロディが鳴り出している。

 それまでなんでもないように忘れていた記憶が、耳から頭に流れてくる。


 珍しい名字だね──。

 いつだったか、最寄り駅のコンコースで歌っている路上ミュージシャンの2人組に、そう言われた事がある。

 どうも偶然が重なったのか、その二人の名前と、二人の大事な人の名前を重ね合わせると、

朝比奈。になるらしい。


 こじつけっぽいと思ったが、聞いてみるとたしかに朝比奈以外にはない気がするもんだから、おかしい。アヤだ。バイアスだ。


 こだわってオリジナルだけを歌っているんだと言って歌い出した曲は、それなりにキャッチーで青春っぽい、夏の曲だった。


 そういえば、コンコースを抜けた先で振り返った商店街も、サンライズ商店街という名称で、イイネ、とひとりごちたことを思い出した。


 どんな歌だったかな。思い出そうとしていると右肩に軽く、人がぶつかってはっとした。


「すみません」


 片手でお辞儀したその男の人は体格がよく色眼鏡をかけていて、片手にストラップ付きの黒い一眼レフをぶら下げている。


「あ、こちらこそすみません」


 怖い雰囲気だ。しっかり腰を折りたたみ謝ったが、頭をさげながら、あれ、あの人どっかでという薄ぼんやりとした記憶が流れていく。すると、段々と、大地が唸るような音が近づいてくる。


 ゴォゴゴゴォ


 俯きながらも「放流だ」と気づいた。


 恐る恐る頭を上げてみると、男の人はもう見えなかった。

 

 地響きのように鳴り続ける音は、水量の圧倒的さをしっかり伝えてきていた。見上げると、下から一二〇m覗いたその七合目位にある、ふたつの四角い穴から、圧倒的な水量のまま飛び出して来る。


「ほら、来たぞ」

 父にがしっと肩を組まれた。

 ぼくは、轟音と大量に流れ落ちる、まさに滝のような放流の力強さが、心の濁りをまるごと飲み込んでいくのを感じて、胸の高鳴りに身を任せた。


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