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花火  作者: あさひ
第二章 鍵屋玉屋
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鍵屋玉屋①



 一年前。



 磨りガラスに差し込んだ朝日は、申し訳程度に垂らしてある紺色のカーテンをすり抜けて、ベッドの上で気持ちよさそうに眠るランタマを照らしていた。


 猫は、なんて可愛いんだろう、と毎朝起きるたびに思う。


 起こさないようにそっと動くけれど、へそ天したランタマはもう起きていて、にゃ、と短く鳴きながらつぶらな瞳でこっちを見つめてくる。


 その姿に、ぐはあ、と声が出た。

 これ以上に可愛い生物は居ないと確信しながら、伸びをするランタマのお腹に埋もれる。

 

 猫は、人間が触れ合う生物の中で、最も愛しさを感じる顔の比率をしているという。

 大きい耳、狭い額、くりくりと濡れた瞳という顔の造形や、短い手、しっぽの豊かな表情、ちてちてと歩く様子は、親心や庇護欲の強烈な自覚をもたらし、一鳴きすれば、飼い主が嬉々として家来の如く働いてくれる。


 さらに猫を飼うとどういう訳か、人間のストレスが三分の一に軽減されるという研究結果もあるらしい。


 そんな尊ぶべき猫の中でも、うちのランタマは世界一可愛いんじゃないか、と親馬鹿に傾倒してしまうのは、全ての飼い主に公正に許された陶酔と自明だ。


 もっともその当然視は、猫にとっては理解されていない場合が多く、自分の言う通りに動いてくれる、でけえ猫だな、と思われているらしい。




「きいちゃんはホント、親バカというかバカ親だよバカ親」和平は、長さ一五〇センチ、外径二六センチほどの鉄管に縦にサンダーを入れている。


 少し離れたスペースで、同じサイズの鉄管の切れ目を溶接し直した喜一郎が、溶接メガネを額にずらして言う。「バカ親はひどくねえ?」


 こうして一度切り込みを入れて再びアーク溶接し直すことで、万が一筒の中で花火の玉が腔発した際に、玉と筒が飛散する方向をある程度絞ることが出来る。


 昔は一枚の鉄板を筒状にして溶接していたのだが、職人が減った為、同じ効果を持たせようと今は鉄管を溶接している。


 何ヶ月も丹精込めて作った玉が筒の中で誤って開発してしまう事は、花火師にとっても観客にとっても悲しいことだが、直径九センチ程の黒色火薬の打ち揚げ3号玉の発射速度は、毎秒一一四メートル、時速に直せば四一〇キロメートルにもなる。


 発射のタイミングがずれた早打ちの筒を覗いて即死した事故例も少なからずあって、その威力は直撃すればひとたまりもない。

 出来る保安はあればあるだけ良いのだ。


「ランタマってメスだっけ? だからいつまで経っても新しい彼女出来ないんだよ」

「違う、ランタマはオスだ」何でメスを飼ってると彼女が出来なくなるのか。


「オスでも一緒だよ。前の彼女と別れたのも、たしか猫が原因だったよね」

「あれはあの女が悪いのよ。あたしと猫どっちが大事なの、なんて馬鹿げた事聞くから」


「何て答えたんだっけ?」

「いや、ランタマに決まってんじゃんって」


「かーっ」寸足らずなカーテンを買ってしまったとでものような表情で、手をおでこに乗せた和平は言う。「やっちゃてるわあ」


「いやいや、何もやってないだろ」

「そんなんフラれるに決まってるよ。やべえ女だとは思うし、ランタマは確かに可愛いけど、一応はほら、大事にしてるよってポーズしとかなきゃ」


「いやいやいや、どう考えてもその質問がおかしいだろ」喜一郎は溶接の光を手で隠すようにして再開する。

「じゃあどう考えたの」


「お前はおれがいなくても家族も友人も居るからいいけど、ランタマにはおれしか居ないんだから、どっちと言われればランタマに決まってる」


「え、それ言ったの?」

「当たり前だろ、笑わせんなよ」この二言は、喜一郎の口癖でもある。


「だめだこりゃ」と和平は首を振る。

 ちらっと喜一郎の方を見ると、またおでこに上げた遮光メガネの存在を忘れていることに気付いた。


「きいちゃん」と呼びかけ、とんとん、と自分のおでこに触れる。

 ああ、また忘れてたありがと。メガネを下げ右手を挙げるつなぎ姿の喜一郎を見ると、まったくこの人は。と嘆息せずにいられない。


 和平のため息に、でもさ、そんな事聞いてくる方がだめだこりゃ、だろ。と喜一郎は反論したくなるが、思い出すだけでムカムカしてくるので口にしなかった。


 好き嫌いばっかりで、羞恥心の原点が違う、ハングリー精神のカケラもないあんな女、別れて正解だったわ。

 うちのランタマなんて「ご飯?」って呼び掛ければ「ごはーーーーん」ってしゃべるんだぞ。「おあーーーーん」位かもしれないし、かくいうご飯はちゅーるのことだけど。良いんだ。

 

「おい、きいちゃんきいちゃん。これ見てよ」テレビを観る和平が呼び掛けてくる。


『山和煙火、大量の黒色火薬が盗まれる』というテロップが流れている。


「火薬を盗む泥棒って怖いね。こういう場合ってさ、保険とか降りないのかな。だって被害者じゃんね」和平が音量を上げる。

「金が有っても火薬が無きゃ星も作れないからなあ」

「まあ、そうだけどさあ、可哀想じゃん。同じ花火師として」

「どっかにエントリーしてたら最悪だな」

「うわ、それだ」和平は、苦い顔で頷く。


 去年の同じ日に起きた強盗殺人事件と、何か関連があるのでしょうか。局のアナウンサーが読み上げ、過去の映像が流れる。

 

 犯行が行われたとされる二階のテナントは、ご覧のように外観が変わるほどの惨状です、と現場の報道がマイクに訴えている。


「あ、あれが一年前なんだ。怖いね同じ神奈川で」

「なんかあったっけ」

「ほら、たくさん人が殺されちゃったやつだよ。首の骨とか、折られてさ」

「うげ。そんなの神奈川であったか?」

「きいちゃんってさ、ほんとテレビ観ないよね。出身でしょ」

「まあ、そうなんだけどさ。和平はほんとテレビっ子だもんな。っていうか、この建物、なんでこんな真っ黒なんだ。形も全然分からないし、爆発でもあったのか」まじまじと、五メートルほど先の壁掛けテレビを見つめる。


「あのさ、きいちゃん」和平が近付いてくる。リモコンでこんこん、と溶接メガネを叩かれて気が付いた。

「あ、おれか」溶接メガネを外した拍子に、リモコンに当たって落下した。もののはずみで、テレビの電源が切れる。


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