リリアナは断罪を回避する(前)
王立学園の大講堂は、この夜のために特別に飾られていた。
天井から吊り下げられた無数のシャンデリア。その光が磨き上げられた大理石の床に反射して、まるで星空のように輝いている。壁には深紅のカーテンと金の装飾。中央には大きな舞踏場があり、その周囲に円卓が並べられている。
この日はお姉さま方最上級生の卒業を祝う、年に一度の盛大な夜会だ。
明日の卒業式を経て、お姉さま方は学園を巣立っていく。
そして正式に大人として歩んでいくんだ。
国中の貴族の子息息女が学ぶ場だけあり、夜会には王族、貴族、外国関係者といった王国の名だたる方々が、来賓として集っている。彼らは大人になろうとしている子供を温かく見守ると同時に、迎え入れるに相応しいか見定めようとしている。
在校生も祝う立場での出席が認められている。私は会場の隅でロゼリア様と共に控えている。同級生や友人はまだ開会していないこともあって談笑で花を咲かせていたが、今この場で始まるまで雑談で退屈を紛らわすぐらいなら、ロゼリア様と語り合いながら料理に舌鼓を打つ方がマシだ。
「そのドレス、兄がリリアナに贈ったものですね」
「はい。この会は別に私が主役ってわけでもありませんし、衣装棚の中ので済まそうと思っていたのですが、ヴィクトール様が許してくれず……」
「ふふっ。リリアナは本当に謙虚なのですね。エルフリート家の財力でしたらもっと色々と贅沢出来たでしょうに。それに兄に甘えればきっと叶えてくれますよ」
「……。いえ、好意に甘えすぎると持て余してしまうので。これぐらいが相応です」
再封印を施されてから、私の魅了の異能による問題は発生していないし、異能の力が増す兆候も見られなかった。
にもかかわらず、私は今もなお邪眼殺しの眼鏡をかけている。
利き目側に施された紋様を隠すために化粧はしているけれど、眼鏡があればよりごまかせる、とのヴィクトール様の意見を取り入れた。皆は度が入ったただの眼鏡にしか思っていない。ある日突然外すようになったら違和感を抱くかもしれないし。
「リリアナ、緊張していますの?」
ロゼリア様が心配そうに尋ねてきた。
美しい白いドレスに身を包むロゼリア様は、私の異能が効いたからか、最初会った頃より随分と健康的になった。以前より顔色も良く、日常生活にはもう支障が無い。あとは体調に気を使いつつ薬を飲み続ければ、完治も夢ではなくなったそうだ。
魅了の異能は決して人を不幸にするだけじゃなかった。
それだけでも前回の私が少し報われた気持ちだ。
「はい……少し」
「大丈夫ですわ。きっと何事もなく終わります。兄も、セシリア様も、王太子殿下も。決して誰にも何もさせません」
大丈夫、やるべきことは全てやった。
私が罰せられるような罪は何も犯していない。
だから安心して今日の夜会を楽しむべき。
そうは思っていても、不安は拭いきれなかった。
何故なら、今日こそが前回、私がヴィクトール様に捕まった日なのだから。
前回、私は皆から愛されて有頂天になっていた。しかもそれが当然だと思い込み、勝手に幸福を感じていた。だから私に愛してくれないセシリアお姉様が疎ましくなり、愛してくれた方々はセシリアお姉様を憎むようになった。
偽りの愛に囚われたクラウス殿下がまさに今日、夜会の場でセシリアお姉様に婚約破棄を言い渡し、私へのいじめに対する糾弾を初めたのだ。そして、私への永遠の愛を皆に対して誓ったのだ。
とっくにクラウス殿下を見限っていた前回のお姉様は、クラウス殿下や側近の方々の言い分を尽く切って捨て、自分の正当性を主張した。愛や情といった心に訴えるクラウス殿下方に対し、婚約関係と発生した事実を整理して論理的に反論した。
クラウス殿下は結局セシリアお姉様を断罪出来ず、私は公爵邸に帰った矢先に突入してきた異端審問官に身柄を拘束されてしまった。
冷淡なヴィクトール様の眼差し。
嘲笑を浮かべるセシリアお姉様。
今もはっきりとこの目に焼き付いている。
「はい。今夜で、全てが終わります」
今日、今夜が運命の分岐点。
あとはもう、祈るばかりだ。
会場を見回す。
中央の舞踏場では、演奏に合わせて貴族たちや学園生が優雅に踊っている。最も注目を集めているのは、やはりというか、王太子であるエドヴァルト様とセシリアお姉様だろう。私は断言する。貴族に美男美女多しといえど、お姉様方に叶う絵になる組み合わせの男女はいない、と。
そして、前回私が破滅させ、今回私が心を奪いかけた、第二王子殿下は……カタリナ様と楽しそうに語り合っているようだ。さすがに学園の公式行事で顔を合わせる可能性までは排除しきれない。このまま人混みに紛れて見つからないようにしよう。
「リリアナ」
低い声が、後ろから聞こえた。
振り返った先にいたヴィクトール様が、私に恭しく一礼する。
黒い礼服姿。いつもの軍服とは違うけれど、やはり厳格な雰囲気は変わらない。でも今夜の彼は、いつもより柔らかい物腰に見えた。
「ヴィクトール様……」
「よく似合っている」
ヴィクトールが私のドレスを見て、小さく微笑んだ。
「ありがとうございます」
頬が熱くなる。口元も緩んでしまう。
「緊張しているのか?」
「はい……」
「大丈夫だ。私も第二王子殿下を診察したが、魅了の異能は抜けきっているようだった。あとはこのまま刺激を与えないままでいれば、やがて偽りの感情は消えるだろう」
「そうですね。今日さえ乗り切れば……」
不安を抱く私の肩に、ヴィクトールが手を置いた。
「リリアナ。何も心配するな。もし何かあっても、私が必ず守る」
その言葉に、少しだけ安心した。
「兄様」
ロゼリア様がはにかむ。
「リリアナを独占しないでくださいな。リリアナを守りたいという気持ちは私も一緒です。リリアナは決して魔女ではないことを私たちが示し、私たちが守るんです」
「ロゼリア様……」
「だって、リリアナは私のお友達で、命の恩人ですもの」
「……。ありがとう、ございます……」
ああ、まさかやり直した私がこんな人生を歩めるなんて、思いもしなかった。
けれど、やり直して良かった。私は与えられた異能に溺れずに済んだもの。
母様、前回は悲しませてしまってごめんなさい。今回はありがとう。
運命を変えることが贖罪になったかは分からないけれど……こうなって良かった。
一曲が終わり、舞踏場で踊っていた方々が拍手喝采を浴びつつ一礼する。カタリナ様はクラウス殿下の手を引いて舞踏場へと向かい、セシリアお姉様は二曲目を踊ろうと王太子殿下の手を取り……カタリナ様に何か語りかける。
そして……セシリアお姉様の指先が、私に向けられた。
その指先が指し示す方向へカタリナ様の、そしてクラウス殿下の視線が向かう。
私とクラウス殿下の目が合った。
「何、故……?」
まさか、まさかお姉様……私を裏切ったの……?
今回もまた私を魅了の魔女にして破滅させるつもりで……?
これまでの日常は、あの私に笑ってくださったお姉様は、嘘だったの……?
「問題ない、リリアナ」
脚から力が抜けそうになった私の両肩を掴み、ヴィクトール様が私を支える。
「逃げ切るのも構わないが、そうなっては常に不安に苛まれることになるかもしれない。私はリリアナにそんな心の闇になる懸念を残しておきたくはない」
「ヴィクトール様……」
「人の心はそう容易く捻じ曲げられるほど弱くはない。現に、私だってリリアナの魅了の異能を跳ね除けたのは、決して秘術の類ではない。単なる精神修行の賜物だからな」
「それ、今初めて聞いたんですけれど」
私はまだ私を信じ切ることは出来ない。
けれど、ヴィクトール様なら信じられる。
なら、私はヴィクトール様が信じてくださる私を、皆を信じよう。
固唾をのんで見守るカタリナ様を背に、クラウス殿下はこちらへと向かってくる。
そして……、
「エルフリート嬢。すまなかった」
彼は、謝意とともに私に深く頭を下げた。
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