◆セシリアは起死回生の一手を打つ
超絶悲報。リリアナ、クラウス様を魅了する。
事前に魅了の異能を封印した上、極力リリアナと攻略対象者が接近しないようにしていたのに、あんな形で事故ってしまうなんて想定外もいいところよ。エンディングを迎える最後まで気を引き締めなさいってことね。
学園の東棟、最上階にある談話室は、前世での生徒会に相当する学園内組織だけが使える特別な空間になっている。
落ち着いた色調の絨毯、革張りのソファ、冬では暖かな火が灯る暖炉。壁には歴代の優秀な卒業生の肖像画が飾られ、窓からは学園の広大な敷地が一望できる。
公爵家の娘である私にとってはありふれた環境だけれど、半数以上の生徒にとっては、この豪奢な空間は羨望の対象らしい。
私は窓辺に立ち、外の景色を眺めていたわ。
外では風が木々の葉を無で、窓ガラスを揺らしている。
もうすぐ私たち最上級生は卒業を迎える。
この学園で過ごした三年間……いえ。この世界で歩んできた私の、そしてリリアナの人生は、もうじき大きな転換点を迎える。そう、原作乙女ゲームのクライマックスシーンである夜会まで、あと少しだもの。
扉がノックされた。
「どうぞ。お入りなさい」
「……失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは、クラウス殿下の婚約者になったカタリナだった。
彼女は原作乙女ゲームにも登場する。立場としてはクラウス殿下の側近であるフリードリヒの婚約者、つまりは恋路の邪魔になる悪役令嬢ってわけ。辺境伯のご令嬢なので、華奢だったり豊満な淑女令嬢揃いの中で、彼女は比較的健康的に描かれている。
私ことセシリアはクラウス殿下ルートでの障害になることもあり、悪役同士セシリアとカタリナは親しかった。ゲームではない今生では二人とも王族に嫁ぐ予定のため、おそらく原作よりも良好で親密になれている、と私は思っている。
そんな彼女は、婚約者が違っているからか、乙女ゲームとは違った雰囲気をまとっていた。王子妃教育を順調にこなしている成果が現れていて、仕草や言葉遣いが洗練され、落ち着いた物腰で、気品を感じさせる。
「おまたせしました、セシリア様」
「いえ。私も来たばかりです、カタリナ様」
普通、令嬢同士の情報交換の場はお茶会ね。こんな風に学園内の密室に相手を呼び出しての意見すり合わせなんて、優雅さの欠片も無い。けれど、そんな華々しい世界にだって裏はあるわけで、こうして人目が付かない場での密会はよくある。
とは言え、立ったまま意見を交わそうなどという失礼なことはしない。私はカタリナに座るよう促し、茶と菓子を準備した。こうして自分でもてなすなんて結構やってきたから、様になっているだろうと自負する。
「ごめんなさいね。この後、王子妃教育のために王宮へ行かなければいけなかったのでしょう? 先方には話を通しているから、叱られることはない筈ですけれど」
「いえ。セシリア様との交流であれば、咎められはしないかと」
「そう」
こういう場では場の空気、雰囲気が大事なのよね。一方的に自分が喋りたいことを喋っても相手がちゃんと聞いてくれやしない。少しばかり場を和ませ、落ち着いてきたところで切り出すのがよろしい。
「さて、今日カタリナ様とお話したいのは、第二王子殿下についてです」
「……! クラウス様の……」
カタリナの婚約者について、と私が口にした途端、彼女はまず最初に衝撃を受けて顔を青ざめさせ、やがて段々と表情が歪んでいき、茶がなみなみと入ったカップを持つ手が怒りで震えていく。
「セシリア様。気分を害してしまうこと、先に謝罪いたします」
「いいえ、カタリナ様のお怒りはごもっともです。王家の方々や家族に打ち明けられないのでしたら、私が受け止めましょう」
「ありがとうございます。では……セシリア様の妹君のリリアナ様は、魔女に違いありません! でなければ、あのクラウス様があのように心変わりする筈なんて……!」
「私もあの方の婚約者候補だった身。お気持ちは充分に分かりますわ」
正直、外れてほしかったけれど、こうなるだろうって予想はしてた。
だって、原作乙女ゲームでは魅了の異能ってお助け要素な扱いで、攻略に必須ってわけじゃなかったから。
魅了して一時的に増やした好感度は減衰していく。ただしその減衰する幅は魅了の異能を使った時期、場面で異なる。明らかに場違いな雰囲気だったり公然の場で強行した場合は処刑エンドまっしぐらだし、効果的に使えば好感度はほぼ下がらない。
魅了したのは一瞬だったし、その後クラウス殿下はリリアナと会っていないから、やがてその植え付けられた想いを自制して、カタリナ様と良好な関係を維持してほしかったのだけれど……そうは問屋が卸さなかった。
「こうなったらリリアナ様が魔女だということを証明して、クラウス様の前で断罪すれば……!」
「それはお勧めいたしませんわ。リリアナがあのシュタイナー家のロゼリア様や侯爵閣下と親しいのはご存じでしょう? リリアナが魔女だったなら、真っ先に異端審問にかけられていたでしょう」
「それはそうですが、ロゼリア様方を騙していたり、既に魔女の手に堕ちている可能性は考えられませんか?」
「シュタイナー家一門は私たちが生まれるはるか以前から、魔女の討伐に人生を注いできました。魔女の持つ異能への対策も怠っていないでしょう」
あくまで今回はシュタイナー家管理下で発生した不慮の事故。通りすがりの人が転んで地面にまき散らした毛布に足を取られて尻もちをついた、みたいなもの。クラウス殿下は運が悪かった、とは言い難いものの、かと言ってリリアナを責めるのは建設的じゃない。
「誰が悪かったか、責任の所掌は、は国王陛下がお決めになること。そして陛下はシュタイナー侯閣下にリリアナへの封印の強化を命じ、再発防止とした。それ以上は私たちが騒ぐべきではないでしょう」
事が事だけにリリアナが魅了の異能持ちなこと、ヴィクトール様が封印を施したこと、一部王家の方々と情報を共有していることは、カタリナにも伝えられている。けれど、異能持ちと魔女との線引きは罪を犯したか否か。クラウス殿下を魅了したリリアナをリリアナが魔女だと罵ってもしょうがない。
「では、セシリア様は私にこのまま手をこまねいていろと仰るのですか!? あの普通でないご様子のクラウス様はセシリア様もご覧になったでしょう!」
「……そうですね」
正直、この一週間のことは後で悪夢を見返して魘されそうだわ。
恋に現を抜かす、と一言で言い表すのは簡単だけれど、そんなものじゃない。
あの様子はもはや執着、狂気の類よね。
「クラウス様にお会いする度にリリアナ様のことを聞かれる気持ちが分かりますか? 「今日はどこにいた?」、「誰と話していたか?」、「何を食べていたか?」、「どんな儒教を受けていたか?」 、だなんて、あの方の気分を害さないよう答える私の気持ちが……!」
「それは私も聞かれて……いえ、こんな情報は何の慰めにもなりませんね」
カタリナの表情が悲痛な叫びと共に歪む。
「クラウス様のお部屋に最後に行かれたのは? 今のあの方の部屋は……壁一面にリリアナ様の写生が貼られています」
「それは言わないでくださいませ。思い出したくありませんわ」
私はあのおぞましい光景が脳裏によぎり、背筋が寒くなるのを感じた。
この世界ではまだ定義されていない概念、前世の知識を借りて表現するなら、あれこそストーカーと呼ぶに相応しい。まさか一度魅了されただけで理知的だったクラウス様が理性を失って暴走するなんて、想像していなかったわ。
「私がクラウス様を諦めれば、もしくは役目に徹して割り切れば良いのかもしれません。ですが……私はクラウス様を愛してしまったのです!」
「クラウス殿下と共に歩み、愛を育まれたのですね」
「このままでは私は嫉妬と憎悪で身を焦がし、クラウス様やリリアナ様に害を成してしまうかもしれません。セシリア様、私……どうしたら……」
さめざめと泣きだすカタリナの姿は、原作での閑話でも目にしている。けれど、実際に目の当たりにすると彼女の嘆き、悲しみが私に伝わってくる。私まで胸が締め付けられて痛くなる。
けれど、決して他人事じゃない。だって今回はたまたまクラウス殿下が魅了にかかったけれど、エドヴァルト様が犠牲になっていた可能性だってあった。今のカタリナは、ありえたかもしれない私なのよ。
「……聊か外道な方法になりますけれど、解決法はあります」
「……!? 本当ですか!?」
「ただし、この方法を使うかはよく考えてからになさい。場合によっては……カタリナ様が罪に問われます」
「それでも……希望があるのでしたら私はすがりたいと思います」
私は鞄の中に入れていた小箱を取り出し、カタリナへと差し出した。カタリナが許可を求めたのでうなづき、カタリナは恐る恐るそれを手に取る。唾を飲んで小箱の中から、彼女は濃い紫色の水晶玉を取り出した。
カタリナはそれを窓にかざし、太陽光越しに眺める。不思議がっていた彼女の視線はやがてその水晶玉に釘付けになり、微動だにしなくなった。私が肩をゆすって彼女はようやく正気を取り戻す。
「カタリナ様、これは……」
「催眠の魔女の瞳、と呼ばれる魔道具です」
「……!? 催眠の、魔女……!」
これは原作乙女ゲームでも登場するマジックアイテムで、主人公の母親であるマリアとのイベントをこなしていると、主人公の伯母である催眠の魔女について明かされ、これを譲渡される。フレバーテキストでは伯母の形見的な説明が書かれていたけれど、ファンの間だと本当に魔女の瞳だとか物騒な憶測が語られていたっけ。
その効果は、一度だけ相手に言うことをきかせる、という反則的なもの。もっとも、作中ではトラウマを抱えた攻略対象者に過去を忘れてもらう、誘拐された友人を助けるために実行犯の一人に自白させる、など、健全な目的でばかり使われていたのよね。
「そんな効果が……。本当に催眠の魔女の異能が宿っているようです……」
「次にクラウス殿下と二人きりになった時に使いなさい。何を望むかは任せます」
「ありがとうございます! これでクラウス様をお救い出来ます……!」
「勿論、こんなことは言うまでもありませんが……」
私は彼女の肩に手を置く。出来るだけ優しく微笑むよう心がけたのだけれど、何故かカタリナは軽く悲鳴を上げて怯えてしまった。あら、私ったらそんな怖い顔をしてしまったのかしら。
「私はカタリナ様を信じて禁断の魔道具を渡したのです。決して他の方には絶対に使わないように。特に、もしエドヴァルト様を毒牙にかけるようでしたら……生まれたことを後悔していただきますので」
「も、勿論です! 決してそのような真似は致しません……!」
「結構。私はカタリナ様が幸福になることを願っていますので」
カタリナは愛おしそうに催眠の魔女の瞳を抱き締めた。
どうやら大人しくこれを起死回生の一手だと受け入れたようね。
普段の彼女だったら「こんな邪道な方法なんて!」って払いのけたでしょうに。
ともあれ、これでクラウス殿下の問題はどうにかなるでしょう。
あとはこのままリリアナの異能がこれ以上強化、または暴走しないようにしないと。
それには彼女の恋路にかかっている。
そうなれば、あとはもうヴィクトール様にお任せするしかない。
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