19.彪猛館
暗く深い叢林の中、馬車はどこまでも突き進んでいく。
「……そろそろか」
馨草の呟きが聞こえて、窓の外へと目を向ければ突き進んでいくその先に強い光が見えた。
──眩しい……。
辺りの暗さに慣れてしまった梓娟は、その眩さに目を細めた。
馬車は徐々に強くなる光へと向かって走り続け、そして叢林を抜けた。すると大きな郭門が見えた。
高くそびえ立つ大きく白い門。その左右には白い郭壁がどこまでも続いている。
郭門は固く閉ざされているが、馬車が近づくと自然と開き始めて、馬は足を止めることなく郭壁の内側へと入って行った。
門をくぐってすぐに梓娟の視界に飛び込んできたのは、白衣を纏う人々が歩く広い大通りだ。
それと沿うようにいくつもの建ち並ぶお上品な邸第。
まさに一つの街が成り立っていて、他の祓氏五門の本拠地にも負けずと劣らずの壮大さだった。
──すごいわね、一門で街を築いてしまうなんて。
その規模の大きさに茫然としながら街を眺める。
馬車は街に入った途端に脚を緩め、大きな通りを淑やかに歩いていく。
まるで貴婦人のような優雅さで、足場の悪い叢林を力強く乗り越えてきた馬と同じ馬とは思えない。
奥へと進むと立派な邸第が増え、そちらに気を取られる内に馬車が一際大きな邸館の横を通り過ぎた。
──あれ、今見てたのって……。
通り過ぎる間際、門にある勇ましい虎の姿が施された扁額が目に入った。
『彪猛館』、と文字が書かれていた気がして梓娟は小首を傾げる。
目的地は確か彪猛館という場所だった筈だ。
「あのー、今、彪猛館って書かれた邸館を通り過ぎたんですが……」
「あぁそうだね。通り過ぎたね」
あれは見間違いだったのかと不安げに馨草に尋ねてみるとさらりとそう返事が返ってきた。
──だからっ、向かっていたのは彪猛館じゃなかったの……!?
混乱している間に馬車が邸第の前で足を止めた。
門構えは何処よりも立派で、華やかな外観はとても目を引いた。
彪猛館にも負けない大邸第と言えば、頭に浮かぶのは一つしかない。
「あ、あの?此処は何処なんでしょうか?まさかとは思いますけど、白家の本邸……なぁんてことは──」
「そうだ」
「そうだ!?」
「折角だから私の邸第、白哮邸に君を招待したくなった」
「っ!?」
清々しい笑みを浮かべる馨草に梓娟は言葉を失った。
馨草の邸第は五門家の直系が住まう大邸第の事だ。
その辺の富豪の邸第とは比ではない。本来そう安安と足を踏み入れられる場所ではないのだ。
梓娟が黒家の姫と言えども、正式な招待されている訳でもなく、白家の大邸第を訪ねる理由もない。
白家の者たちは次々と馬車を降りて行くが、予想外の展開に冷や汗が止まらない梓娟は動く事すら出来なかった。
「梓娟殿」
先に馬車を降りた銀桂が手を差し伸べた。
爽やかな笑みと優しい気遣いは父親に似たのか、少年ながらの気遣いに梓娟は目を瞬いた。
「あ、ありがとう」
梓娟は照れくささを感じながらもその手を取ると、手のひらからあたたかな温もりを感じてどこかほっとさせられた。
しかし、大人たちの好奇の目線をひしひしと感じてそそくさと馬車を降りた。
「父上ー!」
白哮邸の中から元気な子供の声が響き渡った。
梓娟が中へ足を踏み入れると、駆けてくる無邪気な二人の子供の姿が目に入った。
歳が十にも満たない程の幼い少年と、まだ足取りが危うい幼い少女だ。
少年は勢いをつけて飛びついて、馨草はその小さな体をしっかりと受け止めた。
「お帰りなさい」
「あぁ、ただいま晃晃。ちゃんと修練はしていたかな?」
「あー……」
「その様子はしていないな?」
馨草は渋い顔をする少年をくすくすと笑っていると、足元にいる少女が小さな手で羽織りの裾を弱々しく引いた。
「……お父さま、斐縻も」
「あぁ、斐縻おいで」
小さくたどたどしい声でお願いされた馨草は、少年を下ろすと今度は少女を優しく抱え上げた。
なんとも微笑ましい家族の光景だ。
「弟の白晃と、妹の斐縻です」
銀桂がこっそりと耳打ちした。
「晃晃は蕣陽母上の、斐縻は白柳母上の子で、まぁ見ていると何となく分かるかもしれませんが」
そう言われて梓娟は再び子供たちを見た。
活発な白晃と控えめな斐縻。内面的な特徴がそれぞれの母にとても似ている。
顔をよく見れば何処となく母の面影もある。
「こら晃晃!修練をさぼるなんて!」
「修練嫌いは母上に似たんだ!」
蕣陽が一喝すれば、息子の白晃はべっと舌を見せて長い廊下を走り出した。
逃げ足が速い事にあっという間に見えなくなって、その後を目を吊り上げた蕣陽が追いかけていく。
「斐縻も追いかけっこする!」
「駄目斐縻!廊下は走っては駄目よ!」
駆け出した斐縻は蕣陽に追いつき追い越して、白晃が去って行った方向へと駆けていく。
白柳はというと、息が上がる蕣陽を気遣いながらも二人の子供らを追った。
それは一瞬の賑やかさで、それが一気に引いてしんと静まり返る中、銀桂は苦笑を零した。
「晃晃には困ったものです。まだまだ幼いと言ってもいずれは白家を背負って立つのだからさぼり癖を直してもらわないと」
──白家を、背負って立つ?
やれやれと零した銀桂の言葉に梓娟は引っかかった。
当主となるのは決まって長子だ。そして年齢から銀桂が長子であるはず。
ならば銀桂が次の白家当主となるのが道理なのだが、その言い方では白晃が当主だと言っているようなものだった。
──愛人の子供だから許してもらえないの?そもそも家から子だと認められていない……?
どんなに親子の関係が良かろうと家から認められなければ庶子と変わらない。いくら子であると主張しようとも出自の卑しさから家から認められない事は、五門家の系譜の中では珍しい話ではなかった。
もし銀桂を認めない者がいるとすれば、と思いつくのは馨草の一夫人だった。
「銀桂」
「はい」
馨草が手招きすると、銀桂はすぐに側に寄った。
ひそひそと耳打ちしている二人を複雑な表情で見つめていると、銀桂は「分かりました」と返した。
そして律儀に梓娟に礼をすると去って行ってしまった。
そしてまた馨草と二人きりになった。
抱きしめられた事もあり警戒心を剥き出して、まるで毛を逆撫でた子猫のような梓娟に馨草は小さく笑った。
「さて、私たちも行こうか」
「……行く?どちらへ?」
「妻の下だ。君に紹介しよう」
そう告げると白哮邸の奥へと歩き始めた。




