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伯父の命により、高潔すぎて『聖人』と噂の男の元へ行く事になりました。  作者: すずみ
第二章 火は燃え滾り金は煌めきを秘める【下】
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16.お姫様

 陽射しを遮るように深く生い茂った藪の中を、一台の高貴な馬車が駆け抜けて行く。

 叢林の切り拓かれた道は馬車が通るにはやっとの狭さだ。馬車が通れる最低限の幅だけを開鑿され、それ以外にはあまり人の手が入っていないようだ。

 少し湿った黒い地面はでこぼことしていて、その上を車輪が通ると屋形が大きく揺れて、馬車乗るのは初めての梓娟は体が揺られる感覚が慣れなかった。

 しかし高貴な馬車だけあって丈夫に作られているようで、さらに屋形の中は広くて座り心地も悪くなかった。

 とはいえ、白衣の女たちに挟まれて座るこの状況はとても居心地悪いもので、借りてきた猫のような身をすくめていた。

 おまけに何故か梓娟もまた白衣を纏っていた。


「西方にいるのだから君にもこの白衣を着てもらおう。どうせその青を着ているのだって大した理由ではないんだろ」


 馨草は中々勘が鋭いようだ。どこまで察しているかは分からないが、そくだらない理由である事は悟っているような様子だった。

 てきぱきと連れの女たちに手伝うように指示をして、馬車へと連行された梓娟は半ば強引に着替えさせられてしまった。

 梓娟はこの数ヶ月の間で青、赤、に続いて白の衣まで纏った。こんなにも祓氏五門を渡り歩いた人はきっと自分だけだと言い切れる自信があった。


 ──後は黄衣だけ。それで全家制覇だわ。


 ここまで来たらいっそ中央に寄ってから帰るのもいいかもしれない、なんて乾いた笑みを浮かべる。

 

「馨草様、本当にこの御方も連れて行くのですか?」


 右隣に座る凛々しい女が目の前の馨草に声をかけた。彼女は馨草の三夫人(さんのふじん)、名を白柳(はくりゅう)と言った。

 すらりと伸びた手足が羨ましく、物静かで落ち着きのある様子から大人びた印象を受けた。


「あぁ、折角黒家の姫が西方に来たんだ。彪猛館(ひょうもうかん)で手厚く饗してあげよう」

「えぇ!?」


 有無を言わさずに着替えをさせられ、呆気に取られている間に馬車が動き出し、馨草に流されるがまま、静かに馬車にガタゴトと揺られていた梓娟はようやく声を発した。

 彪猛館は虎西至美の本拠地であった。

 となれば、いつからか走っていたこの雑林は虎西至美の御膝元──皓白叢林(こうはくそうりん)だったという事になる。本拠地はここを抜けた所にある筈だ。

 

「だけど本当に黒家の姫なんですか馨草様?この娘が?」


 左隣に座る勝気そうな女が梓娟をジロリと見た。こちらは四夫人(よんのふじん)白蕣陽(はくしゅんよう)だ。

 小柄で少し幼さのある丸顔と気の強そうな瞳。歳は梓娟よりやや上か、大して変わらないように見えた。

 白柳と蕣陽。年齢も外見内面共に真逆で、女好きと噂の馨草の女の好みは幅広いようだ。

 馬車の中での会話を聞いている限りでは、銀桂の母はこのどちらでもなく、丹桂(たんけい)という、何年も前に亡くなった二夫人(にのふじん)らしい。

 二夫人といえば噂の愛人だ。

 白家の複雑な人間関係に梓娟は気まず思っていたものの、ギスギスとした雰囲気は一切なく、仲の悪さを全く感じられなかった。

 むしろ銀桂は二人を母と呼び慕い、二人は銀桂を我が子のように可愛がっている。どこをどう見ても仲睦まじい親子だった。

 話は戻り、蕣陽は納得がいかないと言った表情で梓娟を見ていた。


「お姫様には見えないわ」

「蕣陽、言葉に気をつけなさい。姫君は馨草様の御客様なのですから」

「でも柳姐さん、この娘から姫様っぽさが感じられないじゃない」


 白柳が窘めるも蕣陽は言葉を続ける。


「お姫様と言ったらやっぱり蒼家よ。蒼月(そうげっ)……月……えっと……名前忘れちゃった」


 梓娟はハッとした。


 ──月桂だわ……。


 彼女の事を思い出して、震える手で衣を握り締める。


「そのお姫様は前に山狩りで見たことがあるけど、お上品で、か細くて、か弱そうで、まさにお姫様って雰囲気だったわ。私は好かないけど、あの澄ました蒼眞佳にぴったりの──」

「蕣陽」


 空気を遮るように、馨草の、少し低くなった声が響いた。


「はっきり物を言える所は君の魅力の一つだが、言い過ぎるのは君の悪い所だ。私は人を卑しめる言葉は好きではないよ」

「も、申し訳ありません」


 馨草に叱られた蕣陽はしゅんと肩を落としてますます小さくなった。

 急に静まり返り重い雰囲気が漂い、梓娟は胸にじくじくと痛みを感じて手を当てた。


 ──お姫様らしさがない事は自覚しているわ。蒼月桂がお姫様らしいのも同意だわ。だけど、ここに来てまで蒼眞佳と彼女の事を聞くなんて……。


 思ってもいなかった名を聞かされて顔を俯ける。

 

「──そうでしょうか?私は梓娟殿も愛らしさのある姫君だと思います」


 聞こえてきた言葉に顔を上げれば、目の前に座る銀桂と目が合った。

 一刹那見つめ合えばふっと微笑まれて、梓娟の頬が真っ赤に染まる。


 ──な、なんて恐ろしい子なの!


 女好きの父に似てしまったのか、けれど父とは違い爽やかさがあった。

 さらりと言われた愛らしいという言葉は面映ゆく、梓娟はばくばくとうるさく鳴る胸を押さえながら激しく動揺していた。


「おや、銀桂は梓娟が好みなのかな?」

「父上、またそんな言葉でからかうのはやめてください」

「からかいなんて。父としてお前と将来を共にする伴侶を探すのは当たり前の事。梓娟殿ならばこの上ない相手だ」


 まぁ、と白柳が口元に手を当てて小さく声を漏らした。小さくなっていた蕣陽も勢いよく顔を上げ、大きくさせた目で梓娟と銀桂を交互に見ている。


「だから違います!母上たちも父上のからかいを真に受けないでください!」


 慌てて否定する銀桂の頬は薄っすらと赤くなっているように見えた。

 しかし梓娟だけはそんな賑やかな雰囲気の輪から外れていた。馨草が言った『伴侶』という言葉が引っかかり、胸のときめきがぴたりと止んで体の熱が引いていく。


『永遠を誓った伴侶』


 そんな風に周りに話していた彼。本当ではなく言葉だけの、それも延芳という偽物に対するものだった。

 今となってはその言葉すら無に帰したが、それでも……、とぼんやりと窓の向こうにある外を見つめる。

 梓娟の目には寂しさの色が混ざっていた。


 ──そういえば、馬車の窓から外をのぞき込んでいると蒼眞佳と目が合った……気がしたんだっけ?


 いつの山狩りの時だったか、天霊山の麓から中へと入っていく蒼眞佳は急にこちらを振り返り、そして微笑んだ。

 あの嬉しさを溢すような美しい微笑みは、まるで自分に向けられたような気がして梓娟の胸を熱くさせた。

 その高鳴りは今の比でもない程に熱く激しく、梓娟は確かにあの時彼に心を奪われていた。


 ──あれ?私、もしかするとあの時から蒼眞佳が好きだったりする……?


 あの頃の自分はあまりにも幼すぎて、疎すぎて、違う事に強く囚われていたので、その胸の熱さの意味が分からなかった。

 だけど本当にそうだったとしても今更な話だ。

 もし解っていたとしても何かが変わっていた訳でもない、と小さく自嘲する。

 そんな梓娟の横顔を、馨草がじっと見つめている事に気づくことはなかった。

 

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