14.穢れ一つない白
梓娟は北方へと目指し、西方の森の中を一人歩いていた。
黒家を出てからというもの、とても慌ただしく、とても賑やかな日々を過ごしていた。
そのご反動か、一人になってみると静かに流れゆく時に少しだけ物悲しさを覚えていた。
我焰たちと砂漠を越えたのも遥か昔のように思え、しんみりと空を見上げて陽の眩さに目を細める。
西方の気候は少しだけ肌寒さを感じた。雨が降る事もしばしばで、何度も足止めをさせられてしまった。
「これも西方の特徴なのかしら」
土地によって気候に特徴がある。北方は寒さが厳しく、南方は日が照り、東方は……。
と、思い出すのを躊躇うように見上げていた顔を下ろす。するとどこまでも澄み渡る青から、鮮やかに染まった黄へと視界が移り変わった。
「確か鴨脚樹……だったかしら?」
名の通り、葉は鴨の足の形に似て、色は黄金。ひらひらと散りゆく葉たちが、大地を覆い隠して全てを黄一色に染めている。
少しだけ寂しくなっていた気持ちを明るくさせる美しい光景だった。
「とても綺麗」
思わずため息が零れる。
青々とした葉も良いが、この鮮やかな小金色の葉もとても目を引いて、見ているとうっとりとさせる。
父母と訪れる街々で色とりどりな光景と出会っては、大きくさせた目をきらきらと輝かせていた。あの頃のように胸がわくわくとしていた。
梓娟は笑みを綻ばせて小金の森の中を進んで行くと、微かに葉が潰れる音が聞こえてきた。
何気なく振り返ると木陰に黒い影が見えた。それも一つ、二つではない。
警戒していると、見るからに柄の悪そうな男たちがぞろぞろと姿を見せた。手には剥き出しになった剣を握り締めている。
──なに、こいつら……?
美しい鴨脚樹を見ながら森を散歩していた──とは到底思えない。
ついてるぜ、と男の一人が口笛を吹いた。
「嬢ちゃん、こんな所を女一人で歩くなんで危険だぜ」
「俺たちが近くの街まで送っていってやるよ」
そんな言葉を信じるほど梓娟も馬鹿ではない。目の前の男たちを睨みながら落花水沈の柄を握る。
しかしその手は震えていて鞘から抜く事がままならなかった。
──手が震えて上手く握れない……。
目の前にいるのは男たちは賊だ。かつて賊に追われた時の記憶が蘇り、その時の恐怖が手に表れていた。
怯える梓娟の姿に男たちはにやにやと笑みを深くした。
じりじりと近づいてくるが、何も出来ず一歩後退る。そんな姿にますます気分を良くした男の手が伸びて来てぎゅっと目を瞑った。
─────────。
ふわり……、と微かに土が舞う匂いがした気がした。
空を斬り裂く音が前から聞こえ、直後に男の叫び声が響き渡った。
目を瞑ったままだった梓娟は、聞こえてくる幾つもの野太い悲鳴に肩を震わせた。
辺りが静かになると、何があったのかとそっと瞼を開いた。すると目の前には剣を振り下ろした少年が立っていた。
──誰?
唖然としながら地べたに転がる賊たちを見ると手を押さえながら苦しんでいた。その赤々とした悲惨な光景から梓娟は思わず目を逸らす。
たまたま逸らした先には少年が立っている。
──この子、がこれをやったの?そもそも何処から現れたの?物音も気配も感じなかったわ。
一体何処から飛び出てきたのか、少年は本当に忽然と現れのだ。
梓娟は少年を訝しく見つめた。歳は四つ、五つ程下か。穢れ一つない真っ白な衣を纏っていた。
「……白い、衣……」
「大丈夫ですか?」
剣をしまいながら少年は微笑んだ。
まだ少しあどけなさがあるものの清爽な笑顔だった。どこか安心とさせてくれるような、穏やかな雰囲気に張り詰めていた糸が解けていく。
「……え、えぇ」
「なら良かった」
少年はほっとしたようにまた微笑んだ。
その後ろで未だ元気な賊たちが、こめかみに青筋を立てて剣を構えているのが見えた。
「貴方後ろっ──!」
青ざめた顔の梓娟が少年の背後を指さしたが、少年は別の方角へと顔を向けて何かを見つめている。
そのまま顔を寄せてきて、梓娟の耳元で囁いた。
「少し目を瞑っていて頂けますか?あと手で顔を覆っていた方が良いかもしれない」
「え?」
少年の言っていた言葉の意味が分からなかったが、梓娟は言われるがまま目を瞑り両手で顔を覆う。
──……音?それもどんどん近くなっているような……?
どこかから音が聞こえてくる。
まるで土を強く蹴るような音で、草木がかさかさと揺れる音も聞こえた──その直後だ。
「っ!?」
何が起きたのか分からなかった。
けれど指と指の間から眩さが入り込んできて、瞼を閉じていてもなお光を感じた。きっとそれは強い光で、その証に肌が少しひりひりとしていた。
「もう開けて大丈夫ですよ」
少年の声に従って瞼を開いた。
あんなにも威を張っていた賊たちは皆顔を両手で覆い、地にひれ伏して悶え苦しんでいた。こぞって目を訴えるような呻き声が聞こえてくる。
──何があったの!?
「──ふふっ」
梓娟が驚く中、笑い声が聞こえきた。顔を向けると視線の先には男がいた。
男は目鼻立ちの良い顔に柔和な浮かべてこちらへと向かって来る。歩みには優雅さを感じさせ、白く長い羽織りの裾が靡く。
「お前たちの目は暫く役に立たない。中央からこの西の地に流れてきた愚かさと、愛らしい女性に手を出そうとした卑しさを後悔すると良い」
蔑むような言葉を冷たく言い放つとそれ以降、地を這うそれらに目を向ける事はない。目にも入れなくもないように感じた。
突然現れた男は梓娟を見つめ、側まで来るとそっと右手を取り、その上にもう一方の手を優しく重ねた。
「大丈夫だったかい?下賤な輩に絡まれてさぞかし怖かっただろう」
賊に向けた冷淡とした声とは違って甘く響く声色だ。梓娟は色香を漂わせるその笑顔を知っているような気がしたが思い出せない。
「あ、ありがとうございます……」
梓引き攣った笑みを浮かべながら重ねられた手を離した。
男の顔だけではなく、この状況にもどこか既視感を覚えていた。
──あぁ思い出せない!ここまで来てるのに、とても知ってるの気がするのに!
端正な顔立ちと甘い声。
女に優しく親しげで、さり気なく触れてくる。
そんな男に心当たりは──あった。
──そうよ、赤尾殿だわ!
梓娟はポンッと手を叩いた。
腑に落ちてすっきりとしていると、男の片眉が微かに上がった。
「父上」
少年は二人の間に割り入り、繋いでいた手を半ば強引に引き離した。
「あまり過ぎた事をしていると母上たちに報告しますよ」
「なんて言い草だ銀桂?息子が急にいなくなるものだから急いで駆けて来たというのに、父に向かって酷い言葉だ」
銀桂と呼ばれた少年は冷ややかな目で、父と呼んだ男を見つめている。
男はと言えばやれやれと大げさにため息を吐いた。
──あまり似てはないけど、二人は親子なの?
父と息子。二人の会話から親子であるようなのだが梓娟は思わず訝しく眉を寄せた。
外見から男の年齢は三十前後。聯明と歳がそう変わらないように見える。そして銀桂は十四、五といった所か。男に少年のような年頃の子がいるようには見えない。
余程若い頃に生まれた子か、それとも男が若々しく見えるのか。
「──僕が居ない間に変な事はしないでくださいね」
強く釘を刺す銀桂の声に梓娟ははっとした。
気付いた時には銀桂の姿は忽然と消えて、この場には男と梓娟の二人だけとなっていた──地に転がっている賊たちは省いてだ。
難しそうな表情で考え込んでいると、男に見つめられているのに気づいて頬がうっすらと赤らむ。そんな恥ずかしがる姿に男は笑みを深くした。
あっ……、と梓娟は口を開いた。
「この先に馬車を待たせてある。銀桂は一足先に戻った。君もこちらへおいで」
その言葉にごくりと唾を飲み込む。目の前を歩く男の正体を思い出したからだ。
白い衣と言えば西方の祓氏五門『虎西至美』。
そして目の前にいる男はそれら束ねる男だ。
白家の当主、白馨草。
「じゃあ行こうか、黒梓娟」
白馨草の言葉に、梓娟は大きく目を張った。




