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伯父の命により、高潔すぎて『聖人』と噂の男の元へ行く事になりました。  作者: すずみ
第二章 火は燃え滾り金は煌めきを秘める【上】
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13.そんな奴はいない

 朱瑞峡(しゅずいきょう)──そこは槭羽渓谷よりもさらに南にある峡谷だ。峻険な山並みに『羽無き者の侵入を防ぐ砦』と呼ぶ者もいる。

 嶮しい山々の中には赤い建物たちが建ち並び、遠目から見る、青葉茂る木々の合間にちらほらとのぞく色鮮やかな光景は思わず感嘆の息を漏らす勝景だ。

 山に沿って長く伸びる赤い廊下の先には、鳳南闊達の本拠地「赫羽大館(かくばたいかん)』があり、見るも逞しい祓氏たちが日々己を磨く。

 そして向かいの山には大きく立派な宮殿がある。そこは赤家直系たちが住まう、『緋翼宮(ひよくきゅう)』があった。




「──そんなに気に食わぬのなら此処へと戻って来なければ良かろう?」

「なんだと……?」


 緋翼宮の大広間に凛とした声が響いた。

 その言葉に、我焰の口からは地を這うような低い声が零れていた。

 大広間を照らす燭台では、灯された炎が盛んに燃えている。我焰の今の心情を表しているかのようだ。

 あれから十数年か、久しく会っていない姉と弟が顔を合わせた。しかし感動の再会とはほど遠い雰囲気だ。

 怒りを露わにさせる我焰に、取り巻きの男共は怯え青ざめている。

 しかし目の前の高座に座る女だけは、狼狽えるどころか、真っ赤な紅を塗った唇が弧を描いていて、ますます不快感を煽った。


 ──母親(しょうわる)にそっくりな腹の立つ顔だ!虫酸が走る!


 肘掛けに頬杖をついて見下してくる顔にその面影が重なって、赤南天(せきなんてん)を睨み上げながら強く拳を握りしめる。


娘子じょうし、折角弟が来てくれたというのにそんな言い方は……」

「貴方様は黙っていなさい」


 しんと静まる中たどたどしく声を上げた男は我焰をここへと呼んだ男だ。

 確か名は何処かで見た赤紫の花を咲かす木と同じだが、我焰ははっきりと名を見た事がないので記憶は曖昧だ。

 赤南天に口答え出来る唯一の男だったが、気の弱さから赤南天に勝てる筈もなく、簡単に押し黙ってしまう。

 再び沈黙に包まれて、先に耐えられなくなったのは我焰だった。


「こんな所、誰が来るか!」


 我焰は怒りのままに吐き出して居心地の悪い大広間を後にした。


 ──何が弟だ!姉弟だと思った事などない!


 赤南天とは異母姉弟であった。

 姉弟関係は最悪。これまで碌に口を利いた事がなく、南天の名を受け継ぐ前の名など忘れてやる程に、我焰はこの姉を嫌っていた。

 全ての元凶は母達の関係にあった。

 我焰の母は元々槭河宮に仕える祓氏だった。特に優秀という訳ではなく、至って普通の祓氏だ。

 けれど二夫人(にのふじん)となった。

 当主との出会いは偶然で、ほんの少し気に入られただけ。だが、赤家当主夫人へと担ぎ上げられてしまった。 

 その裏には五門家だからこその理由があった。

 霊獣の血筋とは不思議なもので、体に流れる血が濃ければ濃いほど子が生まれにくく、子を授かるのに長い年月を要してしまう。

 夜を共にするようになってから一年で子が授かる事は殆どなく、二年で子が授かるのも珍しく、三年で授かれば大したものだ。

 そして一人でも子が生まれれば良い方だ。

 この理由からでこれまでの祓氏五門の当主たちの多くが、世継ぎを残す為に夫人を何人も抱えていた。

 南天の母の正夫人は、直系により近い傍系の血筋であった。その為世継ぎを不安視する者もいたが、婚礼から五年が経とうとした頃、念願叶って子を身籠った。

 血が濃ければ子が生まれにくい反面、生まれればより霊力の強い子が生まれてくる。赤家安泰と喜ばれ、子が生まれた時はそれはそれは盛大な賀宴が開いて祝ったそうだ。

 けれど生まれたのは女だった。

 赤家ではこれまで、長子は不思議と決まって男だった。この状況は静かな波紋を生んだ。

 次の当主は女で良いのか、と。

 水面下で意見が分かれる中、我焰の母はまんまと目をつけられ、大して好かれている訳でもないのに、否応なしに夫人へと迎え入れられた。


 ──母上は体よく祭り上げられたのだ。


 我焰はそう思う度に、胸の奥底から沸々と怒りが湧き上がってくる──。

 母が夫人となって二年ばかりか、思惑通りに子を身籠った。

 我焰が生まれると周囲は喜びに満ちあふれ、当主は我焰が就くだろうと誰もが言った。

 その状況が面白くない正夫人は、娘を当主にせん為に我焰達に執念深く陰湿的な嫌がらせをし始めたのだ。

 見るも無残なものを送りつけた時もあれば、嵐の日に親子共々外へと追い出して雨ざらしにされた事もある。

 女主人から虐げられる憐れな親子を見つめ、袖で口元を隠しながらもくすくすと笑う下女たちのにやけた顔は気味が悪く、正夫人の次に嫌いだった。

 思い出したくもない過去の記憶の中で、姉は直接何かをしてくる事はなかった。

 けれど優しく助けてくれることも無かった。


「目障りだ」


 いつも穢らわしいものを見るような冷めた目で見下して吐き捨てた。その娘の言葉に正夫人はその場では興が冷めて、結果助けられる形となった。

 我焰にはあれが姉自身の母にも向けた言葉にも聞こえた。とは言え、蔑まれているのに感謝する気などさらさらなかった。

 執拗に続く正夫人の側夫人へとあまりにも酷い仕打ちに、見兼ねた当主は暫く親子で槭河宮に身を寄せることを勧めてきた。

 それは笄年を迎えた姉の誕生日の翌日の事で、夜宴で父は美しい赤玉の簪と、高価な赤羽衣を贈ったと事も知っていた。

 我焰は宴に呼ばれた事も祝われた事もない。

 夫人にずっと惨めな思いをさせられて、父に最後まで助けられる事はなかった。


 ──こいつは俺たちを捨てたんだ……。


 それでもほんの少しだけ父に期待を抱いていた我焰は父に絶望した時だった。


「好きなだけここにいればいいさ。その代わりいっぱい働いて貰うけどね」

 

 時が流れ、父を持ち続けていた母が亡くなった時に言われた姉弟子の翅楓の言葉だ。

 最初は素直に受け入れる事もできなかった。だが、面倒見の良い翅楓はいつも優しくて、常にそばにいて、決して惨めにはさせなかった。

 その後、護衛中に襲ってきた賊の一人だった赤尾に付き纏われるようになり、騒がしい日々を送る内に、いつしか槭河宮こそが我焰の居場所となっていった。

 いつしか父が亡くなり、姉が当主となり、その姉が婚儀を挙げた。しかし我焰の下には家から文一つ届く事はなかった。

 槭河宮の女主人となった翅楓から知らされるだけで、ずっと蚊帳の外だった。

 そんな中、兄を名乗る者からの文が届いた。


『兄として君と話がしてみたい』


 我焰は読むなり馬鹿げた文だと、最後の差出人の名まで目を通す事もなく破り捨てた。

 あの姉が選んだ男は不甲斐ない男だと聞いていたが、どうやらひどく可笑しな男のようだ。

 そのあとも幾年月、兄を名乗る変わり者から文は届き続けたが我焰は受け取る事すらしなくなった。

 けれどあまりにもしつこかったから、たまたま、護衛ついでに、緋翼宮に寄ってみただけだった。


 ──戻らなければ良かった!


 我焰はひどく後悔していた。


「我焰待ってくれ!」


 変わり者は走って追いかけてくるが待つ気などさらさらない。

 羽を広げて飛び上がろうとした時、目の前に小さな影があった。


「あ、あの、あなたがおじ上ですか?」


 小紅しょうこう、と呼ぶ声が後ろから聞こえてくる。

 手をもじもじとさせて声をかけてきた子どもは、まだまだ小さくて、どこか怯えながらも、釣り上がる目尻が南天にひどく似ていた。

 しかし顔は全く似ていない。むしろその顔つきは軟弱だった幼き頃の自分に似ていている気がした。


『貴方はお父様似ね』

 

 何故か今になって嬉しそうに言った、母の言葉を思い出した。


 ──ッ、全てが不愉快だ!


 我焰はちっと舌を鳴らすと、初めて顔を合わせた甥を無視して空へと飛び上がった。

 周りは常に蔑んだ目か、或いは怯えた目で自分を見てくる。我焰はそれが無性に腹立たしくて、胸の奥をもやもやとさせた。

 きっと自分に微笑みかける物好きなど母か翅楓ぐらいだ、とそう思って羽を打った──。

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