11.あたたかな炎
闇が全てを飲み込んだ時刻、真っ暗な砂漠を焚き火の灯火がゆらゆらと梓娟たちを照らす。
灼熱地獄だった昼間から一変、陽が沈むと急激に気温が下がって寒さが襲ってくる。唯一の頼りである赤赤とした炎は、冷える体までもあたためてくれていた。
「じゃあ俺は周りに魔物がいないか見てきやす。坊っちゃん任せましたよ」
赤尾は梓娟にそう告げると、「あっそうだ」と我焰の側に寄り耳打ちをする。
「……坊っちゃん、お嬢さんを襲うってんなら俺は朝まで外しやすぜ?」
「誰がするか!早く行け!」
赤尾は我焰の怒りの拳を躱すと、けらけらと笑って暗闇の中へと消えていった。
怒りが収まず我焰は舌を鳴らした。
おかしな事をいいやがって、と小さく呟きながらも目を向ける。視線の先には梓娟が焚き火の側で腰を下ろして休んでた。
我焰は何度言えない表情を浮かべながらも、ひと一人分ほど空けて、並ぶように腰を下ろした。
「今何を言われたんですか?」
「……別に大した事じゃない」
大した事ではないと言いながらも、赤尾が何か余計な事を言ったのは我焰の態度を見れば一目瞭然で、梓娟は苦笑した。
「にしても、お前は何で飛べない癖に一人で砂漠を越えようとしたんだ?」
ぎくりと口元が引き攣る。
龍東万雷の女が東ではなく西に向かう事に、我焰は腑に落ちない様子だった。
梓娟は誤魔化そうと適当な理由を考えてみたが、それは浮かばなかった。
「……家に帰る為よ」
青家の血筋だからといって全ての者が東方に身を置いている訳でもなかった。
祓氏にならなかった者もいれば、嫁ぎ先が遠方だった者もいる。様々な事で違う土地へと移り住んでいる事は珍しくはなかった。延芳がその例だ。
だから言ったところで問題はないと考えて、本当の事を伝えた。
「へぇ、帰る家があるのか。それは良かったな、家族がいて」
何が気に入らなかったのか、我焰は眉間に皺を寄せて再び苛立ちを露わにした。
その言い草はどこか引っかかる言い方で、梓娟の胸がもやもやとして顔を俯かせた。
「……良い、のかしら?あの家には父様も母様もいないのに」
梓娟の表情が陰る。
落花水沈を握って戦う度に母を思い出していた。だから寂しさを徐々に募らせて、思わず口から零れてしまった。
「は?それはどういう意味だ?」
梓娟の変化を感じ取り、我焰が眉を寄せる。しかしそれは苛立ちとは違う表情だ。
「⋯⋯小さかった頃、賊に襲われたの」
ぽつりと言葉を漏らす。
あれは母が祓氏を辞めると決めて、居を構え始めた矢先の事だった。
そこは賑やかな人里から離れた山を少し登った所。草木が茂り、近くには川も流れ、静かで落ち着いた雰囲気に母はとても気に入っていた。
その日は街の方へ買い出しへと向かった父の帰りを二人で待つ中、突然口元を布で覆った男たちがやって来たのだ。
鋭くさせた男の目は今でも覚えている。
「母様は殺されて、私は賊に追われてその途中で川に落ちて……命からがら助かって今は叔父上の下でお世話になってるけれど、あれから父様の行方が分かないの。もしかすると父様まで賊に……」
殺されたのかもしれない、と言いかけて膝の上に乗せていた落花水沈をぎゅっと握りしめる。その手は震えていた。
「確かに今は帰る家があるけれど、私が待ってて欲しい人はそこにはいない。だから良いのか分からないわ」
黒善爾たちがいるから孤独ではなかった。
あの家には居場所がある。けれど行方不明の父や、亡くなった母を思うと寂しくてたまらなくなる。
どんなに月日が流れようとも、梓娟のぽっかりと空いた心の隙間は、あの頃から埋まる事はなかった。
──もう平気だと思ってたのに⋯⋯。
俯く梓娟の耳に、微かな声が聞こえた。
「……かったな」
「え?」
この声が聞き取れず梓娟は聞き返す。
「だからっ、変な事言って悪かったな!」
我焰の謝罪に梓娟は目を丸くした。
謝ったことがないと聞いていた我焰が謝った。それは驚き意外の何ものでもなかった。
「何だよその顔」
「いえ、その……」
意外だったと正直に言えば怒らせてしまうのは目に見えていた。なのでもごもごと誤魔化しながら焚き火へと顔を向ける。
燃え滾る火は強く、まるで我焰のようだ。
我焰が霊力で燃やしたからか、冷えた体があたたかくなったきて気が緩んでいく。見つめている段々と瞼が重くなってきた。
「……家に帰った後はどうするんだ?」
「そうねぇ……」
「祓氏五門の一人なら山狩りに出なくとも天霊山には来るだろ?」
「……そう、ね──」
「っ!?──お、おいっ!」
寝不足だった梓娟は睡魔には勝てず、あたたかな心地よさにとうとう瞼が落ちてしまった。
うつらうつらとしていた梓娟の頭は傾いて、隣にあった我焰の肩に身を預ける。
我焰は今の状況に気が動転して、しかし今は下手に慌てふためく事が出来ない。
いつものように冷たく邪魔だと乱暴に振り落とせば良いのだが、今はその考えが浮かばなかった。
肩に重さを感じながらすやすやと眠る寝顔を見つめると胸が喧しく騒いで、情けない顔が焚き火に赤赤と照らされる。
落ち着かない。
けれど不思議と嫌ではなかった。
戻って来た赤尾に茶化されるまで、我焰は梓娟を離すことはしなかった。




