24:人生で一番うれしいこと
翌日はデモの日と同じ金曜日だった。午前十時にコンベンションセンターに着いた。五階に上がる。
中央部にイベントをやるような広場があった。周りにぐるっと二段の席がある。
ここでやるのね、出口はどこかしら? 建物のはずれに割と広い階段があった。ロボットはここから降りるしかないわね。陽子はロボットの歩きを想定して階段を下りた。ロボットの歩みは、ほぼ人間がゆっくり歩く速度だ。
コンベンションセンターからカジノタワーまでは約百メートル、カジノタワーの商業ビルが五階あり、百五十メートルの中央展望台、三百メートルの最上階展望台まで、ずっと階段がある。陽子は一気に歩いて二時間だった。……これなら避難にちょうどいい時間かもね、歩道や階段のつながりも良く、ロボットが歩くにも無理がない。どうも最上階のさらに上に小さな部屋があるようだ、そこまで通常のエレベーターとは別の小型のエレベーターが直通で来ている。おそらく関係者の部屋であろう。
陽子は問題の脚の周辺を調べに地上に降りた。外から脚の根本まで行く道順は幸いにフラットだ。ロボットがアセチレンタンクを運び込むのに障害がない。割とスムーズに運び込めそうね。そう、先生もそのあたりは確認しているはず。
あらためてブーツのような太い脚部を見た。約三メートルまでが異様に太く、それ以上はかなりスッキリしている印象だ。見世物にしているのは主に町側の脚二本だ。海側の二本は特に飾りがなく、脚と同じぐらいの高さにコンクリートの構造物がある。陽子はピンと来た――脚の間近にフラットなスペースがある――あそこ、作業しやすいな。
陽子はあらためて最上階に上がった。どの場所で煙幕を出して、どちらの方向から避難誘導すれば効果的かを確認するためだ。
最上階は少し狭いがそれでも二百人ぐらいは入場できる。ちょうどエレベーターと階段の反対側にゴミ箱のスペースがあった。その裏で煙幕装置を作動させることができそうだ。
ここからアナウンスすれば、皆エレベーターと階段に逃げるはずね。最上階はこれで決まった。
次は中央展望台だ。ここは広い。少なくとも六百人ぐらいは入れる。ここも基本的には同じような構成だった。やはりゴミ箱スペースが利用できる。
最後は五階立ての商業ビル。ここは最上階で煙を出せば、下の階まで煙が降りる。結局三か所でそれぞれ同じ行動をすることにした。おそらく先生も同じ考えだったに違いない。山崎さんが気づいたように、煙幕装置が複数回使用ができるように改造されていたからだ。
カジノタワーの視察で陽子は先生の狙いがだんだん見えてきた。強烈な不安感は少しずつ収まってきている。
残るは脚の溶断についての情報だけだ。陽子は帰宅するとすぐに、溶接屋のオヤジに電話をかけた。
「オヤジさん、また溶断のことで教えて」
「いいよ、なに?」
「このまえ聞いた二十センチの鉄板だけど、溶断するのにどのくらい時間がかかるの?」
「ああ、あれか。切れるって言ったけどな、実際に二十センチを切ったことはないよ。オレの仕事でそんなもの将来もないしな」
「実際には最高十センチだな」
「それでどのくらい?」
「その前によ、切るって言ってもよ、ただ切るのと、きれいに切るのじゃ全然ちがうぞ。切るだけだと切った跡が傷んで、材料としてはペケだからな」
「そうかもね、いちおう切るだけの話で教えてよ」
「そうよな、火が抜けるのに十五分ってとこかな。火が抜けるって分かるよな、炎が最初に貫通するってこと」
「抜けちゃうと早いけど、十センチもあると一センチ切るのに一分ぐらいかな。だから十センチの長さを切るのに十分ってとこ、もし二十センチの厚さだったら十センチ切るのに二十五分はかかると思うよ、言っとくけどオレの感だよ、感……」
「それとな、そんだけ厚いとガスが持たないぞ、酸素ビンが空になっちゃう」
「あっ、酸素ビンって、タンクのことな、おまえ知ってるよな」
「わかるわかる、おやじさんありがと。あっ、ちょっと待って」
陽子はこの際、おやじさんにダイレクトに聞いてみようと思い立った。
「おやじさん、カジノタワーって知ってるよね」
「ああ、横浜のだろ、知ってるさ」
「冗談だけどさあ、あれを解体するとしたら、おやじさんだったらどうやる?」
「ハハッ、おまえ、前から変わった女だと思ってたけど、本物だな」
「言っとくけど、マジに答えないぞ。……そうだな、オレだったら、あの根本は避けて、そのすぐ上を切るな。あの根本は異常に太すぎて、厚さ二十センチ以上あるかもしれない。だけどすぐ上は厚いけどまあ、あり得る太さだよな、だからあそこを狙う。あれだとたぶん厚さが十から十五センチぐらいだろうな。あそこだったら全部切らなくても、三分の一ぐらい切ったらかなりヤバくなるぞ。半分切れば間違いなく倒れる。倒しちゃえば地上だからその後は簡単にバラせる」
「オレは解体屋じゃないけど、プロだったら必ずそうすると思うよ」
おやじさんの見解は明確だ。おそらく先生も同じアプローチで倒すことを考えていたはずだ。ここで肝心なことが分かった。おそらく脚の溶断は三十分から一時間ぐらいだ。
これでかなり煮詰まったスケジュールが組める。それ以上細かく考えても意味がない。あとはぶっつけ本番の対応力ということになるだろう。陽子の腹は決まった。
十一月九日、陽子はサブロウの墓参りをした。サブロウ家の墓はちょっと変わっている。墓石がアニメのガンダムのような格好で墓地でもひときわ目立つ。サブロウの父親が亡くなった時に建てたものだ。陽子は墓前に立った。
「サブロウ、あんたって自分のためにお墓作っちゃったんだね。似合ってるよ」
「いよいよあさってやるよ。もう準備万端、これ以上やることない」
「自信? ないよ……こんなこと自信あるわけないじゃん」
「全部うまく行ってもさ、あたし、生きられるか分からない」
「サブロウ、運命ってなにさ……あたし、昨日じっくり考えたの。結果が良くても悪くても何かを達成しようとして、がんばって、それで死んだらいい人生だったって思えるよね。 そうなる運命だったら、それも良かったってことになるのかな? あんた自分を貶めることになって死んで、悔しかったでしょう。だけどあたし、最後にあんたの本心を知って、私が危険な事にならないようにしてくれたってことが分かって、……うれしかったよ。ほんとに。最後に『いい女だ』って言ってくれたよね……あとで思うと、あれって最高。人生で一番うれしいこと」
「だからさ、もう最高を極めちゃったからさ、死んでも悔いはないよ。でもその前にタワーのボスに一撃食らわしてやる。見ててね……」
陽子は墓地を後にした。
十一月十日、陽子は母とサブロウの母を一緒に食事に誘った。母どうしも姉妹のように仲がいい。二人はけっこうお酒を飲んでご機嫌であった。
家に帰ると母は早々に寝てしまった。陽子は枕もとで正座し母に深々と頭を下げた。
「お母さん、孫を見せられなくてごめんね、これでお別れかもしれない。お世話になりました」
十一月十一日、いい天気だった。陽子はスーツケースにメガホンを入れ、母には一泊旅行と伝えた。
八時にコンベンションセンターに着いた。山崎さんたちは九時にやってくる。カジノタワーがいつもより大きく見える。風はない。
「おはようございます」工場長の今井さんと山崎さんが到着した。
「おはようございます、天気いいけどちょっと寒いですね」
五階は半屋根のため、この時期はちょっと寒い。山崎さんたちは、そそくさと準備を始める。陽子もロボットの運び出しを手伝った。
ロボットのデモは午後一時から始まる。ということはロボットが動き出してからカジノタワーまで移動に二時間かかるので、陽子は午後一時に合わせて発煙を開始することになる。 ロボットが到着するころにはタワーの全員が避難を終えていなければならない。陽子は発煙装置に注目していた。デモが開始する前に発煙装置を持ち出さなければならない。そのために陽子はわざと装置を消火器の後ろに移した、持ち出しが発覚しないように。
約一時間で準備は整った。山崎さんたちはこの『ロボット消防士』デモは、もう三度目だそうで、慣れからか非常にリラックスして雑談に夢中だ。
お昼になった。山崎さんたちは昼食に陽子を誘った。
「ちょっとカジノタワーを見たいのでお昼は自分で食べます」
「そうですか、じゃあ一時にデモは始まりますから、見に来てくださいね」
山崎さんたちは食堂に向かった。
今だ、陽子は発煙装置をスーツケースに入れた。
早く、早く、十二時半までにタワーの最上階まで発煙装置を上げなくては、時間に余裕はあるはずだが、気は焦る。
十二時二十分、陽子は最上階の展望台に着いた。見回すと観光客は百人ほどだった。
「フーッ」陽子は深呼吸をした。ついに始まる――自分ってこんな精神状態になるんだ。陽子は意外に冷静な自分に驚いた。スーツケースを開けて発煙装置を取り出し、ゴミ箱の後ろに置いた。
そうそう、――マスクをしなきゃ。陽子はマスクをすることを忘れていた。
「実は焦ってるのかな」陽子はひとりごとをつぶやきながら発煙装置を作動させた。
「シューッ」少し間をおいて、黄色い煙が出始めた。
陽子はメガホンを取り出し、ボリウムを最大に上げた。
「火事です! 有毒性のガスが出ました。まだ大丈夫です。みなさん慌てず、階段かエレベーターで避難してください。エレベターは大丈夫です。慌てないでください!」
「ヒイッ」
黄色い煙を見て、みんなが動転した。エレベーターは二台あるが、両方とも一瞬で満員になった。
「階段は安全です。外に出れば大丈夫です。押さずにゆっくり逃げましょう!」
陽子の重なる案内に、皆は冷静さを取り戻した。
時計を見た。ちょうど午後一時だった。
コンベンションセンターでは、山崎さんがロボットのスイッチを入れた。
「ヒュイーン」ロボットが一斉に動き出した。デモの始まりだ。
「あれっ」山崎さんが叫んだ。
ロボット三台が一斉に階段の方に向けて歩き出した。
「エラーだ、動きがおかしい!」
「止めて、止めて」
今井さんが大声を出した。
「止まらない!」
今度は山崎さんが叫んだ。
「リモコンが効かない。こんなこと初めてだ」
二人の叫びをよそに、ロボットは階段を降り始めた。
消火器を持ったR1とR2、それにLB(救命カプセル)をかついだR4が続く。R3は停止したままになっている。
展望台では、ほとんどの人が避難を終えた。
「ガシャン」上の方から音がして、階段が降りてきた。
「ナンだこれは?」
強い調子で叫びながら太った男が階段を降りてきた。
白だった。
「ナニこの煙は、あなただれ?」
陽子はこの人が中国人の白だということが一瞬で分かった。
「白さんね、あなたすぐ逃げないと死ぬわよ、この煙は猛毒!」
陽子が叫んだ。
「アワワゥ」
白は言葉にならない声をあげ、小型エレベーターに駆け込んだ。
エレベーターが下がり始めるまで、二人の目があった。
白さんは陽子を睨んだまま下降を始めた。
「OK、次は中央展望台ね」
陽子は下に降りた。
一方ロボットはコンベンションセンターを出て、カジノタワーに向かって進行中だった。
最上階展望台から脱出した観光客が一階に着き、タワーに何かが起きていることが伝わり始めた。
「火事みたいです。すごく危険そうです。黄色い煙が充満してます」
「消防、消防、だれか百十九番した?」
次第に騒然となってきた。
タワー周辺の人々も異変に気付き始めた。最上階から煙が漏れている。ロボットはタワーに次第に近づき、周囲が注目しはじめた。
「あれってロボット消防士じゃない、オレ、デモを見たことがある」
「消防より早く駆けつけるってすごくないか?」
陽子は中央展望台で発煙を始めた。悲鳴は聞こえるが、上から情報が降りたせいか、すでに避難を始め、観光客は半分程度になっている。
中央展望台も、あっという間に煙が充満した。陽子は避難状況を見ながら商業ビルにまで降りた。ここまでの流れは予定よりずっと早い。
陽子は急いで煙幕を張った。ビルの五階に煙が充満し始めたころ、消防車のサイレンが聞こえ始めた。
「おそいな、もう煙で一杯だぞ」
ロボットがタワーの下に到着した。これも予定よりずっと早い。消防車とロボットが交錯する状況になってしまった。消防隊の方が戸惑っている。
「消防遅い! ロボットにやらせろ」
ヤジ馬はロボットに興味がある。
ロボットは当然、消防隊を全く無視してタワーを上り始めた。
「ロボットの方が仕事が早い、消防、なにをモタモタしてるんだ!」
消防車が次々到着するが、勝手が違って混乱をきたしている。
「ケガ人はいますか?」
「なにか中毒症状は出ていませんか?」
消防隊は情報収集を始めた。
「煙に毒性はないようだ」
「ケガ人も全く確認されていません」
「燃焼も確認されていません」
「それじゃあ無理に突入する必要はない。待機して煙が引くのを待つ」
消防隊の対応が決まった。遅れてマスコミが到着し始めた。




