21:陽子の戦闘開始
手紙には消しゴムの粉がたくさん乗っていた。手紙を読み終えて、陽子は粉を払いながらつぶやいた。「三日間、これを書いてたのね……」
陽子は手紙をたたみ、一点をずっと見つめたまま、動かなかった。不思議に涙は出ない。
朝になった、電話が鳴った。サブロウのお母さんからだった。「サブロウが事故で死にました。今朝横須賀警察から電話があって……」それ以上は言葉にならなかった。お母さんは親戚の家から今朝帰ってきたところだった。
陽子は横須賀に飛んだ。
警察でサブロウの遺体と対面した。思ったよりも遺体はきれいだった。警察の話では、道路の高いところから猛スピードで海に飛び出して海面に激突したらしい。溺死だが、海に落ちた衝撃で、意識はなかったと思われるとのことだ。陽子はヘナヘナと椅子に倒れ、ぐったりとした。少しずつ涙が出てきた。「カーラースー、なぜ鳴くのー、カラスの勝手でしょー」陽子は子供のころサブロウと一緒に歌った歌を小さな声で口ずさんでいた。
「星 陽子さん……」陽子は警官の声で我に返った。
「親戚ではないが親しい友人ということでしょうか?」
「あ、はい、そうです、隣に住んでます」
「どうも事故の状況からして、自殺の可能性が高いんですが、なにか心当たりはありませんか?」
「そうですね、前日に仕事の事で相当に落ち込んでると感じましたから、それが自殺に繋がった可能性が高いと思います」
「なるほど、それで車の中に、遺書のような文書があったんですが、ちょっと違和感があるんです」
「文書の中に、『世間に知らせてください』と書いてあります。一応親族に確認を取ってからお見せします」
警官はサブロウのお母さんに連絡を取った。
「こちらに向かう直前だったので、まだご在宅でした。星さんなら見せてよいです、とのことです」
ビニールバッグに入った文書は濡れていなかった。
『ハリーさんにお詫びいたします。 田中 三郎
私はハリーさんを騙して、彼にブログでウソの情報を流すように仕向けました。
事の次第を次に書きます。
私はある人からカジノタワーの施工業者である上羽建設を貶めるため、嘘の情報を流すように依頼されました。それは上羽建設さんと競合関係にあるX社の人です。社名は明かせませんが、私は金銭を受け取り、ハリーさんを利用するのが効果が大きいと考え、ハリーさんを騙してブログにウソの情報を載せさせたのです。ところが、裏付けのないでっち上げの情報だったので、ハリーさん自身が追及される事態になってしまいました。私はあわてて嘘情報の主だと名乗り出たのですが。相手にされませんでした。
私はハリーさんの名誉回復と、有名人の不祥事ネタにタカるマスコミに自殺をして抗議いたします。ハリーさん、申し訳ありませんでした』
陽子は絶句した。サブロウ、悔しかったでしょう……こんなに悪人ぶって、あなたは本当に真っ当に正義を貫いたのよ。そしてハリーへのお詫びもした。「サブロウ、いい男だね。
私も告白する。あなたが好き! あの世で結婚しよう!」と、心で叫んだ。
「星さん」
また警官が声をかけた。
「田中さんが身に付けていたブレスレットがありまして、『星 陽子』と書いてあるので、星さんがお持ち帰りになったらどうですか?」
警官は皮のブレスレットを渡してくれた。手書きで『星 陽子』『3260』と並べて書いてあった。「ふふっ、何で名前を数字で書くの、テレ屋だね。これは形見だわ、大事にしよう」陽子は小さくつぶやいた。
サブロウの葬儀は質素に催された。陽子は告別式の時、サブロウに話しかけた。
「残念だけど、当分天国で結婚できないよ。私、死なないから。おばあさんになるまで待ってね」それは陽子の戦闘開始の合図だった。
陽子は翌日のテレビをチェックした。あれほど連日ハリーをバッシングしていたワイドショーが一切その件を取り上げていない。「そういうことね、もうハリーでは視聴率が取れないってわけ。サブロウ、少なくともハリーの件は終息したよ。次はタワーだね」
サブロウの葬儀が終わると陽子はすぐ御殿場のロボット工場へ飛んだ。
「以前、田中さんと一緒に来られた方ですね。覚えています」工場長の今井さんが迎えてくれた。「田中さんが大変なことになって……」
感傷に浸っている場合ではない。陽子は今井さんに掛け合った。
「今井さん、私、田中さんに代わって、先生に頼まれたことをしなければならないんですが、宜しいでしょうか? 部屋の入室カードは引き継いでいます」
「ああ、私たちも先生がご存命の時に指示された仕事が半年分残っています。先生のためにも全部きっちり終わらそうと思っていたところです。いっしょにやりましょう」
今井さんと技術の山崎さんが協力を申し出てくれた。――これは助かる。
「真っ先にお尋ねしたいんですが、十一月十一日に何か大きな仕事がセットされていないでしょうか?」
「ああ、よくご存じですね、その日は『ロボット消防士』のデモ日になっています」
「場所は横浜でしょうか?」
「その通りです、その件は先生からお聞きになっていますか?」
「ええ、」
「そうですか、私どもと先生たち以外は知らないはずの仕事ですので」
サブロウの話が確認できた。CCに間違いない。
「すみません、その日だとあと十日ぐらいですが。準備はどうなんでしょう?」
「実は先生たちが事故でお亡くなりになる前日に準備が整いました。先生と福田さんは数日かけて動作を確認しまして、帰る途中の事故だったんです」
「もうちょっとお聞きしたいんですが、その日のデモはどんな内容なんでしょうか?」
「『ロボット消防士』と名付けたんですが、文字通り、ロボットが人間に代わって消火器を持って火を消すという内容なんです。初めて見るとびっくりすると同時に、これなら人命救助も出来そうだなと、皆感心しますよ」
陽子は説明を聞いて疑問がわいた。サブロウに聞いたタワーの倒壊計画では、火災になることは想定されていない。あくまでも煙幕で脅して避難に誘導すると聞いている。
「このロボットを動かすプログラムは何ですか?」
陽子の質問に山崎さんが驚いた。
「プログラムの情報は、一般の方は知らないはずだし、説明しても、お分かりにならないと思いますが、先生からお聞きになっているんですか?」
「いや、すごく表面的な情報を聞いただけなんで、もちろん私、全然分からないんですが、……あの、プログラム名を聞きたいんです」
「消防士プログラム名は(RD3)になります。意味は簡単で、第三回のロボットデモプログラムという事なんです」
サブロウに聞いたプログラムは確か(RD4)だったはずだ、そうなると『ロボット消防士』は関係ないのだろうか? 陽子は自分の(焦りすぎ)に気付いた。――そんなに簡単に分かるはずがない。しかし遠慮している場合でもない。陽子は山崎さんに無理を言った。
「あのう、あつかましいのは承知のお願いなんですが、(RD3)のデモを見せていただけないでしょうか?」
「すみません、さきほど言いましたが、先生が来られて、ロボットをチェックしまして、十一月十一日まで、このままにしておくように言われています」
「もし、ロボットの動きなどが見たいようでしたら、予備のロボットがありますのでそちらでご説明できますが」
チェック済みのロボットを「当日まで動かすな」というのが気にかかる。これの他に準備されたロボットがないとしたら、やはりこのロボット群が実行用である可能性が強い。陽子はさらに突っ込んで聞いた。
「これの他に準備ができたロボットはあるのでしょうか?」
「それ以外は特に使用が決まったものはありません」
「わかりました。ありがとうございます。先生の部屋を見せてください」
「どうぞ、カードと暗証で自由にお入りください」
陽子は初めて先生の部屋に入った。先週サブロウはこの部屋で資料と格闘していたのか、必死に資料をめくっていたサブロウの姿が目に浮かぶ。
「サブロウ、こんどは私がやる番、分からなったら助けてね……」陽子は小さくつぶやいた。
書類は整理されていた。陽子はもっと書類が散乱しているだろうと予想していた。「サブロウにしては、きちんとしてる」
「あれっ、椅子が倒れたままだわ……」陽子は椅子を立てようと背もたれに手をかけた。
「えっ、」つぶれたゴキブリが目に入った。内臓が飛び出しているが、もう干からびている。
事故のあと、この部屋にはサブロウしか入っていないはずだ。サブロウがやったのね、陽子は言いようのない気持ち悪さを覚えた。
「甘い気持ちではダメ」ってブロウが言ってるのね……陽子はあらためて気を引き締めた。




