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魔王を倒した勇者は、もう一度バンドを組みたい  作者: 鳴海Coda
第一楽章 夜明け前のプレリュード
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7/12

第7話 それぞれの一拍

「一緒に演奏したいなら、まず俺の仕事を見ていけ」


 ドランが差し出した前掛けは、カイが思っていたよりずっと大きかった。


「……なあ、仕事を見ていけって話じゃなかったか?」

「見てるだけで分かると思うか?」

「いや、そうは言ってないけどさ」

「なら、客の前に出ろ。そっちのお嬢さんもだ」


 オルヴィアは前掛けを受け取らず、酒場を見渡した。


「私も?」

「嫌なら帰っていい」

「嫌とは言っていないわ。何を手伝えばいいの?」


 ドランはようやく満足そうに鼻を鳴らした。


「まず、腹を空かせた客に飯を運ぶ。話はそれからだ」


***


 夕方の酒場は、カイの想像以上に忙しかった。


 皿を二枚持って歩けば別の卓から声がかかり、飲み物を運ぶ間に次の料理ができあがる。厨房と客席を三往復したところで、カイは早くも自分が何を頼まれたか分からなくなった。


「勇者さん、こっちの煮込み!」

「はいよ!」

「それは三番卓!」

「三番ってどこだ!?」

「椅子が三つあるところ!」


 椅子が三つある卓は二つあった。


 オルヴィアはカイから皿を一枚受け取り、窓際の客に届けた。戻ってくると、カイが恨めしげに言った。


「ずるいぞ。なんでそんなに慣れてるんだ」

「あなたが急ぎすぎなのよ」

「急がないと料理が冷めるだろ」

「だからって、誰の注文か忘れたら意味がないでしょう」


 言い返せなかった。


 厨房ではドランが鍋の蓋を開け、湯気の向こうから二人を見ていた。


「何か分かったか、勇者」

「客が多い!」

「見れば分かる。ほかには?」

「……一人じゃ無理だな、これ」

「そういうことだ」


 ドランは給仕の青年を呼び、盆を受け取った。


「こいつは昼から仕込みを手伝ってる。ほかにも洗い場が一人、夜は俺が厨房に入る。誰か一人抜けたら、残りがその分走ることになる」

「それで、夕方の演奏には行けないんだな」

「ようやく分かったか」


 カイは前掛けの裾を握った。


 給仕の青年が何枚もの皿を抱えて厨房へ駆け込んだ。カイが運び忘れた水差しまで、片手に提げている。


「悪かった。叩いてくれって、簡単に言いすぎた」

「謝る暇があるなら、その卓に水を持っていけ」


 カイは素直に水差しをつかんだ。


 その背中にドランが声をかけた。


「あと、俺はまだ一度も、音を出すのが嫌だとは言っとらんぞ」


 振り向きかけたカイは危うく水をこぼしそうになった。


「前を見ろ!」


 そのとき、奥の卓から大きな声がした。


「親父、祭りの日は店を貸し切れるか?」


 立ち上がったのは昼間から酒を飲んでいた商人だった。隣の客へ聞かせるように、銀貨の入った革袋を卓へ置く。


「勝利十周年だ。勇者様の演奏も呼んで盛大にやろうじゃないか。金なら出す。ただし、魔族は店へ入れるな。せっかくの祝いだからな」


 オルヴィアは客の皿を卓に置いた。商人の方へは振り向かなかった。


 カイが何か言うより先に、ドランが厨房から出てきた。


「貸せん」

「何だと? 十周年の稼ぎ時だぞ」

「聞こえなかったか。貸せんと言った」


 商人は笑い飛ばそうとして、ドランの顔を見てやめた。


「金なら払うと言ってるんだぞ」

「金の問題じゃない。うちの客を角の有る無しで選ぶような奴には貸さん」


 店内が静まった。カイの持つ水差しから、雫が一つ床に落ちた。


 商人は革袋をつかんだ。


「後悔するぞ。祭りの夜は忙しいんだろうに」

「帰りに段差がある。転ぶなよ」


 商人は革袋を懐へ押し込み、戸口に向かった。そこで足を止める。


「お前の店だけの話で済むと思うなよ」

「そういう商売は、こっちから願い下げだ」


 ドランが言うと、商人はもう振り返らなかった。


 戸が閉まっても、店内には妙な静けさが残った。


 やがて、奥の卓にいた男が杯を置いた。先ほどまで商人と酒を酌み交わしていた客だ。


「親父、あいつは毎年、祭りの日に大勢連れてきてくれるんだぞ」

「知っとる」

「今年は来ないだろうな。俺も別の店を探すよ」


 ドランは男を見たが、引き留めなかった。


「……そうか」


 男は銀貨を一枚置いて立ち上がった。隣の客も、何も言わずに席を離れる。


 カイは二人の背中を見送った。さっきまで賑やかだった奥の卓が、急に広く見えた。


 給仕の青年は、空いた席からドランへ目を向けた。


「親方、祭りの日の仕入れはどうします?」

「予定どおりだ」

「でも、あの人たちが来なかったら、食材が余りますよ」

「帳面を持ってこい。今夜、俺が計算する」

「また一人で何とかするつもりですか」


 ドランが振り向いた。


 青年は盆を胸に抱えたまま、言葉を続けた。


「親方があの人の条件を断ったのは、間違ってないと思います。でも、店が潰れたら困ります」

「分かっとる」

「だったら、僕にも手伝わせてください。仕入れのことなら僕だって少しは分かります」


 ドランはしばらく青年を見ていた。


「……分かった。閉店後に一緒に帳面を見るか」

「はい。じゃあ、今夜は寝るのが遅くなりますね」

「お前は先に帰ってもいいんだぞ」

「いつも親方だけ残ってるんでしょう」


 カイは青年の隣に並び、残った皿を引き受けた。


「俺も手伝おうか、帳面」

「お前はまず、皿を割らずに運べ」

「一枚も割ってないだろ!」

「今のところはな」


 厨房へ戻るドランの背中を見て、カイは苦笑した。


 オルヴィアは少し離れた卓で、料理を待つ老婆の前に皿を置いていた。


「お待たせしました」


 老婆は料理を受け取ると、オルヴィアの角をちらりと見た。


「さっきの人、嫌なことを言ってたねえ」


「……ええ」


「私は、あんたが運んでくれて嬉しいよ」


 オルヴィアは少し驚いたようだったが、やがて微笑んだ。


「ありがとうございます」


 老婆はそれ以上何も言わず、温かい料理に手を伸ばした。


 店内には、食器の触れ合う音と、客たちの話し声が戻り始めていた。


***


 閉店後、カイは洗い終えた皿を棚に片づけた。


 手伝った礼にと出された賄いは、温かい豆の煮込みだった。口に運ぶと、思った以上に腹が減っていたことに気づく。


「うまいな、これ」

「働いたあとだからね」


 隣で食べていたオルヴィアが答える。


「君も結構働いてたな」

「あなたが二度も注文を間違えるから」

「一度だろ」

「二度よ」

「……二度か」


 ドランが卓へ腰を下ろした。


「明日の試演、何人呼ぶつもりだ」


「大勢は呼ばない。管理人ともそう約束した」

「何人だ」


 カイは答えに詰まった。パン屋の女将とその知り合い、運河で働く人たち。通りがかった客も立ち止まるかもしれない。だが、人数までは考えていなかった。


 ドランは何も言わず、卓に小石を並べた。


「ここが計量所。客がこっちへ広がると、荷車の通り道を塞ぐ。水際には寄せるな。立って聴ける場所は、せいぜいこのくらいだ」

「見に行ったのか?」

「女将に聞いた。店へ来た荷運びの連中にもな」


「……もう考えてくれてたんだ」


「無茶をする勇者のせいで、管理人に迷惑をかけたくないだけだ」


 オルヴィアが小石を一つ動かした。


「こっちに人を集めたら、通路は空くかしら」

「そこは見通しが悪い。子どもが走ってきたら危ない」

「じゃあ、誰かが入口に立つ?」


「それなら二人は要るな」


 そこへ、片付けを終えた給仕の青年がやってきた。


「僕、明日の夕方なら少し手伝えますよ」

「お前、閉店まで働いたあとだろ」

「明日は早番です。店の方は、僕が仕込みを多めに済ませておけば大丈夫でしょう?」


 ドランは並べかけの小石を指で押さえた。


 青年はカイの顔を見た。


「この前、僕が皿を落としたとき、親方がかばってくれたでしょう。あのとき勇者さんたちがいたから、助かったんです。今度は僕にも何かさせてください」

「恩返しのつもりなら、無理するな」

「違いますよ。演奏を聴いてみたいんです」


 それを聞いて、カイは思わず笑った。


「じゃあ、仕事じゃなくて客として来いよ」

「それじゃ人手が足りないでしょう?」


「そうだけどさ」


 青年はドランへ向き直った。


「親方。僕が入口に立ちます。終わったら店に戻りますから」


 しばらくして、ドランがため息をついた。


「分かった。ただし無理はするな。もう一人は俺が探す」


 カイは身を乗り出した。


「ドランも来るのか!」

「だから、まだ決めとらん。明日の仕込みが終われば、な」


 ドランは小石を片づけず、給仕の青年を見た。


「祭りの日の仕入れは、明日の朝、俺と一緒に計算し直すぞ」

「はい」

「あと、カイ」

「ん?」

「明日は客の前で弾くんだろ。お前の名前を見て来る人もいる。演奏だけじゃなく、帰る客のことも考えろ」


「……分かった」


「返事はいい。ちゃんとやれ」


 カイは卓の小石を一つ通路から離した。


 ドランは小石の位置を確かめ、卓を片づけ始めた。


***


 翌日の昼、カイとオルヴィアは運河へ向かった。


 管理人に挨拶し、水門の点検予定を尋ねた。まだ最終確認が取れていないため、明日の朝もう一度来てほしいと言われる。二人は客を入れる範囲を確かめた。カイは借りてきた縄を置き、オルヴィアは通り道を歩いて、荷車と人がすれ違えるかを見た。


 ところが、試しにギターを鳴らし始めると、橋を渡っていた子どもたちが音につられて立ち止まった。


「あっ、勇者だ!」


 二人が走り寄ろうとしたところで、管理人の声が飛んだ。


「おい! 橋の上で止まるな!」


 カイは慌てて演奏をやめた。


「悪い、俺が呼んだみたいになっちまった」

「音がしたら見たくなるもんだ。そこまで考えて場所を決めろ」


 管理人は眉をひそめたままだったが、約束を取り消しはしなかった。


 オルヴィアが子どもたちのところへ歩いていく。


「聴きに来てくれるのは嬉しいわ。でも、橋の上にいたら危ないでしょう。明日の夕方、あっちの空き地から聴いてね」

「お姉ちゃんも歌う?」


「ええ。約束するわ」

「じゃあ行く!」


 子どもたちが走って去ると、カイはギターを抱え直した。


「……君、うまいな」


「何が?」

「客を呼ぶの」

「あなたが音を鳴らして集めたんでしょう」

「怒られたけどな」

「なら、明日は二人でちゃんとやりましょう」


 オルヴィアは振り返り、笑った。


 カイも笑いかけたが、橋の上に子どもたちが集まった光景を思い出した。


「そうだな。まず、あの橋を空けておかないと」


 二人は管理人と一緒に縄の位置を直し、空き地から演奏を見る場所を決めた。


 練習したのはほんの数曲だったが、昨日まで頭の中にしかなかった舞台が、ようやく形を持ち始めた。


***


 帰り道、リュネのいる集会所へ寄ると、彼女はちょうど荷物をまとめていた。


「明日、昼から本番なんだってな」

「そう。終わったら片付けもあるから、運河へは間に合わないかもしれない」


「大丈夫。そっちをちゃんとやってこいよ」


「……うん」


 リュネはベースの弦を一本鳴らした。


「でも、私、カイたちとも弾きたいんだよ」

「知ってる」

「そう簡単に決められたら、悩まないよ」


 いつもの調子で返したが、声には少し元気がなかった。


 カイはリュネのベースに目をやった。


「もし来られるなら、お前の場所は空けとくよ」

「客席?」

「客席でもいいし、楽器を持ってきてもいい。どっちも無理なら、あとで話を聞いてくれ」


「……勝手に決めていいの?」


「もちろん」


 リュネはしばらく自分のベースを見つめていた。


 それから、いつもの明るい声に戻る。


「じゃあ、遠慮なく決めさせてもらう!」

「おう」


 カイはうなずいた。


 集会所の奥から年配の笛吹きが現れた。


「勇者さん。ちょうどよかった」


 リュネの表情が変わった。


 男はそれには触れず、カイへ頭を下げた。


「明日の演奏、よかったら聴きに来てくれないか。リュネにとって、うちで弾く最後の舞台なんだ」

「いいんですか?」

「もちろん。こいつがどんな音を弾くのか、ぜひ聴いてやってくれ」


 リュネは少し照れくさそうに笑った。


「そんな大げさなものじゃないよ。でも、明日はちゃんと弾く。みんなの音も好きだし、自分の音も好きだから」


 笛吹きは手にしていた譜面を下ろした。


「……そうだったな」


 リュネはケースの留め金を閉じた。


「カイ。明日、聴いててね」

「ああ。楽しみにしてる」


 二人の話が一段落したところで、年配の笛吹きがリュネに尋ねた。


「そうだ。一つ相談がある。明日の最後の曲なんだが、昔の編曲に戻してもいいか」


「……どうして?」


「お前が抜けたあとも、俺たちはこの曲を演奏していく。今の編曲は、まだ俺たちだけじゃうまく合わせられないんだ」

「でも、明日は私も弾くよ?」

「ああ。だから迷ってる。最後くらい、お前の好きなように弾かせてやりたい気持ちもある」


 リュネは手元のベースに目を落とした。


「……少し考えてもいい?」


「もちろんだ。明日の本番までに決めよう」


「うん。明日、ちゃんと話そう」


 外へ出ると、夕暮れの通りにパンの焼ける匂いが漂っていた。


「明日は、あの子の演奏を聴きに行きましょう」とオルヴィア。

「ああ。昼はリュネ、夕方は俺たちだ」


 カイはギターケースを背負い直した。


 振り返ると、リュネがまだ笛吹きと話していた。何かを説明するように手を動かし、時折二人で譜面を覗き込んでいる。


「あいつ、最後まで好き勝手だな」


「明日の演奏が楽しみね」

お読みいただきありがとうございます。

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