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魔王を倒した勇者は、もう一度バンドを組みたい  作者: 鳴海Coda
第一楽章 夜明け前のプレリュード
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第5話 祝祭に届かない歌

「……誰に教わった?」


 ドランの声は、さっきまでとはまるで違っていた。


 歌い終えたオルヴィアが口を閉じた。カイもギターから手を離す。


「十年前、この城で聴いた曲よ」

「最後のところもか」

「いいえ。あの夜、勇者が弾いていたのは途中まで。続きを知ったのは、もっと後になってから」


 ドランはスティックを握り直した。


「誰からだ」


「名前までは知らないわ。旅先で耳にしたの。避難所で歌われていた曲だって、そう聞いた」

「どこの旅先だ?」


 立て続けに尋ねられ、オルヴィアの声から楽しげな調子が消えた。


「それを聞いて、どうするの?」


 ドランは答えなかった。


 カイはオルヴィアとドランを交互に見た。


「おい、ドラン。何か知ってるなら、まずそっちから話してくれよ」


「……似た音を聞いたことがある。それだけだ」


「十年前に?」

「戦争中には、似たような音をいくらでも聞いた」


 それで話を切り上げるつもりらしい。ドランは小太鼓を革袋に戻した。


 カイは引き止めなかった。


 嘘をついているようには見えなかった。ただ、何を思い出したのかまでは聞けなかった。


「さっきの一曲は、ありがとな」


 背を向けたドランが足を止める。


「ちゃんと聞けるようになったら、また弾いてやる」

「それ、結構先になりそうだな」

「分かってるじゃねえか」


 ドランは袋を担ぎ直し、酒場へ戻っていった。


 オルヴィアはその背中を見送っていた。


「嫌なことを思い出させたかしら」

「どうだろうな。でも、あのおっさんのことだ。話したくなったら自分で話すだろ」

「そうね」

「それより俺、今の曲を忘れないうちに弾き直したい」

「あなた、本当に懲りないのね」

「いい曲だからな」


 オルヴィアは呆れたように言った。


「明日も練習するんでしょう。今日はもう指を休めたら?」


「……それもそうか」


 カイがギターを収めようとしたとき、噴水の向こうから声が飛んできた。


「勇者様! あんた、音楽祭には出るのかい?」


 振り返ると、昨日パンをくれたパン屋の女将が、店の戸口からこちらを呼んでいた。


「音楽祭?」


「知らないのかい。終戦十年の記念祭さ。ほら、街じゅうに札が出てるだろう」


 カイは通りの掲示板を見た。昼間から何度も前を通っていたのに、貼り出された大きな紙には気づいていなかった。


『終戦十周年記念音楽祭 出演者募集』


 その下には応募の締め切りが記されていた。


 十日後。


「……十日?」


「音楽祭そのものは、まだ先だよ。出演者を選ぶのに時間がかかるからね」


 カイは紙に顔を寄せた。城下の市民組合が推薦を受け付け、選ばれれば各地の演奏家が集まる大舞台に立てるらしい。


 胸が騒いだ。


 大勢の観客。知らない街から来た演奏家たち。今度こそ、一人ではないステージ。


「なあ、オルヴィア」

「嫌よ」

「まだ何も言ってねえ!」

「あなたの顔を見れば分かるわ」


 カイは反論しかけたが、女将が横から口を挟んだ。


「出るなら急いだ方がいいよ。推薦してくれる人と、前にどこで演奏したか分かるものがいるんだから」

「推薦? 俺、勇者なんだけど」

「剣の大会じゃないんだよ」

「ごもっともです」

「それにね、勇者様」


 女将は掲示の下にある小さな文字を指で叩いた。


「名前が知られてる人ほど、歌で判断してもらいな。あんたが出たら、あんたを見に来て、ほかの出演者の音なんか聞かない客もいるだろうから」


 カイは思わず女将を見た。


「……それ、結構刺さるな」


「刺さるなら、覚えときな」


 女将はおかしそうに肩を揺らした。


「まあ、歌は悪くなかった。ほかにも仲間がいるんなら、一度店先で演奏してみな。客に評判を聞いてやるよ」

「本当か!」

「ただし、パンを買う客の邪魔はしないこと」


 カイは勢いよく礼を言った。女将が店へ戻ると、改めて掲示を読み直した。


 応募には三人以上の演奏者と、推薦人一名。演目を二曲。会場で演奏した実績が分かる証言か、主催者立ち会いの試演。


 人数なら、何とかなるかもしれない。


 問題は、その先だった。


「オルヴィアはまだ一度だけって約束だったよな」


「覚えていたのね」

「そりゃな」

「じゃあ、勝手に名前を書かないで」

「書かないよ」


 カイは紙から目を離した。


「出たい。でも、勝手に君の名前は書かない」


 オルヴィアは一度掲示板へ目を向けた。


「終戦の記念祭なのね」

「ああ」

「私の父が死んで、十年」


 カイは言葉を失った。


 街の人間にとっては祝う日でも、彼女にとっては違う。ついさっき、城が彼女の家だったことを思い出したばかりなのに、また同じところで足を踏み外しかけていた。


「悪い。考えてなかった」

「あなたが悪いわけじゃないわ。音楽祭に罪があるとも思わない」


 オルヴィアは掲示板から目を離さなかった。


「ただ、何を祝うのかは知りたい。舞台に立つなら、なおさら」


 カイはうなずいた。


「だったら、一緒に見に行かないか。主催者のところ」

「聞きに行くだけよ」

「分かってる」

「返事はまだしないから」

「分かってる。今日は話を聞くだけ」


「……本当に?」


「俺の顔、そんなに信用できない?」

「音楽祭って聞いたときの顔は、特にね」


 カイは言い返せず、申込用紙を折って鞄にしまった。オルヴィアの名前を書く欄には、まだ何も書いていない。


***


 翌朝、リュネは噴水前に来なかった。


 昼になっても姿は見えず、カイは練習の合間に通りを何度も振り返った。


「昨日、明日も来るかって聞いてたんだけどな」

「来るとは言っていなかったでしょう」

「まあ、そうなんだけど」


 そこへ、通りの端から聞き覚えのある声がした。


「いたいた! 勇者様!」


 リュネだった。昨日と同じ四弦の楽器を背負い、少し息を切らしている。


「遅かったな」

「前の楽団に呼ばれちゃって。道具を返して、話をつけてきたの」

「話って?」


「……長くなるから、今度ね」


 いつもの調子に見えたが、楽器を持つ肩には力が入っていた。カイはそれ以上聞かなかった。


「それより、いい話がある!」

「何?」

「音楽祭だ。出てみないか?」


 リュネの目が輝いた。


「本当? 出たい!」

「だろ!」

「でも、私の予定も聞いてから決めてよね」

「あ、はい」


 オルヴィアが横でくすりと笑った。


「それに、音楽祭までずっと一緒にやるってこと?」とリュネ。「昨日会ったばかりなのに?」


 カイは返事に詰まった。


 確かにそうだ。


 昨日の演奏は楽しかった。それだけで、この先もずっと一緒に弾いてくれると決めたわけではない。


「じゃあ、まずは一回。試しに合わせてみないか」

「うん。それならいいよ」

「ドランにも聞いてみよう」

「ドランさんって、あの怖いおじさん?」

「怖いけど、叩くとうまい」

「なにそれ、気になる!」


 話はまとまりかけた。だが、オルヴィアが静かに言った。


「その前に、申し込みの条件を確かめに行くんでしょう?」


 カイは額を押さえた。


「そうだった。俺、気が早すぎるな」

「少しね」

「少しで済む?」

「今日は、ね」


***


 市民組合の建物は、広場から歩いて十分ほどのところにあった。


 窓口には音楽祭の案内が山積みになっていた。受付の女性はカイを見るなり目を見開いたが、すぐに椅子をすすめてくれた。


「まさか、勇者様が出演を?」

「まだ決まってない。でも、出たいとは思ってる」

「それは嬉しいです。試演を受けるには、地元の推薦と、演奏予定の方のお名前が必要になります」

「推薦なら心当たりがある。名前は……これから聞く」


 リュネが横から身を乗り出す。


「私の名前なら、まだ書いちゃ駄目だよ」

「分かってるって」

「今、一瞬書こうとしたでしょ」

「手が動きかけただけだ」

「それを駄目って言うんだよ」


 受付の女性は笑いをこらえながら、別の紙を差し出した。


「こちらが音楽祭の趣旨です。終戦十周年という節目に、各地の方々が平和になった喜びを分かち合う催しです。演奏の審査はありますが、競い合って順位を決めるものではありません」


 オルヴィアが紙を受け取った。


 表には、大きく『勝利から十年、平和を歌おう』と書かれていた。


「……勝利、ね」


 その声にカイは彼女を見た。


 オルヴィアは言葉を続けず、案内を読み終えて静かに紙を置いた。


「出演者は、どんな曲を歌うの?」

「決まりはありません。明るい曲でも、亡くなった方を偲ぶ曲でも。ただ、記念祭ですから、皆さんに前を向いて帰っていただけると嬉しいですね」

「悲しい歌は、駄目なのかしら」

「そんなことはありません。でも……」


 女性は案内の表題に目をやった。


「来場される方の中には、戦争で家族を亡くした方もいますから」

「そうね。私もよ」


 受付の女性の視線がオルヴィアの角で止まった。さっきまで滑らかだった案内の言葉が途切れる。


「あの、もしかして……」


「驚かせるつもりはなかったの」


 オルヴィアは案内を受付へ戻した。


「悲しい歌でも構わないと聞けてよかったわ。ありがとう」


 オルヴィアは先に立ち上がり、出口へ向かった。


 カイは後を追おうとして、受付の女性に呼び止められた。


「勇者様。推薦状と試演の申し込みは、あと九日で締め切りです」


「……ああ。ありがとう」


 外へ出ると、リュネが通りの向こうを見ていた。


「オルヴィア、あっちに行ったよ」

「追いかけなきゃな」

「今すぐ?」


「え?」

「カイ、さっきもすぐ話をまとめようとしたでしょ。追いかけるのはいいけど、返事を急がせない方がいいと思う」


 カイは言い返しかけて、やめた。


「……そうだな」


「私も今日は帰る。前の楽団のことで、まだ済んでないことがあるから」

「手伝おうか?」

「自分で話してくるよ。必要になったら頼む」


 リュネは肩からずり落ちかけた楽器を背負い直した。


「でもさ。音楽祭、ちょっと出てみたいんだよね」

「だろ?」

「うん。だから、勝手に決めないでよね」

「分かった」


 今度はカイも真面目に答えた。


***


 カイがオルヴィアを見つけたのは、城へ戻る坂道の途中だった。


 石垣に腰かけた彼女の足元を、夕方の風が吹き抜けた。町の家々には明かりがともり始めていた。


「悪かった」


 カイが隣に立つと、オルヴィアは顔を上げずに言った。


「何が?」

「音楽祭に出たいって、俺ばっかり浮かれてた」

「そうね」

「そこは否定してくれよ」

「事実でしょう」


 カイは返す言葉を失い、石垣の端に座った。


 しばらく、坂を上ってくる荷馬車の音だけが聞こえた。


「父は、いい人ではなかったわ」


 オルヴィアが言った。


 カイは黙って彼女の横顔を見る。


「私も父がしたことを許せない。戦争が終わってよかったと思っている。それは本当よ」

「ああ」

「でも、あの日に死んだ人は、父だけじゃないでしょう」


 彼女の指が膝の上でぎゅっと重なった。


「誰かにとっての勝利が、誰かにとっては帰ってこなかった人の命日なのよ。それを、全部ひとまとめにして歌えるのかしら」


 カイにはうまい答えが見つからなかった。


 十年前、避難所で彼のギターを聞いていた子どもたち。その中には、今も顔を思い出せる子がいる。名前さえ知らない子も、たくさんいた。


「俺は楽しく弾きたいんだ」

「知っているわ」

「大きな舞台なら、きっともっと楽しいと思った」


 カイは応募用に書きつけた曲名へ目を落とした。オルヴィアがそれを覗き込まないよう、紙を折って膝に置く。


 オルヴィアは小さく息をついた。


「楽しいことは、悪くないわ」

「え?」


「あなたが楽しそうに弾くから、私は歌ってみたくなったのよ。あの大広間で」


 カイは彼女を見た。


「それ、初めて聞いた」

「いちいち言わないわよ」

「もっと言ってくれていいんだぞ」

「調子に乗るから嫌」


 いつもの調子が少し戻り、カイも肩の力が抜けた。


「音楽祭はさ、別に出なくてもいい」


「……あなた、さっきまであんなに出たがっていたのに」

「出たいよ。今も。でも、誰かを嫌な気持ちにさせてまで、無理に誘いたくない」


 カイは城の尖塔を見た。石壁の上を、雲の影がゆっくり通り過ぎた。


「俺が歌いたいわけじゃなくて、オルヴィアの歌を聴きたいんだ。だから、どうするかはお前が決めてくれ」


「……ずるい言い方ね」


「そうか?」

「断りにくくなるじゃない」

「断っていいって言っただろ」

「だから、ずるいの」


 オルヴィアは立ち上がり、町の方へ目を向けた。


「私、あの祭りが誰のためにあるのか、ちゃんと知りたい。あそこで歌ってほしい人がいるなら、その人たちの話を聞いてから決める」

「一緒に行くよ」

「お願いしたらね」


「……はい」


 彼女はしばらく町を眺めていたが、ふいに振り返った。


「それと、もう一つ」

「何だ?」

「『夜明けの向こうへ』は、まだ演目に入れないで」


 カイは驚いた。


「あの曲、嫌いか?」

「違う。大切だからよ」


 オルヴィアはカイが背負っているギターを見た。


「十年前、あなたが弾いたのは途中までだった。今の続きを、誰が作ったのかも分からない。そんなままで、勇者の曲として大勢に聴かせていいの?」


「……よくないな」


「なら、先に確かめたい」


 カイが応募用紙を取り出すと、オルヴィアは空白の名前欄に指を置いた。


「私の名前はまだ書かないで」

「分かった」


 カイは演目欄の『夜明けの向こうへ』を見つめた。曲名の下に引いていた線を消してから、用紙を折り畳んだ。


「誰が作ったのか?」


「ええ。それから――」


 彼女は少し迷ってから続けた。


「なぜ、あの曲が今まで残っているのか」


 応募まであと九日。推薦状も仲間の返事もまだない。カイは消し跡の残る応募用紙を鞄にしまった。


「……大変だな、こりゃ」


「今ごろ気づいたの?」


「それでも、やってみたいんだ」


 オルヴィアは彼を見たまま、返事をしなかった。


 二人が坂を下りようとしたとき、酒場の方から太鼓の音が聞こえた。


 こん、こん、こん。


 少し遅れて、もう一つ。


 カイは足を止めた。


 オルヴィアもその音を聞いていた。


「……まずは、あの人にも話を聞かないとな」

「そうね」


 今度の返事には、ためらいがなかった。

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