↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王を倒した勇者は、もう一度バンドを組みたい  作者: 鳴海Coda
第一楽章 夜明け前のプレリュード
PR
3/14

第3話 気まぐれな低音がやってきた

「カイ。さっきから同じところで間違えているわよ」

「分かってる。分かってるから、もう一回頼む」

「これで六回目」

「数えてたのかよ」

「暇だったもの」


 城下町の古い噴水の周りは、昼になると近所の人たちで賑わう。


 水を汲みに来た母親が子どもの手を引いて通り過ぎ、向かいのパン屋からは焼きたての匂いが漂っていた。噴水の縁に腰かけた老人たちは、見慣れない楽器を抱えるカイをちらちら眺めている。


 そんな中、カイは七度目の失敗をした。


「……ああ、くそっ!」


「七回」

「だから数えるなって!」


 オルヴィアは涼しい顔で笑った。


 約束どおり、オルヴィアは昼前に噴水へやってきた。昨日と同じ黒い服だが、今日は銀髪を後ろで束ねている。小さな角は髪に隠れていた。


 カイは朝からこの場所で待っていた。遅刻するなと言われたので張り切って早起きしたのだが、肝心の曲の続きは覚えきれないままだった。


「最初の四小節は弾けるんだよ」

「そのあとで迷うのね」

「分かるか?」

「顔に出ているわ」

「そんなに?」

「迷子になった犬みたい」

「せめて狼にしてくれ。元勇者だぞ」

「狼はそんなに困った顔をしないと思うけれど」


 言い返そうとしたところで、噴水の向こうから小さな拍手が聞こえた。


「今の、もう一回やって!」


 振り向くと、パン屋の前に一人の少女が立っていた。


 金色がかった薄茶の髪は短く、尖った耳がはっきり見えている。背中には細長い布袋を背負っていた。エルフの少女だ。


「何だ、聴いてたのか?」

「うん! さっきからずっと。お兄さん、面白い弾き方するね」

「おっ、分かるか?」

「うん。歌が始まると急に慌てる」

「そっちか!」


 少女は声を立てて笑った。


 オルヴィアも口元を手で隠している。今の演奏を褒めてもらうのは、どうやら諦めた方がよさそうだった。


「でも、曲は好きだな。何ていうの?」

「『夜明けの向こうへ』」

「へえ。いい名前」


 少女は噴水の縁に荷物を下ろすと、布袋の口を開き始めた。


「ねえ、そこ、私も入っていい?」

「どこに?」

「曲に」


 袋から現れたのは、長い棹のついた四弦の楽器だった。


 古びた木の胴には何度も磨いた跡があり、弦の下に小さな魔石が埋まっている。カイのギターに比べると飾り気はないが、よく手入れされていた。


「……それ、ベースか?」


「そう呼ぶ人もいるね。私のは低音弦琴って名前だけど」

「マジで?」


 カイは思わず立ち上がった。


 この世界でも低音を出す弦楽器は見たことがある。ただ、こんな形の楽器は初めてだった。


「おい、ちょっと鳴らしてみてくれよ!」

「いいよ。じゃあ、そっちも弾いて」


「曲、知らないだろ?」

「さっき六回も聴いたから平気」

「七回よ」


 オルヴィアが訂正した。


「七回だって」

「二人して数えるな!」


 少女は笑いながら楽器を肩にかけた。


「私はリュネ。で、お兄さんは?」

「カイ」

「そっちのお姉さんは?」

「オルヴィアよ」

「よろしく、二人とも。じゃ、カイ。最初から!」


 ずいぶん勝手な子だ。


 けれど、カイは嫌いではなかった。


 弦を鳴らすと、リュネがすぐに低い音を重ねてきた。


 たったそれだけで曲の雰囲気が変わった。


 カイのギターが前へ進む。リュネの音はその下で楽しそうに跳ね、時々こちらの足元をくすぐるように顔を出す。オルヴィアが歌い始めると、リュネは一瞬だけ彼女を見て、すぐに笑った。


 カイもつられて笑った。


 さっきまで何度も引っかかっていた最後の八小節が、今は気にならなかった。今は、それより先に弾きたい音が次々に浮かんできた。


 噴水のそばで遊んでいた子どもたちが集まってくる。


 パン屋の主人が扉を開け、粉のついた手をエプロンで拭きながら顔を出した。


 一曲目の途中で、オルヴィアが歌うのをやめた。


 カイが目をやると、オルヴィアは口元に指を当てて笑っていた。


 そのままギターを弾き続ける。


 歌がなくなると、リュネの音が少し前へ出てきた。カイが高い音を鳴らすと、低い音が返ってくる。二人でふざけているような演奏に、子どもたちが手を叩き始めた。


 そして、カイが最後の音を大きく鳴らした瞬間。


 リュネがぴたりと手を止めた。


 音が消える。


 一拍遅れて、広場に拍手が広がった。


「おお……!」


 カイは目を輝かせた。


「なあ、今のすげえよかったな!」

「でしょ?」


 リュネは得意げに笑った。


「最後、カイが気持ちよさそうだったからさ。邪魔しない方がいいかなって」

「そうだったのか。俺、てっきり弦が切れたのかと」

「ひどくない?」

「ごめんごめん。でも、楽しかった!」

「私も!」


 二人が笑い合う横で、オルヴィアが少し考え込んでいた。


「どうした?」

「最後のところ」

「おう」

「リュネはまだ弾きたかったんじゃない?」


 リュネの笑顔がわずかに止まった。


「……どうして?」


「さっき、指が動いていたから」


 カイもリュネの手元を見た。


 リュネはすぐに肩をすくめた。


「癖だよ。もう一つ音を入れようかなって思ったけど、やめたの。カイの最後の音、格好よかったし」

「そうか?」


「そうそう」


 彼女は明るく答え、楽器を布袋へ戻そうとした。


 カイは慌てて声をかけた。


「なあ。じゃあ次は、やめなかった方も聴かせてくれよ」

「え?」

「今、何を弾こうとしたのか気になる」


 リュネは黙った。


「いや、気に入らなきゃ言うけどさ。そもそも俺、お前が何を弾きたかったのか分かってないし」


「……本当に?」


「おう」


「後悔しても知らないよ?」

「何だよ、そんなにすごいのか?」

「うん。かなり」


 リュネはにっと笑い、布袋に戻しかけた楽器を構え直した。


「じゃあ、もう一曲!」


 今度はリュネが先に弾き始めた。


 速い。


 カイは慌てて追いかける。思いもよらないところで音が跳ね、何度も弾き方を変えさせられた。それが悔しいのに、面白くて仕方がない。


「ちょっと、二人とも!」


 オルヴィアが声を張る。


「歌うところがないんだけど!」

「あっ」

「忘れてた!」


 二人同時に答えると、オルヴィアが吹き出した。


 カイは慌てて指を止めた。


「悪い。もう一回、今度は三人でやろう」

「最初からそうしてちょうだい」


 リュネも笑いながらうなずいた。


 仕切り直した三人の演奏は、少しばかりひどかった。


 カイは何度も先走り、リュネはそのたびに面白がって音を変え、オルヴィアは二人に負けじと声を張った。


 それでも、終わるころには広場に人だかりができていた。


 曲が終わると、パン屋の主人が紙袋を三つ持ってきた。


「売り物にならない端っこのパンだけど、よかったら食べてくれ」

「えっ、いいの?」


 リュネが真っ先に受け取った。


「ありがとう、おじさん!」

「おじさんは余計だ」

「じゃあ、お兄さん!」

「もう遅い」


 また笑い声が上がる。


 カイはパンをかじりながら、まだ片付けようとしないリュネを眺めた。


「あのさ、リュネ」

「ん?」

「今、バンド組んでるのか?」


「……今は組んでないよ」


「ならさ、俺たちと一緒にやらないか?」


 オルヴィアがこちらを見た。


「ちょっと、カイ」

「何だよ。いいだろ?」


「私はまだ一回だけの約束よ」

「分かってるよ。そこも含めて、これから話そうってこと!」


 リュネは二人を交互に見たあと、口元を緩めた。


「面白そう。でも、ひとつ言っておくね」

「おう」

「私、前のバンドとは喧嘩別れしてるんだ」

「別に珍しくないだろ」

「そうかな?」


「俺も昔やった」

「へえ。勇者のお兄さんが?」


 そこでカイは固まった。


「……あれ、俺が勇者だって言ったっけ?」

「町中に貼ってあるよ。『勇者カイ、魔王城で初演奏!』って。昨日の告知、見たもん」

「じゃあ、なんで昨日は来なかったんだ!」

「魔王城、遠いし」

「ぐうの音も出ねえ!」


 リュネはパンを口いっぱいに頬張って笑った。


「それに、私がやめたのは、私の音が大きすぎるって怒られたから。みんなの邪魔になるんだって」

「さっきの感じだと、別にそんなことなかったけどな」


「……そう?」


「俺は好きだったよ。お前のベース」


 何でもないように言うと、リュネは少し困ったような顔をした。


「そういうの、簡単に言わない方がいいよ」

「何で?」

「本気にしちゃうから」


 カイが返事を考えているうちに、リュネはまた明るく笑った。


「ま、考えとく! 明日もここでやるの?」


「そのつもりだけど」

「じゃあ、来るかも!」


 リュネは楽器を背負い、勢いよく走り出した。


「おーい、まだパンが――」


「持ってる!」


 本当に紙袋を掲げて見せ、そのまま角を曲がって消えていった。


「……嵐みたいな子ね」


 オルヴィアがぽつりと言った。


「いいだろ。ああいうの」

「嫌いではないわ。ただ、あなたも少しは人の話を聞いたら?」

「聞いてるって」

「じゃあ、私がまだ正式に加入していない話は?」

「ちゃんと聞いた。明日も来てくれるって意味だよな?」

「どうしてそうなるのよ!」


 カイは笑いながらギターを布で包んだ。


 昨日まで、この楽器を片付けるときはいつも一人だった。今日はオルヴィアが隣にいて、ついさっきまでリュネの笑い声が響いていた。


 それだけで明日の練習が待ち遠しい。


「ところで、カイ」

「ん?」

「さっきの子、あの楽器をどこで作ってもらったのかしら」

「確かにな。見たことない形だった」

「それだけじゃないの。古いのに、よく音が出ていたでしょう」


「……ああ」


 カイも思い出した。あれほど小さな魔石で、どうやってあんな低い音を響かせていたのだろう。


 そのとき、向かいの酒場の扉が開いた。


「おい、勇者」


 腹に響くような低い声だった。


 振り向くと、がっしりした体つきのドワーフが立っている。太い腕を組み、こちらをじろりと睨んでいた。


「昼間からずいぶん賑やかだな」

「すみません。うるさかったですか?」

「うるさいのは構わん。客も増えた」


 男は人の引いた噴水の縁を顎で示した。


「ただ、三人とも拍子がばらばらだ。あれじゃ歌う方はたまらんだろう」


 オルヴィアが小さくうなずく。


「ほら」

「分かってるよ! 今度ちゃんと――」


「今度じゃない」


 ドワーフは腰に下げていた古い木箱を開けた。中には、使い込まれた二本のスティックが収まっている。


 彼は一本を取り出すと、店の戸口を軽く叩いた。


 こん、こん、こん。


 三つ目まで、何でもない音だった。


 四つ目だけが、少し遅れた。


 オルヴィアが顔を上げる。


 男は何も気づかず、もう一度同じように叩いた。


 こん、こん、こん。


 その次の音が鳴る前に、オルヴィアが口を開いた。


「……今の、もう一度お願いできますか?」


 ドワーフの手が止まった。

お読みいただきありがとうございます。

物語を楽しんでいただけたら、ブックマークや評価で応援していただけるとうれしいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。