第12話 不揃いな四重奏
最初に怒ったのは、ドランではなかった。
「そこ、私の歌が入るところなんだけど」
オルヴィアが言ったとき、リュネはちょうどベースを勢いよく鳴らしたところだった。
「入れるよ。今、ここで!」
「あなたが全部弾いたら、どこから歌えばいいのよ」
「えっ、分かんない?」
「分からないから聞いてるの」
ドランが椅子の背から太鼓のばちを取った。
「始めて五分で止めるな。せめて一曲終わってから喧嘩せい」
「喧嘩じゃないよ。相談!」
「相談は始める前にしろ」
カイはギターを抱えたまま、壁の時計を見た。
酒場が閉まってからの一時間。ドランが店の人間と相談して作ってくれた、四人でじっくり合わせる最初の夜だった。厨房の裏の物置から樽を運び出し、余った長椅子を並べた練習場所は、楽器を四つ置けばいっぱいになる。
それでも、カイは浮かれていた。
「まあまあ。四人で鳴らすの、ずっと楽しみにしてたんだ。最初は失敗するって」
「失敗の仕方が四人とも違うから困っとるんだ」
ドランは膝の上でばちを二度打ち合わせた。
「もう一度。今度は、最後まで止まるな」
カイが弦に指を置いた。
***
話は、練習を始めたときにさかのぼる。曲を決めるところから、すでに揉めていた。
「で、何を弾く?」
リュネの問いに、カイは肩をすくめた。
「応募用紙には二曲必要だろ。新しい方を先に作りたい」
「『夜明けの向こうへ』は?」
「……あれは、今はちょっと」
昨日、組合の窓口で受け取った顕彰協会の紙が頭に残っていた。
『終戦当夜、勇者カイが魔王城にて奏した勝利の歌』。
勝利の歌じゃない、と叫びたかった。だが、何のためにあの夜弾いたのかと問われれば、当時の自分の気持ちもすべて言葉にできるわけではなかった。怖がる人を落ち着かせたかった。ただ、耳をふさぎたくなるような音ばかりの夜に、別の音があってほしかった。
「じゃあ、オルヴィアが運河で歌った歌は?」
オルヴィアが首を振った。
「あれは大事だけど、音楽祭で同じように歌えるかは分からない。まず私たちの曲を作ってみたいわ」
「いいねえ!」
リュネはもう弾き始めていた。
「待て待て。曲を作るって、いきなり全員で鳴らすものか?」
「カイ、頭の中に何かない?」
「ある。夜明け前の道を歩いてるみたいな、ちょっと明るいの」
「その説明で分かるわけないだろう」
カイは小さな旋律を弾いた。三度弾いて、ようやくオルヴィアが続きを口ずさむ。ドランはその後ろに素朴な拍を置いた。
リュネだけが入らない。
「どうした?」
「どこで入ったらいいか、考えてる」
「いつも勝手に入ってくるじゃないか」
「勝手に入って、前の楽団では怒られたからね」
リュネの口調は軽かった。けれど、カイは返事を急がなかった。
あの楽団で最後の曲を弾いたあとも、彼女が何を選ぶかは彼女自身の問題だ。ここで遠慮する必要はないと伝えたくても、命令するみたいになるのは違う。
「聞かせてよ。どこから入ったら面白いと思う?」
リュネはカイの旋律を一度なぞり、それから一拍早く音を重ねた。
「ここ!」
「俺のギターとぶつかるぞ」
「うん。だから、カイがちょっと後ろに下がったら気持ちよさそう」
「俺が?」
「そう、カイが」
カイは思わず自分の指を見た。
日本にいた頃から、何度も頭の中で弾いてきた旋律だった。音を変えると、知らない道に連れていかれるような気がした。
「……とりあえず、一回やってみるか」
だが、カイはいつもの指使いを崩せず、最初の二小節でリュネの音とぶつかった。
「そこ、空けてって言ったじゃん」
「分かってる。今、指が勝手に」
「じゃあ、もう一回。カイができるまで待つ」
からかうような調子ではなかった。言い訳を重ねるわけにもいかず、カイは自分の旋律を一度最後まで弾いてから、音を二つ抜いてみた。
隣でドランがばちを打たずに待っている。
「……これでどうだ」
「うん。そこなら私が入れる」
オルヴィアが歌い出す。今度はちゃんと声の入る場所ができた。
リュネが低い音を跳ねさせ、カイは少し遅れて弦を鳴らす。
たしかに面白い。だが、ドランは途中で止めた。
「最後、先走ってる」
「ドランが遅いんじゃなくて?」
「俺はずっと同じ速さだ」
「ずっと同じってのも退屈じゃない?」
「人の話を聞け、リュネ」
どちらも譲らなかった。
カイが口を挟む前に、オルヴィアが譜面代わりの紙を裏返した。
「じゃあ、今度はドランの好きなように叩いて。私たちが合わせるから」
「……本気か?」
「ええ。どういう音になるか聴いてみたい」
ドランがばちを構え直した。
最初の一打は、拍を取るには大きすぎた。
「うわっ!」
カイの声にかまわず、ドランはもう一度叩いた。ふだん酒場で聞くような賑やかな音ではない。短い音のあとに、少し長い間が来る。
リュネは笑うのをやめた。今度は彼女が音を置く場所を探している。
オルヴィアの歌が、その間へそっと入った。
カイは続こうとして、指を止めた。
どこかで聞いた気がする。
「それ、十年前の――」
「違う」
ドランの声が短く割って入った。
「昔、店で流行った踊りの拍だ。信号とは別だぞ。似てるからって何でもつなげるな」
カイは口を閉じた。
ドランは再び叩き始めた。今度は軽く、酒場の床が自然に揺れるような音だった。
オルヴィアが歌い、リュネが足元で拍を取り、カイもようやく弦を鳴らした。
最後まで止まらずに弾けたのは、その一度だけだった。
「もう一回! さっきは私が先に出たから、次はカイが合図して」
リュネが声を弾ませた。
「俺? 仕切るのはドランじゃないのか」
「演奏の頭を任せると、またあなたが先へ走るわ」とオルヴィア。
カイはぼやきながらもギターを構え直した。合図ひとつで全員を迷わせるかもしれない。ドランがばちを持ち直し、オルヴィアは歌詞を書きかけた紙を閉じた。
二度目はカイが大きく腕を振りすぎ、リュネがそれを合図だと思って飛び出した。ドランは入らず、オルヴィアも歌えない。
「……合図を二回した?」
「一回のつもりだった」
「私には三回に見えたわ」
今度は誰も楽器を鳴らさなかった。
「さっきのは偶然か」
カイがつぶやくと、オルヴィアが即座に返した。
「偶然じゃないわ。もう一度合わせればいいだけでしょう」
オルヴィアが言い切ったところで、物置の壁がどん、と鳴った。
***
「おい。何の騒ぎだ!」
物置の戸が開いた。
隣の建物の管理をしている女性が寝間着の上に上着を引っかけて立っていた。手には細い杖。カイは謝ろうとして、彼女の足元に気づいた。
女性の足元には、白い粉が散っていた。
「こっちの棚まで揺れるんだよ。明日の朝は粉を売りに出すんだ。壺が割れたら、あんたたちが払うのかい」
隣は粉屋の倉庫だった。壁を隔てているから音が伝わらないと、カイは勝手に思い込んでいた。
ドランが立ち上がった。
「悪かった。すぐやめる」
女性は四人の楽器を見回した。
「音を出すなとは言わないよ。ただ、夜にこの壁を叩くのはやめておくれ」
カイはギターを下ろした。
「すみません。俺たち、初めてで――」
「初めてなら、なおさら昼にやりな。客に怒られたら、その言い訳は通らないよ」
女性はそう言って戸を閉めた。
しばらくして、壁の向こうで何かを積み直す音がした。
「……夜しか集まれないのに」
「今日の分は終わりだ。迷惑をかけてまで続ける気はない」
リュネはベースをケースへ収めかけ、手を止めた。
「ねえ、ドラン。お店の奥じゃなくて、お店で練習したら?」
「酔った客相手にか?」
「閉店前でも、少しだけ。みんなの前でやる練習にもなるでしょ」
ドランはすぐに答えなかった。
「それは客が決めることだ。俺たちの練習に付き合わせるわけにいかん」
言い終えてから、ふと思いついたようにカイを見た。
「明日の昼、仕込みの間に来られるか」
「え? 俺だけ?」
「まずお前が手伝え。客の顔と名前くらい覚えろ。それからだ」
「また皿運びかよ!」
カイの声が裏返った。だが、今回はドランも譲らない顔をしていた。
オルヴィアが空になった練習場所を眺める。
「夜に全員で集まるのは難しいのね」
「そうだな」
「でも、一人で作れるところなら先に進められる。私は歌詞を考えるわ」
「私、昼間なら空いてるよ。カイは?」
「明日は仕込みの手伝いだってさ」
リュネが肩を落とす。
「勇者がどんどん酒場の人になってくね」
「俺もそう思う」
四人が戸を出ると、粉屋の窓にはまだ灯りがついていた。
カイは手を振りかけたが、やめた。
***
翌日の昼、酒場は開店前から慌ただしかった。
カイは野菜を切り、空いた瓶を片づけ、ドランの命令で床を掃いた。昨日とは違う場所で手を貸したせいか、前より少しだけ動きやすい。
昼の客が来る頃には、背中が汗ばんでいた。
そのとき、酒場の入口で見覚えのある声がした。
「元勇者カイ様が、こちらで働いていると聞いたもので」
現れたのは、昨日の広場で英雄の歌を披露していた、赤い上着の歌い手だった。
隣には笛吹きの老人と、荷車を引く若い男がいる。
「うわ、見つかった」
「見つけましたとも。お礼を言いたかったんです。昨日、笛の修理屋さんをご紹介いただいたでしょう」
老人は嬉しそうに楽器を掲げた。
「穴を直したら、すっかり鳴りが良くなりましてな」
ドランがカウンターから顔を出した。
「直ったならよかった。飯でも食っていけ」
歌い手はカイを見て、少し言いにくそうに口を開いた。
「それと、ひとつお願いが。昨日、勇者様が私どもの歌を聞いておられたと、客が騒いでまして。今夜の公演で、勇者様にも一節だけ――」
「断る」
ドランとカイの声が重なった。
歌い手はきょとんとし、それから苦笑した。
「では、歌うのは結構です。ただ、曲の説明をひとつ、確かめたい」
彼は荷物から折り畳まれた歌詞の紙を取り出した。
「私たちの師匠は、軍の記録をもとに歌詞を直したと聞きました。でも、改めて見たら変な箇所がある。『西の岸より勝ち鬨』という部分です」
カイがドランを見ると、ドランは黙って紙へ目を落とした。
「何が変なんです?」
「二つ前の節に『西の岸を失いし夜』と書いてあるんですよ。ところが、この節では、そこから勝ち鬨が上がっている」
老人が付け加えた。
「歌の調子を整えたときに、前後を逆にしたのかもしれません。昔の譜面も、今は手元にないので」
カイは紙を受け取った。
昨日は笑って聞き流した歌詞だ。順番が違えば、意味も変わる。それでも、歌い手が誰かの秘密を知っているとは限らない。
「俺には分からない。だけど、十年前のことなら、確認できる記録もあると思います」
「もし分かったら、教えてください。間違いを歌い続けたくはないので」
歌い手は頭を下げた。
老人たちが席へ着くと、ドランはカイから歌詞の紙を受け取った。
「昨日、お前は『東の岸には敵の影なし』を気にしていたな」
「うん」
「俺はそっちより、こっちが気になる」
ドランが指で押さえたのは、『西の岸を失いし夜』という一節だった。
「昔の水門で『西岸』と言えば、どこのことだと思う?」
「川の西側じゃないのか」
「そう思うだろうな」
ドランは紙を畳み、厨房の隅に置いた。
「今夜、店を閉めたら、古い町の図面を見せてやる。ただし――」
「ただし?」
「今日の仕込みは全部手伝え。うちの店は、話を聞くだけの場所じゃない」
カイは包丁を握り直した。
歌の二つの節。帳面に残った西岸と東岸。そして、ドランが長いあいだ聞いたと思い込んでいた返事。
それらが同じ場所を指しているとは限らない。
カイは厨房へ戻った。
「ドラン」
「何だ」
「玉ねぎ、あと何個切ればいい?」
ドランが目を向けた先には、まだ箱が三つ残っていた。
「……全部だ」
カイは包丁を持ったまま、天井を見上げた。
冒険者だった頃のどんな魔物より、今日の玉ねぎは手強そうだった。




