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魔王を倒した勇者は、もう一度バンドを組みたい  作者: 鳴海Coda
第二楽章 不揃いな音のラプソディ
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第13話 楽器職人は修理代をまけない

 リュネのベースが、音を外した。


 たった一音だった。けれど本人が真っ先に顔をしかめたせいで、カイも弾く手を止めた。


「今の、わざと?」

「私、あんな情けない音は狙わないよ」


 リュネが弦を一本はじく。乾いた音がしたきり、弦をはじいてもまともな音が出なくなった。


「……あれ?」


 ドランが太鼓のばちを置いた。


「弦じゃないな。駒が浮いとる」


 昨夜の練習は隣の粉屋からの苦情で打ち切りになった。今朝は約束どおり、仕事の邪魔にならない空き地を昼間だけ借りている。音を小さくする工夫もした。四人の入りがそろい始めたところで、今度は楽器そのものがへそを曲げたらしい。


「そっと置け」

「そっと置いてるよ!」

「今、お前は持ち上げて振った」

「中で何か転がってないかと思って」

「振るな!」


 オルヴィアがベースの胴をのぞき込んだ。


「修理できるの?」

「直せる職人ならいる。だが安くはない」


 カイは財布を取り出した。


 銀貨が二枚と銅貨が少し。音楽祭の応募料、ドランの酒場への手伝い代わりの食費、それに四人で使う譜面代。頭の中で引き算してみたが、途中で嫌になった。


「……元勇者割引って、あるかな」

「その言い方で値段が上がる職人なら知っとるぞ」


 ドランは荷物を抱えた。


***


 工房は運河沿いの細い道にあった。


 看板に描かれた弦楽器は、片方の弦が外れた絵になっている。


「壊れたままじゃん」とリュネ。

「修理屋だと分かりやすいだろ」

「直した絵にすればいいのに」


 戸を開けると、木の削りくずの匂いがした。棚には弦と小さな金具、壁には作りかけの楽器が並んでいる。奥から出てきた青年は四人を見ても驚かなかった。


「今日は何を壊しました?」


 まだ何も説明していないのに、リュネが傷ついた顔をする。


「壊したって決めつけないでよ」

「お客さんが楽器を抱えて四人で来るときは、たいてい誰が壊したかで揉めているので」


 青年は名をロウェンと告げた。カイより若く、袖を肘までまくった手には細かな傷が多い。


 彼はベースを受け取ると、余計なことは聞かずに駒を外した。


「接着が弱っています。湿気で木が少し動いている。前から変な音がしていたはずです」


「そういえば……」


「心当たりがあるなら最初に言え」

「ドランだって、聞かなかったじゃん」

「聞く前に振るな」


 ロウェンが指先で小さなひびを示した。


「今なら直せます。ただし、今日の演奏には使わないでください」

「夕方?」


 カイは思わず聞き返した。


 このあと四人で、港へ向かう荷運び人たちの休憩所で一曲披露する約束をしていた。音楽祭の通常応募に必要な、演奏の様子を見た人の紹介が得られるかもしれない。ようやく決まった機会だった。


「夜なら?」

「接着した木を、急に鳴らして割りたいならどうぞ」

「やめときます」


 ロウェンが修理代を告げる。


 カイは財布を開いて、閉じた。


「元勇者なんだけど」

「だから何です?」


 ドランが横で咳をした。笑いをこらえたらしい。


「……いや、忘れて」


***


 結局、修理は頼むことにした。


 リュネは一度だけ「私のせいだから」と言ったが、カイが首を振った。


「四人で弾くための楽器だ。四人で考えよう」

「そういう台詞、借金が増える前に言ってよね」

「もう増えてるのか?」

「増える予定ってこと!」


 ロウェンは紙に金額を書き、四人の前へ置いた。


「前金はこれだけ。残りは完成後でいいですが、値引きはしません。僕の弟子の食費もかかってますから」

「弟子がいるの?」

「午前は別の工房に通ってます。ここでは僕一人です」


 返事はそっけなかったが、嘘ではないらしい。奥の卓には、手の小さな人間に合わせて削りかけた楽器の部品が置かれていた。


「で、借りられる楽器は?」


 ドランが尋ねる。


 ロウェンは壁を見た。


「一つだけあります。古くて重い。貸し出し中に壊したら、修理代は別です」

「借りる!」


 リュネの返事は早かった。


 壁から下ろされたベースは、本人のものより一回り大きかった。


「これ、私より年上なんじゃない?」

「そうかもしれません」

「名前つけようよ。ご隠居」

「貸し出し品に勝手に名前をつけないでください」


 試しに弾くと、太く、ゆっくりした音が出た。リュネは目を丸くして、もう一度鳴らす。


「……これ、面白い」


 ロウェンが顔を上げた。


「そんな弾き方をするんですね」

「嫌だった?」

「いえ。古い楽器に、まだ出したことのない音があったとは思いませんでした」


 リュネが嬉しそうに弦へ手を伸ばすと、今度はドランが止めた。


「試すのは向こうでやれ。店の棚を揺らすな」


 四人は工房を出た。


***


 荷運び人の休憩所には、思っていたより客がいた。


 木箱を椅子代わりにしている者、昼のうちから薄い酒を飲む者、出発を待つ馬の世話をしている者。勇者として大勢の前に立ったときより、今の方が緊張していた。


「何を弾きます?」


 休憩所の世話役が声をかけてきた。

「新しい曲です。まだ名前はないけど」

「じゃあ、最初に『勇者の勝利の歌』を。ほら、あれですよ。みんな知ってる」


 カイの指がギターの弦の上で止まった。


 オルヴィアが先に答える。


「今日は、その曲は歌いません」

「おや。勇者さんがいるのに?」


「ええ。別の曲を聴いてほしいんです」


 世話役は困った顔をした。後ろでは、赤い上着の旅人が「勝利の歌なら知ってるぞ」と声を上げている。


 カイはオルヴィアを見る。彼女は目をそらさなかった。


「俺たちの曲を一曲だけ。気に入らなかったら、拍手なしで帰っていいです」


 世話役が肩をすくめた。


「そういう約束なら、どうぞ」


 リュネが借りたベースを構える。


「ご隠居、初舞台だよ」

「だから名前をつけるなと言われただろう」


 ドランの小声に、カイは危うく笑いそうになった。


 最初の音が鳴る。


 リュネのいつものベースなら、前へ飛び出すところだった。けれど今日は、低い音が少し遅れてついてくる。ドランがそれに合わせようとして一拍目をためらい、カイは慌てて弾き方を変えた。


 客席から、誰かが吹き出す。


 まずい。そう思った瞬間、オルヴィアが歌った。


 彼女は四人のずれた音を置き去りにはしなかった。ゆっくりと歌い始め、その声に合わせてドランの太鼓が入る。カイは弾く指を軽くして、リュネが次に来るのを待った。


 借り物のベースは、いつもより不器用だった。


 それでもリュネはその不器用さを楽しんでいる。


 曲の半ばで彼女が思いがけない一音を鳴らすと、ドランがすぐに応えた。カイはその隙間へ短い旋律を差し込み、オルヴィアの歌は、いつの間にか最初とは別の表情になっていた。


 最後の音が消えた。


 拍手は、五人分ほど。


 客の半分は荷物を持って立ち去り、勝利の歌を待っていた旅人は不満げだった。それでも、最前列で聴いていた女性が近づいてきた。


「さっきの歌、なんていうの?」

「まだ名前を決めてなくて」

「もったいないね。いい歌だった」


 女性はそう言って、仕事へ戻っていった。


 リュネは借りたベースを抱え、頬を膨らませた。


「五人。私たち四人より一人多いだけ」

「四人全員で自分たちに拍手したら九人だ」

「それ、ずるくない?」

「別に、勝負じゃないだろ」


 ドランは片づけを始めながら言った。


「五人も最後まで聴いてくれた。次は十人いてくれればいい」


 オルヴィアは客が去っていく道を見ていた。


「……また歌いたいわ」


 その声が静かだったので、誰も冗談を言わなかった。


***


 夕方、工房へ借りた楽器の状態を見せに戻った。


「壊しませんでしたか」

「壊してない!」


 ロウェンはご隠居と名づけられたベースを受け取り、弦を一本鳴らした。


「これなら大丈夫ですね」

「私たちの曲も聴いてほしかったな」

「店を閉められないので」

「今、ここで一曲だけ!」

「ほかのお客さんが逃げます」


 そう言いながら、ロウェンは卓の下から一枚の木片を取り出した。


「昼間、作業台を片づけていたら、これが出てきまして。昔、僕が使っていた木材の端切れです」


 木片には細い線が何本か刻まれていた。二本が寄り添うように並ぶところもあれば、少し離れた一本もある。職人が使う目盛りにも見えた。


「これ、何の印?」


 リュネが尋ねると、ロウェンは首を振った。


「分かりません。妹が昔、これに線を刻んでいたんです」

「妹さんが?」


 ロウェンは木片を裏返した。


 そこには、幼い文字で名前が彫られていた。


『ナナ』

「妹の名前です」


 ロウェンの声が少し沈んだ。


「十一歳でした。十年前、避難した人たちに水を運んでいて、戻ってこなかった。……すみません。変な話をしてしまって」


「ところで、先日、運河の近くで演奏していましたよね」

「ええ。聴いていたんですか?」

「仕事の帰りに、少しだけ。最後の曲が始まったところでした」


 カイはオルヴィアと顔を見合わせた。


「『夜明けの向こうへ』ですか?」

「そうです。あの曲の最後の方。あれに似た間を、どこかで聞いた気がして」

「十年前?」

「……そうかもしれません。あの夜も、似たような音を聞いた気がして……。ただ、何の音だったのかまでは覚えていません」


 ロウェンは手の中の木片へ目を落とした。


「この線も、何のためにつけたのか分からないままで。妹に聞けたらよかったんですが……。あの夜のことを、もう少し調べてみようと思います」


 ロウェンは少し考えてから、工房の奥に目を向けた。


「そういえば、十年前の仕事の帳簿が残っているはずです。あの頃、僕も西側の荷揚げ場へ品物を届けていたんです」

「西側の荷揚げ場?」

「ええ。妹のことが書いてあるわけではありませんが、当時の荷揚げ場の名前くらいは分かるかもしれません」


「見せてもらえますか?」

「明日、修理したベースを取りに来るときに。探しておきます」

「ありがとうございます」


 ロウェンはうなずき、カイたちへ向き直った。


「それと、もし妹のことで何か分かったら、教えてもらえませんか」

「ええ。もちろんです」


 オルヴィアが答えると、ロウェンは彼女を見た。


「……あの続きを歌っていたのは、あなたですよね」

「ええ」

「一つだけ聞かせてください。あの歌の最後の音は、昔からあの歌い方でしたか?」


 オルヴィアはすぐには答えられなかった。


 最後の音。


 そんなことを聞かれたのは、初めてだった。

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