第11話 看板だけは一人前
第11話 名前のないバンド
「バンド名がないと、応募できません」
市民組合の窓口でそう告げられた瞬間、カイは自分を指さした。
「名前ならありますけど」
「あなたのお名前ではなく、楽団のお名前です」
「元勇者カイと愉快な仲間たち、とか」
「却下」
オルヴィアの返事は早かった。後ろにいたリュネが笑いをこらえ、ドランは早くも帰りたそうな顔をしていた。
「愉快な仲間たちって、誰のこと?」
「俺以外のみんな」
「じゃあ私は愉快な仲間の筆頭だね。給料は?」
「まだ一銭も稼いでねえよ」
「じゃあ、せめて名前だけでも偉くしてよ」
係員は四人を順番に見て、用紙を差し戻した。
「お決まりになりましたら、もう一度どうぞ。本日中なら受け付けられます」
「本日中?」
「はい。締め切りまでにはまだ数日ありますが、推薦人の確認が済んでいますので、今日出していただけると助かります。それから、協賛先と契約している楽団に推薦を頼む場合は、先方にも確認してください。契約先へ名前が伝わることがあります」
机の上にはパン屋の女将が書いてくれた推薦状と、運河の試演について管理人が記した証明書が並んでいた。二曲の演目も決めなければならない。
係員が別の用紙を一枚差し出した。
「それと、勇者様はこちらをお使いになれます」
普通の応募用紙より紙が厚く、上端に金色の紋章が押してある。
『終戦十周年記念特別企画 勇者凱旋演奏』
カイはその立派な用紙を見て、目を輝かせた。
「すごいな。俺だけ紙が高級だ」
「そこに喜ぶの?」
オルヴィアは紙を手に取り、下の方に書かれた細かな文字へ目を落とした。
『英雄の勝利を讃える楽曲一曲を含むこと』
『伴奏者ならびに客演者は主催者の指定する紹介文を承諾すること』
オルヴィアはそこで読む手を止めた。
***
組合の前には、小さな広場があった。
四人は噴水の縁に腰を下ろし、応募用紙を並べた。リュネは拾った枝で地面に大きく線を引き、その上に名前を書き始める。
「それじゃあ、候補を出しましょう。『月夜の大騒動』!」
「俺の酒場みたいだな」
「『四本足の巨人』!」
「四人だと八本じゃないか?」
「じゃあ『勇者抜き楽団』!」
「俺を抜くな!」
カイが抗議すると、リュネは笑いながら別の名前を書き始めた。
「オルヴィアは?」
「すぐには思いつかないわ」
「慎重だなあ。とりあえず十個くらい出してみようよ」
「思いつくまま書いていたら、いつまでたっても応募できないわ」
「それもそうか」
リュネが珍しく納得しかけたところで、ドランが口を開いた。
「『四拍目』」
カイは顔を上げた。
「え、いいじゃん。短くて覚えやすい」
「だから却下だ」
「自分で出したんじゃないのか!?」
「店で使ってる掛け声だ。紛らわしい」
リュネは枝をくるりと回して笑った。カイもつられかけたが、オルヴィアが膝の上の紙を折りたたんでいるのに気づいた。
「どうした?」
「こっちの用紙だと、私たちの曲は選べないのね」
「勇者の勝利を讃える歌、か」
「あなたは歌いたい?」
カイは少し考えた。
「歌いたいかって言われるとなあ。昔から、俺が歌の題材になるのは、どうにも苦手でさ」
「そうなの?」
「戦勝記念の宴で一度歌われたんだよ。俺が剣を振るうたび雷が落ちるって」
「本当は?」
「一回、鎧の金具を触ったときに静電気が走った」
リュネが腹を抱えた。ドランは笑わなかった。
「英雄様を讃える歌なんぞ、あちこちで歌われとる。本人の都合で止められるもんじゃない」
「分かってる。だけど俺が弾くなら、自分で曲を選びたい」
オルヴィアは折った紙をカイへ返した。
「私はあなたが魔王に勝ったことを否定したいわけじゃない。でも、父が死んだ日に、父の死を喜ぶためだけの歌は歌えない」
広場を荷車が通り過ぎた。リュネは枝を手の中で回し、足元に書きかけた名前を消した。
「じゃあ普通の応募にしようよ。四人で二曲、好きなのを」
「待て。まだ正式に入るとは言っとらん」
「そっちから『四拍目』って名前を出したのに?」
「名前の案を出すのと、毎晩店を空けるのとは別だ」
カイはドランに向き直った。
「運河の試演は四人でやった。だけど本番まで何度も合わせる必要がある。店のことも分かってる。だから、ドランの名前を勝手に書くつもりはない」
ドランはすぐに返事をしなかった。
「……夜に一時間なら、店の連中に頼める日がある。だが、遠征になれば話は違う。まだ約束はできん」
「それでいい。一緒に考えよう」
カイがそう言うと、オルヴィアが一枚の紙を取り上げた。
「普通の応募用紙にも、出演者を確定する欄があるわ。今日は、私とカイで書けるところまで書いておきましょう」
「人数は三人からだよ?」
「ええ。だから提出するかどうかは、全員で決める」
リュネが何か言おうとしたとき、広場の向こうから賑やかな歌声が聞こえてきた。
***
「魔王を倒せし、光の勇者ぁ――!」
聞き覚えのない男の声が、聞き覚えのありすぎる名前を歌っていた。
小さな一座が荷車を舞台にしていた。笛吹き、手拍子役、そして派手な赤い上着の歌い手。通りがかった子どもが二人、荷車の脇で踊っている。
歌は勇ましかった。勇ましすぎるあまり、カイには歌詞の半分も聞き取れなかった。
「俺、あんなに空飛ばねえぞ」
「そこ?」
「魔王城の塔を三つも斬り倒してることになってる!」
「塔は残っていたわよ。昨日も見たでしょう」
リュネはすっかり夢中になっていた。
「カイ! あの歌、知ってる?」
「知らないって」
「じゃあ私たちでも弾いてみよう。カイが本人の前で間違いを直すの。絶対面白いよ!」
「いや、絶対揉めるだろ、それ」
ところが、歌い手が次の節に移ったところで、ドランが低く言った。
「……よくある歌だ」
いつものドランとは、少し違う声だった。カイが見ると、ドランは荷車の横に掲げられた看板を眺めていた。
『王都顕彰協会後援 英雄叙事歌 諸国巡回公演』
看板の隅には、組合の窓口でも見た金色の紋章があった。
一座の歌は最後の節へ進んでいた。
「西の岸より勝ち鬨響き、東の岸には敵の影なし――」
カイは思わずドランを見た。
「西の岸、だって?」
「歌の文句だ。それだけじゃ何も分からん」
ドランの口調は落ち着いていた。けれど、リュネは歌い手の方をじっと見ていた。
「変な歌詞」
「どこが?」
「勝ったのに、東の岸には誰もいないんだね。さっきは敵軍を追い払ったって歌ってたのに」
言われてみればそうだった。笛の音に押されて聞き流しそうな一節だった。
歌が終わると、オルヴィアが拍手をした。近くにいた子どもたちも、彼女につられて手を叩いた。
赤い上着の歌い手が荷車から飛び降りてきた。
「いやあ、お耳に入ったようで何より。これは古くから伝わる勝利の歌でしてね」
カイはさっそく聞いた。
「西と東の岸って、どこのことです?」
歌い手は顔をしかめた。
「その部分は、昔の偉い方が書いたものだそうで。私どもは教わった通りに歌っているだけです」
「昔の偉い方?」
「顕彰協会に残る歌詞だそうですよ。そもそも、私どもは芸人ですからね。歴史の専門家じゃありません」
カイはそれ以上尋ねなかった。仕事で歌っている人を問い詰めても仕方がない。
ところが歌い手は、ドランを見ると表情を変えた。
「あなた、さっきからちっとも手を叩いてくださらない」
「聞いていた」
「お気に召しませんでしたかね」
「歌詞の話より、まず笛を直した方がいい。三番目の穴が鳴りきっとらん」
笛吹きの老人がぎょっとし、楽器を裏返した。
「……あっ、本当だ」
リュネが噴き出した。歌い手は一瞬むっとしたが、老人が欠けた指穴を見つめているので、それ以上言わなかった。
「今夜の宿に腕のいい修理屋は?」
「この町なら俺の知ってる職人が一人いる」
カイには、ドランがわざと歌詞の話から逸らしたように思えた。
リュネがカイの脇を軽くつついた。
「ねえ、さっきの歌詞、覚えておいてよ」
「なんで俺が?」
「なんか変だったから」
彼女は鼻歌で短い一節をなぞった。元の歌い手と少し違う節回しだったが、カイにも歌詞は分かった。
西の岸より勝ち鬨響き、東の岸には敵の影なし。
いつ誰が書いたかも分からない歌だ。だけど、妙に耳に残った。
***
組合へ戻ると、窓口の係員がこちらへ手を振った。
「お名前は決まりましたか?」
「候補は二十個あるんですけど」
「二十個?」
「途中で一つ、ドランの酒場の名前も混じってて」
「混ぜとらん!」
係員は困ったように用紙へ目を落とした。
「残念ですが、すべて書く欄はありません」
「一つに絞ります」
カイは三人を見渡した。
「なあ。俺、一つ考えたんだ」
「今度は勇者がつく名前じゃないでしょうね」
「つかない」
カイは差し戻された普通の応募用紙を手に取った。
「『返事待ち』ってどうだ?」
リュネが目を丸くした。
「それ、バンド名?」
「まだ決めてないって意味じゃないぞ。音を鳴らしたら、誰かの音が返ってくる。そういうのが好きなんだ」
オルヴィアは考え込んだ。
「少し変わった名前ね」
「そうだよな」
「でも、あなたらしいわ」
ドランが顎をさすった。
「祭りの案内で『返事待ち』と呼ばれたら、何の返事を待っとるのか分からんな」
「だよな……」
「面白いと思うけどね!」
四人はしばらく用紙を囲んでいた。
結局、名前は保留にした。オルヴィアとリュネが候補を持ち帰り、ドランは次の練習に参加できる夜を調べる。カイは二曲の演目を考える役になった。
窓口を閉めようとしていた係員が、慌てて奥から戻ってきた。
「勇者様。こちら、特別企画の担当者からお預かりしていたものです」
差し出されたのは薄い封筒だった。宛名にカイの名前があり、裏には王都顕彰協会の紋章が押されている。
「担当者から、勇者様がお見えになったらお渡しするよう言われております」
カイが封を切ると、中には丁寧な招待状と、もう一枚の紙が入っていた。
『英雄凱旋演奏 推奨演目』
一曲目の欄には、先ほど広場で聴いた英雄叙事歌の題名があった。
二曲目の欄を見て、カイは立ち止まった。
『夜明けの向こうへ』
その脇には、小さな文字でこう書き添えられていた。
『終戦当夜、勇者カイが魔王城にて奏した勝利の歌』
「……勝利の歌?」
カイは紙を裏返した。印刷された案内のほかに、説明はなかった。
十年前、避難所であの曲を弾いたのは事実だ。
だが、勝利を知らせるために弾いたことなど、一度もなかった。




