30 普通のカフェ
俺はホールを駆け回りながら、さっきの騒ぎの余韻を引きずっていた。
「いらっしゃいませ〜、お冷やお持ちしますね〜!」
俺はにこやかに接客しながら、内心では全力でツッコミを入れていた。
さっきのアレ、どう考えてもカフェの日常風景じゃない。バイトの雇用書に“スタンガン対応”なんて項目なかったはずだ。
「拓海くん、こっちのテーブル空いたわよ」
佐々木さんの冷たい声が飛んできた。
俺は反射的に「はいっ!」と答え、空いたテーブルへ駆け寄る。
グラス、皿、フォーク……テーブルの上はイベントメニューの残骸でいっぱいだ。
俺は手早くお皿を片付け、布巾でテーブルを拭く。
……やっぱ、こはるん戻ってこないな
ふと、頭の片隅に小さな違和感が浮かぶ。
さっきの騒ぎの最中、こはるんは「たくみんもやろうよ!」と笑顔でポンポンを振っていたはずだ。
でも、あの後、彼女の姿を見かけていない。
「もしかして……ほんとに逃げた?」
ちらりと裏口の方を見るが、扉は閉じたままだ。
俺はこはるんを気にかけながらもホールを駆け回り、片付けと接客に追われている。
やっと落ち着いた……って、あれ?
店内の奥、ひょっこりと顔を出したのは、妹の遥香だった。
高校の制服に身を包み、無邪気な笑顔を浮かべている。そして、その後ろには、無理に元気を装っているこはるんの姿があった。
「お兄ちゃーん、連れてきたよ〜♪」
「お、おう……遥香、ありがとな」
来る途中で見かけて、声をかけたのか。
俺は驚くよりも、ほっとした気持ちが強かった。
「えへへ、こはるんさん、ほら、元気出して?」
「う、うん……大丈夫! わたし、元気だよっ!」
こはるんは、ぎこちない笑顔を作り、ポンポンを小さく振っている。
そのポンポンも、今や“恐怖を隠すためのプロテクター”みたいになっていた。
「ふぅん……戻ってきたのね、こはる」
冷たい声が空気をピシリと引き締める。
佐々木さんが音もなく現れ、メモ帳を手にしている。
いや、もうメモ帳はいいから、オーダー取ろうよ……!
「……さ、佐々木さん……」
「ねえ、こはる? さっきの“ポンポンダンス”は、なかなか愉快だったわね?」
「え、えへへ……楽しかった、です……」
「ふふ、そう。それなら、もう一回やってくれるかしら?」
「えっ、今ここで!? お客さん、びっくりしちゃうよ〜」
「まあ、それも面白いんじゃない? カフェでポンポン振るなんて、普通の光景じゃないからね♪」
「ちょっと待った!」
遥香がスッと間に入る。
彼女の表情は柔らかいままだが、目だけは妙に鋭い。
「お姉さん、さすがに今は無理だよ。ほら、こはるんさん、ポンポン振りすぎて手首痛めちゃうかもしれないし」
「え、手首!? わたし、全然平気……」
「ほら、こはるんさん、手首マッサージしてあげるから♪」
遥香はこはるんの手を引き、自分の後ろに隠した。
一瞬、佐々木さんが「むむっ」と顔をしかめるが、すぐににっこりと笑顔に戻る。
「ふふ、そう……手首は大事にしないとね。でも、ポンポンを振れないなら、別の“楽しいこと”をしてもいいのよ?」
「た、楽しいこと?」
「そうね〜。たとえば、メモ帳に“今日の反省”を書いてみるとか?」
「え、やっぱり反省なんですか!?」
「ふふ、もちろんよ。ほら、メモ帳には無限の可能性が詰まってるのよ?」
「無限の可能性……?」
こはるんはポンポンを抱えたまま、目をぱちくりさせる。
いや、そこは“夢が広がる”じゃなくて“恐怖が広がる”方だろ!
俺は内心でツッコミを入れつつ、様子を見守る。
遥香も「なるほどね〜」と考え込んだように頷いている。
「ねえ、佐々木さん? そのメモ帳って、もしかして“本当に願いが叶う”とか……?」
「ふふ、どうかしら? あなた、何か願い事でもあるの?」
「うん、実は私、“普通のカフェ”が好きなんだよね♪」
「……あら、そう?」
「うん、だから、“普通”にこはるんと一緒に楽しみたいな〜って♪」
佐々木さんの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
遥香はその変化を見逃さない。
「だって、ここは“普通のカフェ”でしょ? ね、お姉さんも、そう思うよね?」
「え、ええ……もちろん、そうよ。ここは“普通”のカフェだもの」
「そっか、よかった〜♪ じゃあ、普通に接客して、普通に美味しいパフェとか食べて、普通に楽しもうね!」
「……ふ、ふふ、そうね。じゃあ、普通にメモ帳はしまうわね」
佐々木さんは、メモ帳を静かにポケットにしまった。
「よかった〜、こはるんさん、大丈夫だよ!」
「う、うん……ありがとう、はるかちゃん……」
こはるんは、遥香にぎゅっとしがみつく。
その姿に、店内の空気もふわりと和らいだ気がした。




