21 嵐の予感
大学の講義中、俺は机に突っ伏しながら、ペンをクルクルと回していた。
教授の声は、遠くの砂漠から聞こえてくるラクダの足音くらい遠い。
「……この数式から導き出される結果は——」
ホワイトボードには、AとかBとかの見慣れた文字が並んでいる。
でも、次の瞬間、Σ(シグマ)やΩ(オメガ)が登場し、いきなりクライマックス感が出てきた。
「……なんで数式にラスボスが出てくんだよ」
俺はノートに「Ω=最終形態」とだけ書いて、そっとペンを置いた。
ようやく授業が終わり、俺はスマホを取り出した。
通知の数、25件……。
「店のグループラインか?」
カフェ・オブ・レストのグループラインは、いつもカオスだ。
開く前に深呼吸。心を強く持とう。
グループチャット: カフェ・オブ・レスト
こはるん
たくみん、今日のイベント楽しみだね〜!
店長
みんな〜、“普通のカフェ”として頑張ろうね!
百瀬スイーツ
「恋するベリーの誘惑パフェ」30個作ったわ!
黒崎
……30人も来ると思っているのか?
佐々木
利益出るの?
店長
えーっと……夢を売るから……
佐々木
経費は現実なのよ
百瀬スイーツ
でも、食べたら“ふわふわ〜”ってなるわよ?
佐々木
違法じゃないわよね?
こはるん
たくみん、準備できてるかな?
黒崎
……すでに逃亡したのでは?
こはるん
あ、そうだ! 結衣さん、今日来るって言ってたよね!
佐々木
結衣さんって、あの美人の先輩よね?
店長
え、本当!? じゃあたくみん、笑顔の特訓しないと!
黒崎
……絶望の微笑みを極める時だ
こはるん
「いらっしゃいませ、地獄の門へようこそ!」
百瀬スイーツ
誰も入らないわよ!
佐々木
というか、拓海くん既読つかないわね?
黒崎
……Ωに飲まれたか
店長
Ωって、何かのスイーツかな?
百瀬スイーツ
「Ωの誘惑パフェ」とかどう?
佐々木
経理が混乱するからやめて
こはるん
結衣さん来るから、たくみんもっと早く返事するっと思ったのに〜
黒崎
……彼は“普通”を求めすぎて意識を失ったのか
[こはるんが「泣き顔スタンプ」を送信しました]
「……もう、どこからツッコめばいいんだよ」
通知をスクロールしながら、俺は頭を抱えた。
普通のカフェで“地獄の門”とか“ふわふわ違法疑惑”とか、どう考えてもアウトだろ。
「いや、俺が何とかしないと……」
そう思って返信しようとしたそのとき、ふと画面に別の通知が届いた。
新着メッセージ: 結衣さん
「えっ、結衣さん!?」
俺は反射的に背筋を伸ばし、スマホを両手で持った。
結衣さん
今日は何時くらいにお店行けばいいかな?
「……天使か?」
教室にいることも忘れ、俺はニヤけてしまった。
やばい、顔が緩む。Ωどころじゃない、俺の心が∞(無限大)だ!
「返事、返事……」
俺は震える手でメッセージを打ち込む。
拓海
15時くらいからイベント始まるので、お好きな時間に来てください!
——よし、完璧だ。
すぐに既読がついた。
結衣さん
了解! 楽しみにしてるね〜
「……ふわぁ……」
俺はその場でうっとりしてしまった。
数式がΩに進化したときよりも、心のHPが全回復していく……。
意気揚々とグループラインに戻ると、俺は意を決して、返信を打ち込んだ。
拓海
ごめん、今見た!
結衣さん、来てくれるって!
一瞬で既読がつき、画面が凄まじい勢いで更新された。
全員
「おおおおおお!!!」
こはるん
やったね、たくみん!
店長
うわーい! 夢が一つ叶ったね〜!
百瀬スイーツ
よし、恋するベリーの誘惑パフェを増産するわ!
黒崎
……彼女を“普通”のまま帰せると思うなよ
佐々木
拓海くん、結衣さんが来るなら、売上目標ちゃんと決めないとね?
「いや、なんでこんなに盛り上がってんだよ!」
俺の心の叫びなどお構いなしに、グループラインは“結衣さん歓迎モード”へと変貌していく。
こはるん
じゃあ、たくみん、結衣さんに“普通のカフェ”って言った?
拓海
もちろん! “普通に美味しいメニューがいっぱいの普通のカフェだよ”って!
黒崎
……彼女は“普通”の定義を見直すことになるだろう
百瀬スイーツ
パフェの上に“ふわふわ”の綿あめ乗せちゃおうかしら?
佐々木
その“ふわふわ”、経費的に大丈夫なの?
店長
みんな〜、ポジティブにいこうね!
結衣さんにも“普通の笑顔”を届けるんだよ〜!
[こはるんが「応援してるよスタンプ」を送信しました]
スマホをそっと閉じる。
「……も、もう無理だ」
俺はスマホをポケットに突っ込み、キャンパスを出た。
結衣さん、頼む。
どうか、無事に“普通のカフェ”だと思ってくれ……!
——だが、このときの俺はまだ知らなかった。
待ち受ける“普通じゃない”試練の数々を……。
イベント当日、嵐の予感しかない——!




