第七節 狩る者、狩られる者
鋭い爪が迫る。顔めがけてふるわれるそれを首を傾けて避け、右手のグラディウスで反撃する。子鬼の胴体をやすやすと切り裂いた鋼は、強化した脚力を持って大きく飛び退く。横合いから獲物に噛み付かんと大口をあけて飛び込んできた子鬼は、その口の上下を分けられ絶命する。
激昂する子鬼達は、グループのリーダーと思われる後方の子鬼の鳴き声に反応して後ろへ下がる。よく統率がとれている。
「はぁっ!」
当然、鋼はそれを許さない。鞘に固定された針を引き抜き、素早く投げる。狙い違わずリーダー子鬼に当たった針は、刺さらない。
牽制と割り切り、一瞬の隙をついて二体の子鬼を仕留める。残り四匹。
反転して同時に迫る二匹の内、右手側に剣を投げつけ動きを止め、反対側の棍棒を籠手で受け止める。遅れて追いついた子鬼の首を紋章の短剣で裂き、僅かにしびれを残す左手で針を抜き、攻撃を止められ硬直している子鬼に突き立てた。すれ違いざまに耳を貫通され、脳をかき回された子鬼は地面と熱いベーゼを交わす。あと二匹。
その二体は、明らかに他の子鬼とは装備が違った。片方は粗末な棍棒ではなく、錆が浮いて切れ味の鈍そうな剣を握り、もう片方は革鎧を身に付け、巨鳥の羽を派手な色のバンダナで固定している。先ほど指示を飛ばしていたリーダーだ。剣を持つのはその護衛だろう。
剣を持つ方に向かって突進する。護衛は大きく剣を振りかぶるが、鋼が走る速度を速めると慌てて避けようとする。だが、完全に不意を打たれた護衛は迫る短剣を回避できない。右手の短剣は、二つの堅いものを砕く感触とともに心臓に突き立てられた。
鋼は深く刺さり込んだ短剣の回収を後回しにして、リーダーの方へと急ぐ。魔物は護衛が倒れた時点で森へと駆け出していた。自分が制御できるギリギリまで強化した脚力で、地面と平行に飛ぶ。一気に大きくなった子鬼の姿を認めると、その首を逆手に抜いた鉈で切り落とす。子鬼の悲鳴は無かった。
「――ちょ、ぐぉおぶ!?」
かわりに体勢を崩して地面に激突した、鋼のなさけない悲鳴があがった。数瞬の後、倒れた子鬼の血が鋼の頭に滝のように降りかかる。生臭い臭いと土と鉄の味をかみしめながら、ここに来た経緯を思い返していた。
*
悩みを抱えたまま、二ヶ月が経過した。
ミーシアはいつも通りに接してくる。鋼には、その事実がかえって重くのしかかった。
この世界に迷い込んで三ヶ月、季節は冬へと向かい、徐々に冷え込んでくる。そんな中、素振りは自己鍛錬としてその回数を減らし、かわりにミーシアは、木剣を三本用意した。
「まずは組み手だ。一本はハガネが、二本はボクが使うよ。その代わり、強化術は一切使わない」
そうしてさっさと二本の木剣を手にとり、一本は後ろ腰に吊り下げた鞘に納める。二本と言いつつ、最初は一本で相手するらしい。
残った一本を拾う。重量も、やや持ち手に寄った重心も変わらないことに驚きつつ、彼女に向き直る。ミーシアは硬貨を手にもって待っていた。
「――――いくよ」
大きく投げ上げる。油断なく構える鋼に、ダラリと力を抜くミーシア。
やがて、硬貨は投げ上げる前の位置にまで落ちていき――その速度が、急激に遅くなる。
否、鋼の反応速度が早くなった為にそう見えるだけだ。強化術による、脳の強化。神経が伝達する信号をより早く送り届けることで実現した、達人の世界。硬貨が地面に落ちた瞬間、強化を脚力に切り替え飛び出した。実力が隔絶しているからこその、電撃戦。知覚できない速さからの奇襲で一気に決める。
「――真っ直ぐすぎ」
大きく体を仰け反らせたミーシアは、その体勢のまま膝蹴りを繰り出した。小さな膝が腹に突き刺さり、無理な体勢で放ったとは思えない力でかちあげられた。真上を通り越す鋼。
「ぐっ、がは!あっ……ぁ」
地面に投げ出された鋼は、うまく呼吸できずに咳き込む。とっさに強化する事もできなかった。後ろから悠々と近づくミーシア。木剣が首筋に当てられる。
「あと、筋力に魔力を充てすぎだ。余裕を残して、すぐに切り替えられるようにしないとね」
初戦は一合も剣を合わせることなく終わったのだった。
「本当にっ……強化……使っ、がふ」
「自己申告だけど使ってないよ。ちょっと予想より深く入っちゃったかな……」
助け起こされ、背中をさすってもらう。素の身体能力であれなのか。実力差以前の問題に鋼は驚嘆する。
「以前も言ったけど、強化術はある一定の限界までしか強化できないんだ。つまり、相手の限界がわかっているなら、ボクは強化しなくてもハガネを返り討ちにするぐらいわけはない、ということ」
もちろん、ある程度相手が何をするかがわかっていることが前提だけど、と続ける。鋼は、二刀のうちの片方しか抜かなかったことも、構えらしい構えをとらなかったことも、こちらを挑発して短絡的な行動に走らせるための方策だと気づく。
対人戦における思考の誘導。今回はお互いを知るが故に簡単なものとなったが、知らない相手にはより複雑で、より大きな戦果を挙げる方法を知らなければならない。その究極の形、すなわち読み合いとなると卓越した剣の腕と膨大な経験が必要となる。
「まあ要は今回、ハガネには現実を知ってもらう必要があったんだ。圧倒的に足りない経験を補うには実戦経験を積むしかないってね」
だから子鬼の群れをちょっと討伐してきて欲しい。
軽く言ってくれたが、下手したら死ぬことは、容易に想像がついた。
「では、行ってこい!」
「えっ、今から!?」
ぼさっとするな!と蹴りまでくわえられて追い出される。生成したなけなしの魔力で強化しながら、走り去っていく。
――それを見送ったミーシア。そして、頭を抱えて座り込む。あの戦いは、彼女にとってもギリギリだった。
(真っ直ぐくるのは想定済み、その速さも大きなズレはなかった)
にもかかわらず、彼女は加減を間違えた。寸前でさらに体を倒さなければ、彼の胃を破裂させていたかもしれない。たった一つの想定外。彼の反応が、常軌を逸していたことだ。
意識の間隙はどう鍛えても無くなることはない。少なくとも、ミーシアにはそんなことはできないし、できる人間がいるという話も聞いたこともない。硬貨が落ちた瞬間に動こうとすれば、僅かな時間の差が生まれる。もちろん、硬貨の軌跡を辿ればある程度の予測が立てられる。それを防ぐために自分でも見失うほど高く投げ上げ、わざと隙をつくって警戒を高めさせた。視線が釘付けだったのはこの目で確かめていた。
なのに、彼は反応して見せたのだ。音を聞くより早く、落着と共に瞬時に駆け抜けた。実際に意識の間隙を突かれたのは、こちらだった。
「偶然、じゃないよねぇ……」
考えることしばし。彼女は鋼に出した指示をすっかり忘れていた。
*
護衛の子鬼から短剣を引き抜いて、辺りに転がる死体の胸を切り裂こうと動く。その目的は心臓付近にある魔核だ。
魔物は必ず、体内に魔核と呼ばれる結晶質の物質を持つ。他の生物と魔物を明白に分ける最大の特徴であり、ここから魔力を精製していることがわかっている。
ただ、なぜ魔物だけがそんなものを持っているのか、さまざまな学説が飛び交うものの未だよくわかっていないという。故に、研究材料として非常に高値で取り引きされる。
(すごくもったいなかったよなぁ、コレは)
現れた切っ先から、透明な欠片が落ちていく。それが何かなど論じる必要もない。こうなってしまえばたとえ希少な竜種の核だろうと、1ディールの価値もない。
子鬼の中でも体格の良いこの護衛は、ちょうどその成体である鬼人の間ぐらいに見える。魔核の価値と内包する魔力はその魔物の強さに比例するため、他の子鬼よりも高い値段がついた可能性が高い。だからこそ一刀で斬り伏せたのだが。
一応、錆びた剣を拾い、邪魔にならないように外套でくるんで背負う。購入当初は着るのを躊躇ったものだが、気温が低くなるにつれて戦闘時に素早く脱ぎ捨てられる防寒着という点で優れている事に気づく。その汎用性も相まって、今では手放せない必需品だ。
さらに子鬼の戦士長から邪魔な革鎧を外していく。どうやらサイズのあわないものを着ていたらしく、簡単に脱がせることができる。護衛よりも小柄だが、まあ指揮能力と戦闘能力は別である。
肋骨を鋸刃を使って削りながら、ふと自分が何のためらいもなく彼らを殺したことに気づく。もちろん、魔物に対する正しい知識を得た今、わざわざ彼らに手加減する必要はない。それほどまでに相容れない存在なのだ。
だが、この手で命を奪ったことに変わりはない。
思った以上に平坦な自分の感情が、あまりにも意外で、現実味がなさすぎた。
考えながらも既に止まった拍動の隣、仄白い輝きを放つ宝石が現れ、左手で慎重に取り出す。大きさは胡桃ほどだろうか。外気にさらされたことで内包する魔力が世界に干渉して、引き寄せられるような存在感を醸し出す。
――核は互助会が回収を行っているんだ。でも、時々回収されずに好事家の手に渡ることもあるんだ。
そうか、そういうことか、と思わず納得してしまう。強い魔物ほど多くの魔力がこもった核を持つ事を思えば、そのおかげで美しく見える宝石というのも需要があるのだろう。
作業が終わり、ふと傍らに転がる頭を見る。転がった拍子に巨鳥の羽は折れて無残な姿になっているが、頭頂部まで覆うバンダナはそのままだ。思案の末、これも回収する。念のためよく観察してみるが、元の持ち主に繋がる情報はなさそうだ。
同じ要領で七体すべての死体から核を回収する。核は小物入れ代わりの小さな革袋に入っている。頭から血を被ったせいでにおいは感じないが、手にべったりと血が付着していて、かなり気持ち悪い。
辺りを見回す。川のせせらぎが聞こえないかと耳を澄ますが、断続的に木々が揺れる音以外には何も感じない。仕方なく、聴力を強化しようと――
「――あ、れ……?」
何か、大きな違和感を感じる。ピリピリと首筋に感じる危機感と焦燥感、その尋常ではない感覚に鋼は全神経を集中して違和感の正体を探る。ざわざわ、ざわざわ、と木々が揺れるその音だけが、自身の感覚に引っかかる唯一の変化だ。
そう、それ以外に感じるものがないのだ。
それが示す事実は――
(――――しまった!)
立ち上がって、強化術を行使しつつ剣を抜くと、すぐさまその場を離れた。途端、閑散としていた森に地震を想起させるほどの地響きがとどろく。この森で唯一と言っていいほどの脅威。遭遇する事こそまれだが、出会えば中堅どころの傭兵でも手を焼く、『初心者殺し』。
ほぼ全力の強化を施して走っているにも関わらず、急激に近づく足音。やがて真後ろにつかれ、その攻撃の気配をつかむ。横っ飛びに体を投げ出し、左手でその茶色い暴風を防ごうとした。横殴りに叩きつけられた一撃は籠手を破壊し、強化した腕が有り得ない形に変形する。勢いに任せて体が吹き飛ぶ、その刹那に垣間見た凶貌と巨体。
(――大鬼!!)
猛烈な衝撃を最後に、鋼の意識は闇に落ちた。




