第六節 全部、おしえて
修行が始まってから、一ヶ月が経った。徐々に素振りの回数は増え、基本の回数は五百回、同時にペナルティで増える回数は五十回。あまり芳しくはない。
ただ素振りすれば良いのではなく、強化術を用いて筋力の強化、それによる感覚のズレを修正し、ミーシアからの突然の指示に対応して振り方を変える。
それらができなければやり直しだ。一日中剣を振るために、何度も手に豆ができ、そして潰れるのを繰り返す。
ミーシア曰く、誰にも邪魔されない環境で修行すべきとして、一泊二日でマルジャの森に出かけてはついでに薬草を摘んで帰る事を繰り返す日々。宿に戻ればこの世界について勉強する。
週に一度の休みを除けば自由な時間は無かったが、休みの日にはミーシアの先導で街を廻り、思いっきり遊び倒す。おかげでメイジスの街の構造は把握した上、最初に買えなかった細々としたものを購入できた。
「また怪我隠して……ちゃんと治療しないと」
「うっ………………わ、わかったよ!だからその『すごくしみる』ってでかでかと書かれた薬仕舞ってよ!」
怪我の治療も何百と繰り返した今、既にその要領も心得ている。ただ――
「――グェェェ…………」
「ほら、ちゃんと噛まないと薬効でないよ」
――鋼はいまだ、苦手意識を持っていたが。
この世界に治癒魔法などという便利な代物はない。その代わり強化術によって治癒力を強化する事で、少なくとも大量出血を抑えるなどの応急処置は可能だ。小さな怪我ならほぼ瞬時に治すことができる。
治療となるとドゥニアムンドにおいて一般的なのは薬を用いたものになる。取り方一つで毒性を持つという不思議な植物などがある以上、地球以上の薬草があってもおかしくはない。代表的なものはメティス草、つまり身近にあったわけだ。
メティス草自体はどの大陸でも探せばあるというぐらいには自生しており、加工しなければ保存がきかないという欠点を除けば傷の再生を助ける優秀な薬草として知られる。
薬としては包帯などに塗って添付する形の軟膏剤として知られるが、採ってすぐならペースト状にすり潰して患部に塗りつければ十分に薬としての用をなす。
「だからって、口で噛まなくてももっといい方法あるんじゃないの?」
「乳鉢とかを常備するって言うならそれ使ってもいいけど」
尤もな意見に思わずうめく。手のひらに薬草を乗せ、手持ちの包帯できつく巻き付ける。それらが終われば、魔力を生成して治癒力の向上をはかる。
豆がつぶれた程度なら一時間もしないうちに完治するだろう。そう思いながら口に残ったえぐみを魔道具で作った水ですすいで洗い流す。四週間も休みなくこんなことができるのも、強化術のおかげだ。筋肉を鍛えようとすれば負荷をかけて筋肉を一度酷使する必要があるのは鋼も知っている。その修復の過程を強化術で急速に回復させることで筋肉痛をスキップさせる。その余りに無茶な修行に、一度だけ逃げようと思ったこともあるが、世界を巡る為にはどうしても必要なものだと思い直した。
「しっかし、ずいぶん頑張るよねぇ……」
素振りを終えて、投擲の練習をしていた鋼にミーシアが呆れたようにそうこぼす。
「そりゃ、生活がかかってるからね。必死にもなるよ」
「――うーん、そういう感じでもないんだけど……」
喋りながらも、彼女の技の冴えは衰えない。今も手首のスナップで軽く投げられたように見える石は、ばすん、と滑らかな質感の板に穴をあける。鋼が投げた石は強化が不十分で穴を開けるに至らないか、ひどいときにはでたらめな方向に飛ぶこともあった。
「また体幹の強化がおろそかになってる。全身を使う時は必要な部位を考えて、もっと滑らかに力を伝えないと」
ちなみに、鋼はミーシアよりも近い距離で投げている。上達しない自身の技量に僅かに焦りを覚える。
ただ、街の外にいる間なら実感はともかく、鋼の気分はましである。本当に大変なのは――
*
「ここの綴りが違うよ、これだと『プレゼントをもらう』じゃなくて『プレゼントをくらう』になるよ…………あ、でも食べ物だったらそんなに違和感もないや」
「いや、例文から変わってるじゃん!ダメだって」
戦闘の訓練からくたくたになって帰った――体力をつけることと魔力を節約するためという名目で行き帰りには強化術を使わない――翌日、借りている宿の一室でこの世界の文字の勉強をする。
まるで装飾じみたこの世界の文字は、どういうわけか鋼には読むことができて意味も拾うことができる。だが、それを自由に書くには練習が必要だった。
しかし、ただ文章を書くだけではない。
「で、こっちはあってるね。ミミズがのたくったみたいになってるけど」
「利き手じゃないんだからしょうがないよ。本当にこれ意味あるんだよね?」
両手を使い、全く別の文章を書かされる。しかも当然のように同時に書き上げろと言うのだから、困難としか言いようがない。
魔力を繰りながら身体強化を行う感覚とは、まさに両手で同時に文字を書くこととよく似ている。短期間で強くなるには魔力操作を素早く行えるようになるしかない。そう語るミーシアの教えに妥協は無かった。
「じゃ、次はこれね」
木簡に両手のペンを走らせて新たな文をつくる。彼女は右利きらしいが、左手側の文字に乱れはない。
「まあ、なんでも器用にできるようになるに超したことはないよ。ボクがハガネぐらいにできるまではもっとかかったし」
そう言われても、要求される水準が高いために実感は薄い。
まるで彼女自身の持つ力を余すことなく鋼につがせようとするかのように、教えられることは多い。7日間あるうち、2日は森で寝泊まりし、帰ってからは座学、この三日間のサイクルを繰り返し、一日の休みを挟んでまた繰り返す生活が続いている。やることは多いが、幸いなのは生活の水準を落とさずにすんでいることだ。魔道具により風呂こそない物の、大陸の特徴的に食べ物は安くてうまい上に調理法も多彩だ。鋼の感覚も、少し危ないこともあるが日本によく似た国というものになりつつある。
「――ああ、もうこんな時間か」
気づけば窓の景色はすっかり暗くなり、家の軒先に掲げられたカンテラの灯が蛍のように見えた。
(――あっ……)
――今度一緒に蛍、見よ?
――あの時は私、それどころじゃなかったから
恥ずかしそうに俯きながら、夏休みの計画を語る少女。その頭を撫でながら、鋼は長期休暇の予定を一日だけ埋めたのであった。
「――そういえば、銀髪の人って見たことないな」
思わずそう独りごちて、
「ハガネの世界だとありふれてるの?」
一人でないことを思い出す。目を離した隙に素早く着替えたらしい義母はかわいらしい睡眠帽を弄びながらこちらを見ている。
「いや、あまりそういう人はいなかったな。髪を染めたと言うなら別だけど、たぶん珍しいと思う。ただ友達が同じ髪色だったから」
正直に話す。実を言うと、元の世界のことを話すのは初めてで、鋼は故郷を懐かしむ。
「友達ね……大事な人?」
「――――っ」
この一ヶ月ではじめて、ミーシアはこちらを射抜くような、まっすぐな瞳を向けてきた。鋼も思わず彼女の目を見て、はじめて――変な話だが――彼女の瞳が、きれいな鳶色をしていることに気がついた。
「ボクはこの世界のこと、たくさん教えてきた。正直に言うと、ハガネを引き取ったときに少しだけ打算もあったんだ」
三割ぐらいね、と指を立てる。
「ハガネは本当によく頑張ってる。それはこのひと月の間、ほかならぬボク自身が見てきたから誰にも否定させない」
でも、と一度言葉を切り、瞑目する。わずかな間が鋼には何十秒にも感じられる。彼女は瞳と共に口を開いた。
「ハガネは、ちゃんとこの世界を見ているのかい?」
その台詞は、あまりにも深く少年の胸に突き刺さった。
「――、っ」
反論の言葉が浮かばない。何か言わなくてはと口を開くも、言葉を忘れたかのようにその先が言えない。
「ハガネは確かに必死だ。でもこの世界に生きるというよりは、この生活自体が通過点みたいな、何というか常に焦っているみたいだと思ったんだ」
事実だ。鋼は愛理を探すというたった一つの思いを胸に行動していた。それは地球でもしていた習慣である。
「その友達とはどういう関係?」
「――それ、は」
幼なじみと言えばいい。頭ではすぐに出てきた解答が、口にできない。
――――罅割れた銀細工のようだ
今思えば、余りに現実的ではない第一印象。その儚さに惹かれたのも、手をさしのべようと思ったのも事実で。何も言わず、ただとなりに居てくれた事がありがたかったのも事実で。――常に、泣いているように見えたのも事実で。
「――ごめんね、いきなりこんな話して。ハガネが自分の世界の事を話したの、初めてでさ」
つい責めるみたいに言っちゃった、と軽い口調でおどけるミーシア。ランプの灯を落とし、部屋は暗闇に包まれる。
「一緒に寝よう?」
「いや、やめとく」
初日から続く押し問答。
「――そっか」
しかし、ミーシアはあっさりと引き下がった。
有り難く思いながら、サイドテーブルを挟んで向こう側にあるベッドに身体を投げ出す。着替える気にもならなかった。
(愛理は)
小さな頃から泣き虫で、怖がりで。
周りの子と違う、白皙の美貌が美しくて、それを排除しようとする周りの反応が理解できなくて。
(愛理は僕の――――なんだ?)
ただ彼女を守っていた。ただ彼女を悲しませたくなかった。
――――――その根拠となる、自分の感情は理解できなかった。
それだけではない。この世界について、鋼はもう一度よく考える。だが、この一月で学んだことは、まるでつまらない映画を見るかのよう。
この一ヶ月、ずっと顔をつきあわせていたというのに気づかなかった、ミーシアの瞳の色を思い出す。赤みがかったその瞳は、自分の浅ましさを見透かしているようだった。
鋼の悩みをよそに、夜は更けていく。その日の最後、鋼は悲しい夢を見ると確信していた。
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