第十七節 これが僕の魔法
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「――はぁ!? そんなバカな!」
ぼんやりとした記憶にミーシアの素っ頓狂な声が刻まれる。
これは走馬燈だ。そう理解しながらも、この夢から覚めることはない。
「こんな大事なことで嘘つくわけないだろう?全部事実だよ」
ハウマンはそう言いながらも表情は苦い。周囲の酔いどれも神妙な顔で彼の話を聞いていた。
――そう、これは酒場での出来事だ。
「俺がみた大鬼は普通の奴じゃない。上手くは説明できないし、遠目に見ただけだが、まず体色が違う」
「それだけ?まさかオーガの姿をみたこと無いはずはないだろう?緑色のさ」
ミーシアの反応を見て、しかしハウマンは頭を振る。
「真っ黒だったんだ」
「はい?」
「遠目に見たそいつは、黒かったんだ」
実際の大鬼変異種は、本来の体色が見えなくなるほどびっしりと黒い紋様が現れていた。
「それでなんでだよ?ボクが見たときは確かに普通のオーガだったのに」
この疑問は『なぜオーガの体色が変わっていたのか』、そして『そんな魔物をなぜミーシア達が出会った個体だとされているのか』という二つの意味が含まれていた。
「さあ、な。俺は見たまま報告しただけだ。そいつに銀の輪っかみたいなもんが巻き付いていたことも含めてな」
ミーシアは絶句し、鋼は疑問を抱くことになる。
彼女は鋼の鍛錬を再開して以来、一度も液体状の剣を使っていなかったのだ。
黒い紋様は不気味に脈動しながら、剣を登り詰めていく。
鋼は一歩も動けない。本能的な恐怖と危機に対する警鐘が鳴り止まないのに、指先すら動かすことが出来ないでいた。
紋様の正体は分からない。ミーシアの証言通りなら、ただのオーガに異様な力をもたらすものであるのだろう。自然に発生するのか、あるいは――
「――――ひっ!?」
紋様はついに、鋼の手にからみついた。その違和感は隠しようがなく、恐怖から思わず悲鳴が漏れる。
本能的に目を閉じた鋼は、即座に目を見開いた。――頭を全力で殴りつけられたかのような衝撃とともに。
「――ガ、あぁ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!?????????」
なぜ、という疑問すら浮かばない。鋼の意識は別の何かに押しやられようとしていて、その何かに全力であらがう。――どうやって?
ただ本能のままに何かの進行をくい止める。ふと去来した疑問すら痛みとともに漂白されていく。
(見えない! 何も、何もかも!! 消える――)
散り散りの思考で掴んだ答えは、何よりも恐ろしい結論だった。
(――――イヤだ)
彼女との思い出が、あの日の誓いが、今の鋼を形作る思い出が消えてしまう。
(――――イヤだ、嫌だ、いやだ!)
胸中の叫びは形にならず、一際強烈な波が襲いかかる。
鋼の意識はそこで途切れた。
◇ ◇ ◇
濁流のごとくやってくるそれは、理解の出来ない『ナニカ』。
ただのエネルギーなのか、意識を乗っ取る新手のイキモノなのか。もっと観念的な、人の理解の及ばないものなのか。
その中を為すすべなく揺蕩うモノには分からない。
ただ、何かするべき事があるような、見落としがあるような気がした。
――でも、もう無理だな。
そんな風にあきらめの感情が『モノ』の意識に現れ、『ナニカ』に身を任せようとしたとき――
――ねぇ……
認識したのは声だった。
ひどく懐かしい響きの、女の声だった。
『モノ』はそれを聴くともなしに聴いていた。
――わたし、今でも《本当にこれで良かったのか》と思うんです。
女の声は憂いを帯びていて、どこかにおびえが混じっているように思えた。
――俺たちは、罪……ことをしているな。……不幸な…を……だして……ったかもしれない。
答える男の声はなぜか聞き取りづらかったが、女と同じく憂いに満ちていた。
――それでも、俺たちの子だ。…人の……でもて……ばれ……命なんざ、まっぴらだ。
我が子に対して、罪悪感でも持っているのだろうか。声だけではどうしてもわからない。――何より、古いカセットテープでも聞いているかのように、雑音と劣化が激しく、肝心なところがわからない。
――だから、俺はあらがう。この……無事に……として……るためにな。
ただ、雑音だらけの中からでも強い決意がうかがえた。
女は静かに聞いていたようだが、やがてわずかな足音が聞こえてくる。
――そうね。……私のかわいい坊や。これから何があっても、どんな逆境が待ち受けていたとしても、決して自分を曲げないで。――ハガネ。私たちの子。
(――ハガ、ネ)
その名前は不思議と馴染んだ。
(ハガネ、――鋼)
決して折れず、容易に曲がらず。
人の叡智が生みだし、人の営みと争いの中で築き上げられた、広く使われるモノ。
(荒川 鋼――僕の、名前)
その認識を改めると同時――濁流が鋼の意識を再び飲み込もうと逆巻く。
(飲まれちゃだめだ)
出口を探すしかない。だが、上も下も、右も左もわからない。濁流の正体は依然として不明だ。
(道はどこだ……! こんな所で死んでる場合じゃないんだ!)
――待て! 待ってくれ!
今度は、別の人間の声が聞こえてきた。誰かを引き留めようとする、少年の声だ。
――ごめん、ね。……ここま……みたい
引き留めようとしているのは少女のようだ。
(この声も、聞き覚えがある……?)
――冗談はよせ、ホントになっちゃうだろ!?
現実を受け入れたくないらしい少年は、彼女の謝罪を拒む。
彼女は変わらず、弱々しい声で謝り続けているのだろう。――彼女自身にはなんの落ち度もないのに。
なぜか鋼は、そんな確信を抱いた。
――……ねぇ、これだけ言わせて…………わた、し……あな…が………………
そんな彼女の声は途切れた。――二度と紡がれることはないだろう。
ややあって少年の焦りの声が聞こえてきた。
――――!だ……だめだ!目を閉じるんじゃない、愛理!!
(アイリ――)
その名前が聞こえてきたとき、より強い荒波に浚われて鋼の意識は急速に浮上していく。
鋼は強い衝撃を受けて茫然自失しながら、流れに身を任せた。
――――――死ぬなぁ! 僕を、俺を一人にしないでくれぇ!!
少年の悲痛な叫びがここでの最後の記憶だった。
◇ ◇ ◇
オーガにとって、もはや目の前の存在は取るに足りない存在である。
これが巻き付いた以上、放っておいても死ぬ。小賢しい毒が抜けた後、念入りに叩き潰せばいい。
実にあっけない幕引きだ。――そのハズなのに。
「――ぅ、ぉ……お゛お゛……!」
信じがたいことに、ニンゲンは巻き付いた紋様を引き剥がしにかかったのだ。
――有り得ない。
未だ自由にならない体に鞭打ちながら、オーガは思う。こんなニンゲンは、在ってはならない。これがまかり通れば、自分たちは――
丸太を思わせる黒い腕が振るわれるよりも早く、正体を取り戻した鋼は離脱のための瞬間を稼ぐ。懐に潜ませた“笛”を咥え、素早く息を吹き込む。一瞬の隙を突かれ、眼球に異物が刺さったオーガは絶叫をとどろかせる。それが、鋼が飛び退く為に充分な隙となった。
直後、鋼は素早く剣を手放した。――紋様に侵された剣は脆くなっていて、落下の衝撃で砕け散る。その間にも怒りに満ちた視線が鋼を貫く。
(動きが鈍いといっても、この体格差だからな)
夜の帳が落ちた暗闇で、淡く、不気味に灯る黒い燐光を頼りにオーガを見据える。
不思議と、鋼の心情は落ち着いていた。今まさに身一つで恐ろしい怪物と対峙しているというのに、その動きの始点が見え、対処できるという自信がある。
鋼に向けてつかみかかってくるオーガの腕を半身になってかわし、その腕を取って肩へと担ぐ。
「――――ッ!?」
オーガから驚愕の気配。だが勢いは止まらない。鋼はかの魔物が繰り出す攻撃の勢いを殺さずに生かす。
その技はあの日、何度となく受け続け、受け手として体得したものの、技を仕掛ける側としての鍛練は積んでいない。しかし、その動きを脳内でシミュレートする事は出来る。
(情報領域だか物理領域だか、難しい風に言ってるけど、これが僕の想像通りなら……)
意識の帰還を果たしてから、鋼の脳裏にひらめく直感は、鋼の固有魔法、再構成の新たな使い方を指し示す。
――すなわち、体の動きは《情報》として捉える事が出来る。突き詰めて考えていけば、全ての運動は、物理現象は数式化出来るのだから。
仮にそれら物理現象を数式化して《情報》として蓄えた世界があるとすれば、そこで起きた変化は現実に影響を及ぼす。
大地を踏みしめ、捕まえた腕を送り出す。相手に背を向けた無防備な状態。魔力強化を上乗せした勢いは、膝を突いた魔物を地から引き剥がす。
鋼がやって見せたのは、ウィニーが得意とする背負い投げの再現だ。この場に《鉄拳》をよく知る人間が居れば、技の出から終わりまで寸分違わぬ動きに目を剥いただろう。
(さすがに相手の体重弄ったり、自分の体格を変えたりは出来ないかっ)
相応の魔力を消耗しながら、思った通りの結果がでなかった事に歯噛みする。
やはり再構成は使いづらい。ほかの固有魔法がどうかはわからないが、汎用性が高いようで制約が多いのだ。
鋼が試したのは大きく分けて三つの現象だ。まず、受け手として体得し、何度もみていたウィニーの背負い投げの動きを自分の体へと適用する事だ。その際に、自分の体をその動きが再現しやすいように弄ろうとしたことが二つ目で、さらに相手の体重を軽くしようとしたことが三つ目となる。
結果として、有効だったのは一つ目だけだ。だが、これらの魔法行使と強化は併用できた。鋼単体の筋力では到底不可能なオーガの背負い投げが決まったのだ。
(要は支点、力点、作用点の場所とそれぞれの対象の重さは動かせなくて、加える力は魔力の許す限り大きくすることが可能。理科の問題よろしく、理想的な動きを再現するための魔法が、僕の固有魔法)
轟音を轟かせるオーガを見ながら、物思いに耽るのもそこそこに、再び鋼は駆け出した。余計な力の入っていない、理想的な走りだった。
メインとなる剣は失ったが、もとよりミーシアは剣にだけ頼るような鍛え方はしていない。そして、鋼もいざという時に頼りとなる武器を持っている。
仰向けに倒れたオーガの首に飛びつき、右の太股から短剣を取り出す。互助会の紋章が刻まれたあの短剣だ。片手で器用に持ち替え、逆手にした短剣を叩きつける。堅い皮膚を持つ大鬼変異種には、一度では出血を強いることは出来ない。
「――ふっ! はぁっ! づぁっ!」
なんて事はない。一度でだめなら何度でも。刃が通らないことはないというのは、すでにわかっていることだ。
狂ったように叩きつける刃は、凄まじい勢いで、恐ろしいまでの精確さでオーガの首を切り裂こうとする。オーガが反撃しようにも、鋼の動きはあまりにも早すぎた。
「――――……」
執拗なまでに振り下ろした短剣は、ついに頸動脈を切り裂いた。勢いよく噴き出す返り血を浴び、鋼は攻撃をやめる。
手が震えていた。まだ生暖かい血が、皮膚を貫く感触が手に残っている。
同時に高揚感が湧いた。これだけの強敵を打ち破り、雪辱を果たしたのだ。
よろめきながら、体を起こす。まだやるべきことは残っているが、一度体を休めたかった。
もはや気力も体力もなく、暖と明かりをとるために《着火》の魔道具で木切れに火をつけた。相変わらず、魔法の炎はチリチリとトラウマを刺激する。だが、背に腹は代えられない。――そんな疲労困憊の状態だったからだろうか。
「――あれ、火が……」
突然消火した火を見て、不審に思う。焚き火とまでいかずとも、突然消えるほど弱々しいものではなかったのだ。
気を取り直して火をつけ直そうとして、ふと手を止める。その行動が、明暗を分けた。
――ぶん、と重いものが風を切る音がする。
「っつ!」
とっさに腕を交差させ、強化を乗せる。吹き飛ばされることを予期し、身構えると同時に、直撃。
風切り音が先か、防御態勢を整えるのが先か、それすらもわからないほどの刹那。鋼の脳裏にオーガについての訓話が過ぎる。
――――首を落とせどゆめ忘れるな
――――鬼の命は尽きはせぬ
――――憎悪をもって一盛り
――――鬼は再び、その身を燃やす
生命力の強いオーガは、首を切るだけでは死なない。軽々と吹き飛んでいく中、鋼は詰めの甘さを痛感しながら、諦める気にはならなかった。
(僕は、まだ――)
想いは儚く、意識が遠ざかっていく。
最後に鋼は、誰かによって受け止められたような気がした。




