第十六節 奇策の戦術
魔物にはある程度共通した生態がある。
人間を優先して襲いかかること。
どの魔物も、独自の魔法を行使できること。
――魔力の発露に敏感なこと。
以前、鋼が不意打ちを受けたのは、魔力を放出する魔核を適切に処理できなかったため、その気配を辿って引き寄せられたからだ。
――――しかし、考えようによってはこの性質は利用できる。
目的地にたどり着いた鋼は、その場で瞑目する。
――始めればもう、後には戻れない。
生きるか、死ぬか。
この場所には鋼か大鬼のどちらかの死体が残り、一方は生き残って去る。
(――――――――)
ミーシアは『名誉の死を選ぶな』と言った。だが死ぬことに元々名誉などない、と鋼は思う。
(はっきり言って、これは意地だ)
冷静な自分が、語りかける。
(今ならまだ間に合う。そんな物しまって、帰れ)
ミスリルの袋を持つ手が震える。中身が小さな音を立て、鋼を責め立てる。
(僕は――っ!)
――――ウィニーの、脚を撫でる姿が思い起こされる。
これが意地だというなら、それでいい。
その意地のために戦おうとする人がいる。
袋の口を解いてバラまいた魔核は、地面を踊る美姫のように、存在そのものが見る人の視線を吸い寄せる。舞台の準備は整った。
「ここより先は、舞踏の代わりに武闘を。弦楽の調べの代わりに剣戟を。即席の森のステージにてお待ちしております――」
そう言って、少しだけおどけて見せたが、震えは治まらない。
この武闘会に名付けるなら、雪辱。
――ほどなくして、招待客が現れる。
五メートルほどの巨躯を揺らし、ギチギチと不快な音とともにやってくる。
その頂には黒い角が。
そして、全身を巡る不気味な紋様がその魔物が尋常のそれではないことを示していた。
しとめ損ねた獲物を覚えているのだろうか、鋼をみるやいなやニタリと嗤って見せた。
異常な生態を持つ魔物において、なお際だつ異形の存在。
――それらはまとめて変異種と呼ばれている。
◇ ◇ ◇
大鬼変異種の威容は鋼の剣を鈍らせるに足りた。
「――――グッ、うぅ……」
恐怖心が無いはずがない。ヤツは間違いなく、鋼を戦闘不能に陥らせ、ミーシアの戒めから――時間はかけたと言っても――自力で脱出した怪物だ。
ミーシアの持つ自在に形を変える剣は、その普段の見た目の頼りなさとは裏腹に、ただ力付くでは破ることができないことを知っている。その正体が液体なのだ。無理からぬことである。
距離を置いてミーシアが解除したわけではない。そうであったら、ミーシアへの非難は必至だ。何より、かの魔物が身につけた銀環が証拠となる。
(せめて、そっちのウワサは外れてほしかったな)
どうも銀環は主の命を忠実に全うしようとしているらしく、ギチギチ、と幅が狭まることで生じる音が両手両足、そして胴体から聞こえてくる。主が居れば、さらなる命令によって切断やふたたびの拘束へと移っただろうが、この場に持ち主はいない。
大鬼変異種は枷を無理やり解き放ったためにこのような姿になっているわけではない。単純にこれ以上枷を解く必要がないために放置しているのだ。
「ッ――――――――――!!」
「クソ、ッ!」
悪態をつきながら魔物のそばを離れる。咆哮とともに振るわれた腕をかいくぐり、ひたすらに距離をあける。
魔物の手には大木が握られていた。棍棒のかわりに振るうそれは、重量だけで人を殺すことができる。大木と称したのは、単にほとんど加工されることなく振るわれているからにすぎない。
鋼は、血脂に塗れた剣をみる。ただ切りつけただけでは筋肉の鎧に阻まれ、薄く刻んだ赤い筋は既に消えている。
「――――」
決定打に欠けていた。強大な力による暴力に対して、鋼の技はあまりに矮小な代物に思えた。
ミーシアならどうしただろうか。恐らく彼女なら、すぐにでも懐に入り込んで勝負を決めていたに違いない。
(少し前までなら、僕もそうしただろうけど……)
ウィニーからの忠告を思い出し、そして自分がミーシアのようにいかないことを改めて自覚する。
――――そして何より、怖かった。
鋼は目の前にいる自分ではどうにもできない暴力の化身を、何よりも恐ろしく思った。
圧倒的な、実戦経験の不足。常に死の危険があるこの世界の住民と、文字通り死が遠い世界の出来事として認識してきた鋼という在り方の違いは、戦うすべを持ち、明確に格上の存在と相対することで表面化したのだ。
オーガの何の技も無い一撃を、鋼もまた技術も何もない全力の強化にものを言わせて避ける。考えていた段取りなど、既に破綻している。
たとえば、これだ。
「――――――!?」
オーガは突然足首ほどまで片足が埋まり、身動きをとれなくなる。鋼が用意した落とし穴だ。
鋼がふざけてステージと称したこの場所は、当然鋼が出来うる下準備を施している。
周辺地理の調査に、落とし穴をはじめとする罠の配置。其処まで誘導するための手順を、いくつかのパターンに分けて考案したり……、といった具合に、ひと月の間に出来ることは、思いつく限りこなしたのだ。
――だが、それらが通用する相手は、ひどく限られている。
落とし穴は、想定以上の早さで突破される。時間的制約であまり深くは掘れなかったのだ。足裏には槍が刺さっていたが、オーガは鬱陶しそうにそれを踏み砕いた。
鋼が隙をみて縄を切ると、オーガめがけて矢が飛んでくる。対魔物用に考案されたという、遠隔作動式のバリスタだ。ここ一月の稼ぎは、ほとんどこれに化けてしまった。――そんな虎の子の武器さえ、わずかに刺さり込んだだけだ。簡単に引き抜かれてしまう。
斧を拾って木を切り倒し、押しつぶす。
縄を引いて足下をすくう。
――そのどれもが、強大な力で強引に突破された。
「……はぁ、はぁ」
疲労だけが蓄積し、生傷だけが増えていく。
時間の感覚が薄れて久しいが、景色は赤く沈み、夜を待つばかりとなっている。
6時間。およそ、それぐらいの時間が過ぎていた。
オーガは、――無傷。
この戦いで、鋼が想定していなかったのは。
――――互助会が、鋼でさえ気づける魔物の誘引という方法を採らないのは。
この世界の常識として、『強大な魔物』に対しては消耗戦を仕掛けるのが定石だと、誰もが理解しているからだ。
◇ ◇ ◇
人間が、魔力を全身に巡らせて強化を施すように、魔物はその身を魔力によって支えている。
極端な話、魔力さえ的確に削る手段があれば、人類はその版図を大きく広げることが出来る。魔核が高値で取り引きされ、研究され続けている理由はこれだという。
もちろん、今を生きる人間がないものねだりを出来るわけもなく、結局は魔物の体を支える魔力を回りくどい方法で削ることとなる。
――魔力とは、精神力と生命力とを融合させたものだ。
その上限は限られ、使い続ければ必ず枯渇する。ましてや、魔物は生きるためのリソースとしてこれを割り当てている。
異常な再生力も、あり得ないような生態も、この魔力によって引き起こされている。
ならば、それらを少しずつでも削り落とせば、自然と魔物の体は脆く、動きは鈍重になっていく。
複数人で取り囲み、攻撃を加え続けて精神的、身体的負荷をかけ続ける。その繰り返し。――魔力は、造れなくなれば、二つの要素が回復するまで減る一方なのだから。
そのため、傭兵や騎士は徒党を組む。魔物と比べると圧倒的に少ない魔力を、人数差によって覆す。そうして人類は、徐々に生活圏を広げてきた。
そうした積み重ねを、鋼は知らない。
ミーシアは、この世界の歴史を教えることはなかった。それは、鋼の世界とこちらの世界で常識が変わらなかったため、最も実践的な生活手段としての武力と、最低限の読み書きを修得することを優先したためだ。魔物の脅威にしたって、前回命を拾ったあの出来事だけで充分だと、ミーシアは考えていた。
剣は曇り、体は無事なところを探す方が難しい。視界が真っ赤なのは、夕焼けのせいだけではない。かろうじて、かち割られるのだけは防いだが、鉄製の額当ては大きく歪んでいた。
「――――――うわぁっ!?」
ぬかるみに足を取られ、驚愕の声をあげて倒れ、それを作ったのが血だと気づいて息をのむ。これだけ血を流したのも初めてで、恐慌を起こしそうになる頭を必死に鎮める。
それらは大きな隙となったが、オーガは動かない。強者の余裕ゆえに――
「――――――――……?」
では、なく。
「……もう、やっと効いたのか」
座り込んだままの鋼は、口の端を大きく歪めていた。
◇ ◇ ◇
立ち上がって一歩。地面を擦るように二歩。
鋼は確実に足を進め、オーガに近づいていく。
何も鋼は、無策で戦いを挑んだわけではない。想定以上の威容に身をすくませ、逃げ出したくなる恐怖と戦いながら、それでも剣を振るい続けた。
鋼の持ち味は、カウンター。それは、幾度となく模擬戦を重ねた末の結論だった。
格上を相手に目を慣らす。攻撃のタイミングを見切り、小さな傷を与えていく。自覚こそ無いものの、鋼のスタミナは魔力の生成効率が上がると共に飛躍的に伸びていた。
余裕こそ無いが、回避と牽制と、仕掛けた罠への誘導。それらが十全に出来れば、勝算は充分だ。
「鎧でも着込んでたら、本当にキズ一つつけられなかったら話は別だったんだけどな」
充分に警戒したまま、オーガの攻撃範囲ギリギリまで近づく。オーガはまだ動かない。動けない。
「マヒュラスの根で作った劇薬――元に戻るまでしばらくかかる」
その効能は強力な麻痺薬としてあらわれる。人間ならそれ単体でも危険であり、幾つかの毒草と併せれば、猛獣でも体の自由が利かなくなる。
鋼はこの毒薬を、使用したすべての武器に塗りつけていた。
落とし穴に仕掛けた槍、バリスタの矢、木を切り倒した後投げつけた斧、――そして、剣。どれも致命傷にはほど遠いが、その皮膚を破り薄いキズをつけることはできた。
そして薬は巡る。魔物の体内を、徐々に体の自由をむしばむ形で。
剣を腰だめに構える。狙いは胸元、魔物にとって二つの急所――心臓と魔核――がひとかたまりになっている場所だ。
「…………」
あとは一足飛びに走り抜け、刺し貫くだけだ。一瞬の間をおいて足に力を込める。
「――っっだぁぁぁあああああ!!」
動きの悪い自身の体を叱咤するため、そして内からわき上がる恐怖を振り払うために、裂帛の声を上げながらの吶喊。わずか二歩でトップスピードに乗った鋼は、魔物を撃ち抜く弾丸となる。
魔物はいっさい反応することは出来なかった。吸い込まれるように剣はその体に突き立った。
――――――――ハズなのに。
ドクン、ドクンと耳障りな拍動。不気味な胎動。
「――なっ……」
突き立てたはずの剣は、皮膚を傷つけるその寸前で静止していた。ちっとも動かない。ニタリと鬼が嗤う。
――魔物には有る程度共通した生態を持つ。
人間を優先して襲いかかること。
魔力の発露に敏感なこと。
――そして、どの魔物も、独自の魔法を行使できる。




