章末節 異界のハガネ
――誰かの声が聞こえる。
「まあ、今回はこんな所だな。これ以上こっちにかまけている暇もない」
聞いたことのない声のハズなのに、何故だろうか。どうにも既視感を感じる。
「これは残骸だ」
声は、こちらを認識しているかのように語りかけた。
「安心しろ、俺はいずれ消える。そしてお前の方に写った力は無くならない。だが覚えておけ」
鋼は、この声を喋らせたままにしてはいけないと考えたが、何も出来ない。
「――今は無事でも、覚悟しろ。いずれお前は、俺が……」
◇ ◇ ◇
「――――――」
鋼は目覚めてすぐ、状況を確認する。どうやらベッドで寝かされているらしく、見慣れない天井が視界を埋め尽くしている。
寝起きの頭はどうにも回転が鈍く、頭痛すら訴えている。たとえば、そう。長い間眠っていたような――
「――そうだ、オーガは!?」
「お前さんが倒したよ」
予想だにしない返答。その声は、聞き慣れたものだ。
「――ウィニーさん」
車椅子に座った男は、鋼が目を覚ましたことを確認すると、ほっとした表情を見せた。次いで、困ったような顔をして、
「俺が駆り立てたのだな?二度と戦えなくなった俺の代わりに」
そう切り出してきた。
ウィニーはあの日、鋼の問いかけに答えた直後に姿を消した意味にすぐ気づいた。
「――思い当たったのは、税金逃れのためにどこぞかにつくられたという抜け穴の存在だ。城壁は堅牢なはずだから、有り得ないと思っていたのだがな」
まさか長年かけて地下から抜け穴を作るとはな、と驚いたことを話す。王都の城壁は地下にも延びており、滅多なことでは壊れないはずだという。
「えっと……それってマズいんじゃ?」
「まぁ、対策はしないといけないな。だが、俺たちの仕事でもないし、最悪、南の貧民街は切り捨てて、新しい城壁でも築くのかもしれん。そこまではわからんな」
やはり、持たざる者は下に見られるようだ。
貴族の横暴がまかり通るというこの世界で、平民の、それも貧しい人間たちとなると命すら軽く扱われるのだ。
「ともあれ、人を呼んで心当たりを探してもらったり、調査隊に伝令を送ってもらったりしてたわけだ。もどかしくて仕方なかったぞ」
ウィニーは心配したことを少し大げさに語ってみせた。それは、少年を危地へと追いやった負い目からであったが、かける言葉は最後まで穏やかな、あるいは憑き物が落ちたような険の取れたものだった。――それは、叱りつけるような役割を負うのは自分ではないと理解していたからでもあったが。
「ねぇ、もういいでしょ?次はボクの番」
言うが早いか、ベッドに飛び乗る矮躯。鋼の脚を自分の体で抑え込むと、――両手を使って頬をつねりあげる。
「――って、イハハハハハハッ!?」
「まさか、君が、こんなに悪い子だったなんて、思ってもみなかった、よっ!」
「ヒハイ、ヒファイ、マッフェみーひは、ハナフィヘ!」
緩急をつけてつねるものだから、いつまで経っても痛みになれない。しばらくそうして折檻を受けた後、ようやくミーシアは解放してくれた。
「うぅ……今回は全面的にこっちが悪いから何も言えないけどさぁ……」
「それがわかってるなら、どうしておとなしく待っててくれなかったのさ!よりによって夜になんか挑んで!」
どうやらミーシアは、発見当初の時間を基準にしているらしい。そこでウィニーが口を挟む。
「恐らくだが、俺を見舞った直後に街を出たんじゃないか?まさか夜まで戦い詰めだったなんてことはあるまいが……」
ありがたい援護射撃だった。少なくとも、常識的に考えれば。
おもわず目をそらした鋼を、二対の視線が襲う。
「――おい、まさか、そんなはずないだろ?」
「ちょっとハガネ、正直に話しなさい。おかーさん怒らないから」
言い逃れは出来そうにない。
◇ ◇ ◇
「――――とりあえず、ハガネは呆れるぐらいにバカだね」
ミーシアは呆れ顔でそうこぼした。
ウィニーは顛末を聞き終えるやいなや、「俺の研鑽って……」と言い残して去っていった。
「バカはヒドいんじゃないかな……」
「バカはバカだよ。体力バカ」
罵る声に力がない。彼女の体は軽く、いつもより頼りなく思えた。
今なら、自分がどれだけ危ない橋を渡ったのか、生きているだけでも奇跡的な状況だということもわかる。充分だと思っていた情報収集は穴だらけで、自分が常識をわきまえない存在だということを忘れ、感情任せに突っ走った結果、危うく命を落とすところだった。
(それだけですむならまだいい。あの紋様に意識を乗っ取られてたら――)
思い返せばまたあの感覚がよみがえってくる気がして、それ以上考えるのをやめる。同時に、胸が締め付けられるような、切なく懐かしい感覚に襲われ、ひどく狼狽する。
「――ハガネ? 大丈夫?」
「? う、うん。大丈夫だよ、ミーシア。それより聞かせてくれるかな? 僕が寝ている間、何が起きたのか」
鋼の要求にミーシアは不服そうだったが、心配しても仕方ないと一つうなずく。
「ボクらがハガネの失踪、というか暴走を知ったのはあの日の昼過ぎだ。すぐに思い当たったのが、魔核を用いた誘引作戦だ」
すぐ近郊が王都という立地故に見送られた作戦だ。そもそもこの方法は不必要に魔物を引き寄せ、大群を相手取らなければならなくなる。討ち漏らせば壊滅的被害は免れない。
「……そんなに大群が押し寄せるの?」
「今回に限れば、その通りではなかったけどね」
彼のオーガは同じ森の中では隔絶していた。あまりの恐ろしさに萎縮して、獲物の方へ向かわずじっとしていたのではないか、という推測らしい。
ともあれ、ミーシア達は鋼を捜索、気が立っていて凶暴さを増した魔物をあしらいながら魔力を感じる方向へすすんでいくと――
「まさか、探し人の方からこっちに飛び込んでくるなんてねぇ」
つまり、気を失う直前に受け止めた人物こそ、ミーシアだったという事のようだ。
「何にせよ、無事だったからいいものの、普通は丸一日も戦うことが出来ないことぐらい自覚してよね」
「そこまで長引くなんて思ってなかったからなぁ……僕もどうして、あんなに戦い続けられたのかさっぱりで」
ただ鋼も、好き好んであんな窮地に陥りたくはない。あの戦いで余りにも血を流しすぎた。最初に感じていた頭痛は治まりつつあるが、今度はふらつくような感覚に襲われる。
「もう休むかい?」
「うん……」
ミーシアに見守られながら、鋼の意識は少しずつ沈んでいく。
「――――侮ってしまってすまなかったね。キミは、強いよ」
彼女の言葉に、ひそかに胸を張りながら。鋼は再び眠り始めた。
◇ ◇ ◇
――それからしばらく経ち。
鋼の手には、真新しいプレートが握られていた。
「あなたは既に功績がございます。大鬼変異種の、単独討伐。その大きな功績を考慮しまして――」
(これは、意外と面倒なことになったかもしれないな……)
それだけのことをしたのだと言われても、どうにも実感が薄い。難敵を倒した興奮は、冷めてしまうとその内容を冷静に見つめ直す事も出来るようになった。
鋼は突然降って湧いた力で無理やり切り抜けたように思えてならなくなった。それはミーシアに指摘された異常性を認めたくないがゆえか、あるいは功績という言葉にいまいち納得できていないからだろうか。
「なるほど、あれが《鬼殺し》の……」
「あのミーシアに鍛えられたんだって……」
「身のこなしは悪くないが……」
「あんな奴に俺らの取り分を……」
周りに目を向けると、さまざまな噂をささやく傭兵たち。概ね歓迎されているようではあるが、中には自らの仕事を盗られたと憤る者もいる。
「――お前が傭兵とはな」
もちろん、この男も。
「ライル」
鋼が名前を呼ぶと、彼の目は細められ、よりいっそう機嫌が悪くなったことを示す。
この場で彼だけは、はっきりと拒絶する態度を見せていた。
「あいつが許可したのか。――ミーシアが、お前を傭兵にすると決めたのか」
ライルは、冷静を装って尋ねる。それは自分の意志とは裏腹に、一言ずつ確認するようなものだった。
「それは違う」
対して、鋼の答えは即答だった。
「これは僕の意志だ。僕が、僕の目的のために戦うと決めた」
その言葉に嘘はなく、瞳はまっすぐにライルのそれを見つめていた。
その態度のすべてが、ライルを苛立たせる。――重なるのだ。かつての自分が。その姿を否定したくて、ライルは口を開く。
「だったら、志半ばで死ぬことも覚悟の上か?そうまでする意味があるんだな」
言ってから、しまったと思う。この時分の男がどう言い返すかなど、相場が決まっている。
「――――――」
だが予想に反して、目の前の少年はなにを言ってるかわからない、といった様子で目を丸くしていた。
いずれくる絶望を知らない瞳だった。憤ることを知らない眦だ。――なにも知らない、無垢な視線だ。
ライルが魅入られている間に、鋼は互助会を後にする。扉を開けて外へでる直前、背後から皮肉げな言葉を投げかけられた。
「――気狂いどもの巣窟へようこそ、地獄へ堕ちる用意はいいか?」
その言葉の意図は、わからなかった。
◇ ◇ ◇
「――あぁ、たぶんそれは、傭兵なりの歓迎の言葉だよ」
ミーシアはいつものように即答した。
「歓迎……?」
「まぁ通過儀礼みたいなものさ。それでビビって逃げ帰るならそれで良し、そうでないなら覚悟せよ――」
鋼にはそれ以上の意味があるように思える。それも、言った本人にしかわからないような、私情がほとんどだろう。どういうわけか、ミーシアとともに敵視されているようだ。
敵視するのがミーシアだけならともかく、一緒に居るだけの鋼にまで敵意を向けるとはどういうことだろうか。ただの悪感情とは違う、複雑な思いすら透けて見えたのだ。
「そんなに気になるなら、調べるかい?ボクはやぶ蛇だと思うけど」
ミーシアの意見ももっともだ。これ以上の干渉がないならそれに越したことはない。
「なら、どうしてミーシアは敵視されているんだろう?何か心当たりない?」
なにもわからないまま、敵意だけ向けられているというのも良くはないだろう。おそらく、敵視される原因は――
「あの戦争で、大切な人が死んだんだろうね。世間的には全部ボクが悪いわけだし」
言葉もなかった。五年――いや、六年たった今でも傷跡を残す戦い。その責任を押し付けた者たちは、今ものうのうと暮らしているのだろう。
「そうかもしれないけど、抗議する訳にはいかないさ。それをしたら最後、何もかもなかったことにされる」
さ、暗い話はお終いとミーシアは無理やり話題を打ち切った。
鋼も下手に追求はしなかった。かわりに、合流してからずっと持ち続けている物について訊ねる。
「――もう少し後で渡すつもりだったんだけどね。はい」
「これは……?」
包み紙――よく見ると書き損じだ――を開くと、黒塗りの長く、大きく曲がった物が現れた。そしてそれは、確かに見覚えがあった。
「世にも珍しい、大鬼変異種の角で作った角杯だ。祝いの品代わりに作って貰ったんだ」
思わず鋼は足を止め、角杯を見つめていた。
「今日はそれで乾杯しようと――どうしたの?ハガネ?」
「いや、何だろう、その、えっと……」
プレゼントなど、いつ以来だろうか。そう考えて、その記憶が一年以上前に遡る事に気づいた。
いつの間にか、鋼は十七才になっていたのだ。一年前の誕生日プレゼントは、愛理からたった。
「本当にどうしたんだい?泣いてる……?」
気づけば、鋼は涙を流していた。
寂しいのとは違う。悲しいというわけではない。だからといって、嬉しいわけでもないのだ。ただ鋼は、静かに涙を流し続けていた。
「ありがとう、ミーシア。……行こう?お祝いなんだよね?」
ミーシアを追い抜かして、走り出した。追いかけてくる彼女を引き離しながら、空を仰げば、浮かぶ大地と月明かり。
(思えば遠くへ来たもんだ)
世界が違うというのに、なぜか鋼は、いずれ愛理とは再会できるという確信があった。
それがどこから湧いてくる感情なのか、彼女を求める感情が何なのか。
少年は未だ知らずにいる。




