第十節 二人の関係
突然削除したので、もしかすると何事かと思った方もいらっしゃるかもしれませんが、お待たせしました。連載を再開します。
シュルリ、と長めに巻かれた包帯を解く。
鋼はそれから、手を握ったり開いたり、固まったように動きの悪い手首を回して、最後にグッと音を立てるほど握りしめた。
「――復活おめでとう、ハガネ」
ちょうどよく入室したミーシアが不敵に笑う。その手にはいつもの旅装が抱えられていた。
「うん、ありがとう」
「一応、最終確認させてもらうけど、まだ続けるんだね?」
あんな目に遭ったというのに。
実際、大鬼に出会って命を拾ったはいいものの、心や体に傷を負って再起不能になる傭兵は多い。
「――――お願いします」
だが、ミーシアが見る限り、その表情に陰りはなく――相変わらずどこか危うげだが――戦意に満ちていた。
「ならば、よし! 昼まで改めて話そうじゃない!」
だからこそミーシアは、彼の非難を省みず、手近な椅子に腰を下ろした。
「なんでそうなるのさ!?」
「いやぁ、この間話し合ってお互いの事情は飲み込んだわけだけどさ」
彼女は遂に持っていた旅装さえ脇において、
「もっとよくハガネについて知りたいんだ。勿論、キミだけでなくキミのいた世界についても」
神妙な顔で切り出したのであった。
◇ ◇ ◇
「世界について?」
そう、とミーシアは頷く。
「それこそ何でもいいんだ。キミがそこでどんな風に生きてきたか、どんなものが好きだったか。取り留めのないことでも良い。
ボクがドゥニアムンドについて教えてきたように、少しずつ」
その目に好奇が写っている様に見えるのは見間違いではないだろう。ミーシアは、恐らく鋼が彼女に向けていた顔とほぼ変わらない表情を向けているのだ。
そして、鋼にはそれが不快なものだとは思えなかった。
「――と言われても、何から話せば良いやら」
「うーん、じゃあアイリちゃんについてとかどうかな」
好奇心に乗せられて踏み込み過ぎだった。
「またデリケートな…… いや、確かに話したこと無かったけど、一番にそれが出てくるのはどうかと」
「おや、まだだめかい? そもそもボクは無理に話してほしいワケじゃないんだけど」
「うーん…… 本当に長い話になるから、全部は無理なんだけど」
そう思うほどに彼女との思い出は多い。
ミーシアは「それでも」と。
「それでも、聞かせてほしいな。キミの大切な人のこと。世界を越えてまで助けに行くほど大切な彼女についてね」
「彼女、て」
愛理は幼なじみだ。それ以上でもそれ以下でもない。ましてや、恋人など――
「おやおや? 真っ赤になってるよぉ?」
「うるさい。とにかくそんなんじゃないから」
「あれ、想像を絶する淡泊ぶり」
実際のところ、ただの幼なじみでしかないのだから仕方がない。
「どうにもほっとけなくて、ちょっとドジなところがあって――一生懸命で泣き虫な女の子だよ。綺麗な髪をしてて、でもそれがあの娘にはコンプレックスになってたみたい」
中学時代、剣道部や茶道部など、武道系というか日本特有の部活に所属していたのはそういう経緯が有ったのだろう。結局、剣道は肌に合わなかったらしく数ヶ月で辞めてしまったが。
「僕らは高校も同じで、一年のクラスも同じだったんだ。あ、学校って言って分かるかな? 今更だけど」
「学院のことかな? 通うのは貴族ぐらいだけど」
鋼の話は、ときおり補足を交えながら進む。
愛理は弓道部に入った。彼女曰わく、部内の女子の中で一番に弓を引くようになり、噂に寄れば半年が経つ頃には男子顔負けの強弓を引いて、易々と的に当てるほどだった。
元々、同世代の女子では体格に大きな差が有った彼女は、人一倍努力する性格でも有った。勘が鈍いということもなく、しかしその一方で繊細で傷つきやすかった様に思える。
「――前にさ、弓道の試合で一位になれなくて、泣いてた事があって」
最初は負けず嫌いな所もあるのか、と意外に思っていたのだが、そうではなく。
遂には院に引きこもりかねないほどふさぎ込み、事情を知った鋼が聞き出したところによると、こうだった。
――――もう、顔向けできないよ――――
「練習場のスペース、て限られてるからさ。当然、選手は優先的に引くことになるんだけど、『そこまでしてもらったのに、優勝できなかったのが申し訳ない』って」
「それは、また……」
ミーシアは微妙に顔をひきつらせながら呻く。
愛理は、臆病だったのだ。今の立場が崩れることをひどく恐れていた。それは、自分が他人と違うことで孤立していたときの名残だったのだろうか。
「なんというか、一度会ってみたいね。そしたら、そんな事どうでも良いって思えるようになるまで一緒に過ごすんだ」
ハガネもそうしたんでしょ、と彼女は問う。
「――うん、そうだね」
あの娘は良くも悪くも目立つ存在だったから。鋼の言葉は、虚空に溶けた。
「最後に聞かせてほしいな。やっぱり可愛い子だったの?」
「うん……」
顔は整っていて、美しい銀の髪をした白皙の少女。
長身で、自信なさげだが、好奇心旺盛な瞳に、今は何を写しているのだろう。
そんな風に彼女の面影を思い浮かべ、多分伝わらないだろうと思いながら口を開く。
「着物の似合う女の子だった」
案の定、ミーシアは首を傾げていた。
◇ ◇ ◇
カッ、カッ、と軽い打ち合いの音が響く。木々のざわめきはその音に負けて、途切れた頃にまた騒ぎ出す。二人の剣舞を、森だけが観客として見守っていた。
「――ガッ!?」
カラン、コロン。
一方が剣を取り落とし、剣舞はあっという間に終わりを告げた。
「まだまだ目に頼るようじゃ甘いよ? 虚を突かれたその時が生死の境だ」
その使い方は有ってるのだろうか。取り留めのない思考がよぎり、すぐに意識は闇に落ちた。
経験を積むために始めたミーシアとの組み手は、数週間の空白を置いてもその厳しさは変わらなかった。
むしろ、彼女が双剣だけでなく、剣と円盾、短槍や戦槌、果ては鉄爪や棒手裏剣といった暗器類まで持ち出してきた分、厄介でより厳しいものとなっていた。その総てを高い技量で使いこなしているのは、さすがというべきか。
「あんなの、どうやって対処すればいいんだよ……」
「それを知るための訓練さ」
そうして存分に転がされた後、その時使った武器の修練に励む。対処法を知るには、直にその特性を知るのが早い、とのことだ。
鋼としては、そこでも問題が発生していた。
近接武器はそれなりに扱えるのだが、飛び道具、特に投擲武器の扱いに苦労しているのだ。
これはもう、いっそ才能がないと言っていい。全身に魔力を漲らせ、幾らかの微調整を加えて投げる。
幾度もそうしているように、小さな針のような暗器は的をかすめるだけだった。
「いっそのこと、投擲は牽制と割り切る方が、キミにとって良いかもしれないね。後一個だけ試すけど」
彼女が持ち出してきたのは、長い筒状で一方が膨らんだものだ。
「これは?」
「吹き矢」
よくもまあ、微妙なものまで用意したものだ。
呆れより先に感嘆の念さえ浮かんでくる。ただし、これはあくまで練習用で、実戦で使うものはまた別だという。
(まだあるのか……)
今度こそ鋼は呆れた。
◇ ◇ ◇
「――案外、えげつない武器が得意なんだね」
狙いの付け方と射出のコツ。それだけ教わると、その上達は随分と早かった。その様子に今度はミーシアが呆れ顔だ。
「吹き矢なんて実戦では大きすぎて使えないよ。実際には、これを使うんだ」
彼女が取り出したのは、長さにして3センチほどの、極端に短く細い管だった。
それを咥えると一息に息を吹き込む。予想通り、小さな針が飛び出して的の中心を射抜いた。
「ふくみ針、というものさ。まあ、目潰しぐらいにしかならないけど、悪くないだろう?」
「……この世界ではどうか知らないけど、元の世界だと失伝したか口伝で伝えられてるって聞いたこと有るんだけど」
現代社会だとまず使えない技術であり、修得難易度の割に効果が低いことも失伝の理由だろう。早い話、無駄な芸当である。
「まあ、大丈夫。最終的にはこれに毒塗って吹くから」
「恐っ!」
一気に物騒な話になった。
「たとえば、マヒュラスという毒草があってさ、こいつは劇薬だけど傷口から直接取り込まないと効果がないから、使いやすいんだ」
「そんなこと言われても……」
隠し武器としては優秀かもしれないが、覚えるのに抵抗が有った。物凄く。
「今更だよ? 砂とか石とか使って相手を追い込んで、自分の有利になるようにして仕留めろって話だから。これはその延長」
行儀が悪いのは否定しないけど。
その感覚はともかく、卑怯な行いであるのは否定しないらしい。そして組み手でそういった搦め手や裏技、邪道の技が増えているのも事実だ。遠慮が無くなった、とも言える。
「それにしても、吹き矢の上達は本当に見事だったよ! 最初の数本以外はほとんど的に当たっているんだもの」
「ちょっとコツを思い出して、さ」
愛理は弓道の話題をよく鋼に話していた。
弓矢に限らず、飛び道具というものは周囲の環境に気を使って狙いを調整するなどしなければならない。彼女がその話をしていたのは、確か冬の頃だったように思う。
当然のことだけど、と前置きしてから、
「距離が遠くなると、その分狙いを上げないといけないの。丁度、重力に逆らう感じで、離れの形も馬手を下に叩きつける感じになるんだよ」
珍しく興奮して、説明もなしに専門用語を使っていることさえ気づかない。そんな様子が珍しく、ついまじまじと見つめてしまったのだ。
視線に気づいた彼女は、慌てて下を向いた。はしたない真似をした、とでも言いたげな様子だった。
そのあと、自分はどうしたのだろうか。自分の行動だけが、あまりに印象が薄い。
なら、普段通りに接したのだろう、と思い直した。きっと苦笑しながら、彼女のきれいな髪に、頭に手をやって、話の説明を求めたのだ。
「……弓道の、遠的の話。普段は近的って言って、的との距離が近いの」
それでも28メートルはあったはずだ。遠的はその二倍以上――60メートルもの距離があるという。
要するに、彼女の話は遠征に行って初めて遠的の練習をした、その感想を聞いてほしかったのだった。
たったそれだけの出来事を話すのに、愛理はずいぶんと時間をかけてしまう。それはこの時のように必要な説明をつい飛ばしてしまったり、そもそも話し出すのに時間がかかったり、原因はさまざまだったが、鋼は不思議とそのやり取りが好きだった。
「――と、まあこんな感じで、ほかにも狙いを合わせるときにどんなことに気をつければいいかとか、よく話してくれてたんだ」
「その説明に今の砂糖吐きそうな甘ったるいやり取り必要かなぁ!」
ミーシアはいつになく大きな声で突っ込んだ。
「え、なんで? むしろなんでそんな青春してるのに付き合ってないの!? 脈ありだよ脈あり!! どっちかが勇気出せばゴールだよ!!」
「茶化さないでよ! 愛理にとって話しやすい相手が僕で、それがたまたま異性だった、というだけじゃないか」
「そこでなんで彼女が自分のことが好きなのかも、ってならないの!?」
そんな勘違い、彼女に対しても失礼じゃないか。そんな鋼の反論は封殺された。
寝床を作るのも忘れて森の中。二人の騒ぎは、夜の帳が落ちて星明かりに照らされるまで続いた。




