第2章 5話
◇
煙草は嫌いだった。
喉は焼けるし、臭いも嫌いだ。
それでもやめられない。
薄暗い部屋の窓辺で煙を吐く。
夜の街は、笑い声と酒の匂い、男たちの怒鳴り声で騒がしい。
もう慣れた。
この世界に連れてこられて、もう三年は経つ。
十七だった自分は、二十になった。
……なってしまった。
鏡に映るのは、痩せた顔と荒れた肌、隈の浮いた目。
昔はもっと健康的だった気がする。
部活で走り回り、後輩に慕われ、馬鹿みたいに笑っていた。
「帰りたいなぁ……」
ぽつりと漏れる。
今更だ。
帰れるわけがない。
神が助けてくれないことくらい、もう知っている。
あの林檎をくれた奴も、結局は何もしてくれなかった。
煙草を揉み消した時、下の階から婆さんの声が響く。
「キョウ! 客人だよ!」
「お前を引き取りたいってさ!」
思わず眉をひそめる。
引き取り。
つまり、買われるということだ。
どうせどこかの貴族か成金だろう。
それでも、今よりマシかもしれない。
そう思ってしまう程度には疲れていた。
「はいはい」
気怠げに返事をし、階段を下りる。
客間の扉を開いた瞬間、身体が固まった。
そこにいたのは、日本人にしか見えない少女だった。
綺麗な服に、少し不安そうな顔。
胸にはぬいぐるみを抱えている。
「……は?」
思わず声が漏れた。
こちらに気付いた少女が立ち上がり、近寄ってくる。
「あ、あなたがキョウさんですか?」
「……そうだけど」
なんだこいつ。
「その顔、日本人?」
「はい。一か月くらい前にこの世界に来て……」
一か月。
その言葉だけで、胸が少しざわつく。
綺麗な服を着て、肌も髪も荒れていない。
目の前の少女は、絶望しているようには見えなかった。
その時、抱きかかえられていたぬいぐるみが動く。
『キョウさん』
視線を胸元へ落とす。
赤い瞳をしたぬいぐるみから、声が聞こえてくる。
『遅くなってしまい申し訳ありません』
『あなたを救いに来ました』
(こいつ、今なんて言いやがった)
「……は?」
低い声が出る。
「今更何言ってんの?」
少女が息を呑むのがわかる。
ぬいぐるみは、それでも言葉を続ける。
『今この世界では――』
「そんなこと聞いてねぇんだよ」
吐き捨てるように遮った。
「三年だぞ」
自然と声が震える。
怒りなのか、疲労なのか、自分でも分からない。
「どこにいたんだよ」
ぬいぐるみは黙った。
「助ける? 救う? 今更?」
乾いた笑いが漏れる。
「こっちはなぁ……!」
そのまま怒鳴りそうになった時、少女が割って入ってきた。
「あ、あの一旦落ち着いて話を」
「お前に何がわかんだよ」
鋭い声に、少女は息を詰まらせる。
「たった一か月だろ。綺麗な服着て、まともに飯食って」
言葉を失っていた。
それでも、腕の中のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて口を開く。
「ミーナ様を責めないでください」
「私も、怖かったです」
声が震えていた。
「毎日帰りたくて、泣いてました」
「……」
「でも、ミーナ様が来てくれたから、今ここにいます」
顔を上げる。
「だから、責めないでください」
その瞬間、廊下の向こうから荒い足音が近づいてきた。
バンッ!!
客間の扉が勢いよく開く。
「喧嘩なら外でやりな!!」
婆さんだった。
怒鳴り声に、二人とも一瞬で黙る。
重かった空気が一気に崩れた。
深く息を吐く。
「……わかったよ」
「引き取ってくれるんでしょ。荷物持ってくる」
そう言って客間を出た。
◇
店の外で待っていると、キョウさんが小さな荷物を抱えて出てきた。
後ろにはお婆さんもいる。
「ここ離れられると思うとせいせいするよ」
そう言って、キョウさんは口元だけで笑った。
「こんな所で悪かったね」
キョウさんは何か言いたげな素振りをしてから、少しだけ顔を逸らした。
「まあ……でも」
「こんな得体の知れない奴拾ってくれたことは感謝してる」
お婆さんは目を丸くする。
「達者でな」
「あんたもな」
それだけ言うと振り返らず、軽く手を上げて歩き出す。
私も小さく頭を下げた。
さっきまで怖い人だと思っていたけれど、お婆さんへ向けた横顔は少しだけ違って見えた。
店を離れてしばらくすると、ぼそりと聞かれる。
「名前……なんて言うの?」
「サチです」
『ミーナです』
「……とりあえず服と飯どうにかして」
「はい!」
◇
まずキョウさんの服を買い、そのまま食事のできる店へ入った。
テーブルの上にはミーナ様が座っている。
皿の中身が半分ほど減った頃、ふと尋ねられた。
「で、これからどうするの?」
二人の視線が、テーブルの上へ向かう。
ミーナ様が少し表情を引き締める。
『ここから離れた場所に、王都があります』
『この世界で、一番大きな都です』
「王都?」
『はい』
『そこにいるはずなんです』
『最初に呼ばれた転生者が』




