第2章 1話
◇
納屋の小さな窓から、月明かりが差し込んでいる。
敷かれた藁の上で、少女は小さく身を丸めて眠っていた。
泣き疲れたのだろう。
けれど、その寝顔にはどこか安堵が浮かんでいる。
傍らでは、金属製の小さな女神像が淡く光っていた。
『……眠りましたね』
神殿からその光景を見守る。
『あなたを助けに来たの』
あの言葉を口にした瞬間の少女の顔が、頭から離れない。
極限まで張り詰めていた糸が、ようやく切れたような顔だった。
『……絶対に、幸せにしますから』
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
◇
翌朝、ぼんやりした頭で目を覚ます。
見慣れない木の天井と、敷かれた藁。
昨日までと同じ景色。
一瞬、昨夜のことは夢だったのだと思う。
『あなたを助けに来たの』
『絶対に幸せにします』
全部、孤独が見せた都合の良い夢だったのだと。
『おはようございます、サチ!』
頭の中に響く元気な声に思わず飛び起きる。
「うわっ!?」
胸元のネックレスが淡く光っている。
小さな女神像から声が聞こえてくる。
「きゅ、急に話しかけないでください!」
『すみません』
「それに……どうして私の名前を?」
『簡単な手助けしかできませんでしたが、ずっと見守っていましたので』
「そうですか」
『初めてこうして会話ができます』
声だけなのに、嬉しそうなのが伝わってくる。
夢ではなかった。
自分を助けると言った女神は、本当にいた。
「……ミーナ様」
『はい』
「私……帰れるんですか」
返事は、すぐには来なかった。
『……今は、まだ無理です』
そんな簡単な話ではないことくらい、何となく分かっていた。
けれど、“助ける”という言葉に期待してしまった。
『ですが!』
俯いた途端、慌てた声が飛んでくる。
『必ず帰します』
その言葉には妙な熱量があった。
希望はあるらしい。
「……どうやって?」
『信仰を集めます』
「しんこう?」
『はい。神は信仰によって権限を得るんです』
そのまま説明が続く。
『今こうしてお話できるのも、この世界を管理していた神が留守にしているからなんです』
『その間、私が留守を任されたのですが、使える管理権限はまだほんの一部で』
「……えっと」
『つまり』
『この世界の人たちに私を信仰してもらえば、管理権限が増えます』
「は、はぁ……」
『そして魂へ干渉できる権限を得れば、サチを元の世界へ戻せます』
情報量が多すぎる。
それでも、“帰す方法を考えてくれている”ことだけは分かった。
「……ちなみに、どれくらいかかるんですか」
『二十年くらいでしょうか』
「そっ、そんなに」
思わず素で返してしまう。
『えっ、そんなに長いですか?』
「長いですよ」
二十年。
自分が生きてきた時間よりも長い。
『だ、大丈夫です。できるだけ早く帰せるよう、頑張ります』
「本当ですか……?」
『はい。必ず』
力強い返事だった。
不安はある。
それでも、昨日まで一人だった時よりは遥かにマシだった。
『……あ』
何かを思いついたような声が上がる。
『まずは身だしなみと食事ですね』
「え?」
『旅をするなら必要です』
「いや、それはそうですけど……お金ないですよ」
『なるほどです』
その直後、ゴゴゴ、と地面が揺れた。
「ひゃっ!?」
地面から、透き通るような青い鉱石の塊が突き出し、朝日を受けて輝いている。
宝石の原石だった。
『これを売れば解決ですね』
声は誇らしげだ。
開いた口が塞がらない。
納屋の地面を突き破っている。
持ち主に怒られる未来しか見えない。
『サチ?』
「神様ってもっとこう……慎重に奇跡とか使わないんですか?」
『かなり力は抑えましたよ』
むしろ不思議そうな返事だった。
今度こそ頭を抱えた。
◇
集落の買取商へ入ると、店主は雑な挨拶を返すだけで、椅子から立とうともしなかった。
「買い取ってほしいものがあるんです」
「ああ、そこに出しな」
面倒そうに返していた店主だったが、布を開いて青い原石が姿を見せた瞬間、椅子を蹴るように立ち上がる。
「……ど、どこでこれを」
「えっと、ひ、拾いました」
「拾える代物じゃねぇよ!」
原石へ顔を近づける。
「嬢ちゃん、ここじゃ買い取れねえよ。この店が潰れちまう」
「お金が必要で、払える分だけで大丈夫です」
「そう言われても……」
結局、店主が用意できるだけの金を受け取り、原石を置いて店を出た。
扉を閉める直前。
「……これ、どうすりゃいいんだ」
背後から途方に暮れた声が聞こえた。
◇
鏡の前で「かわいい……」と呟く。
自分の見た目を気にするのは久しぶりだった。
この世界に来てからは、生きることしか考えていなかった。
髪は乱れ、服は汚れ、肌も荒れていた。
けれど今、鏡の中には身だしなみの整った自分が映っている。
白いワンピースに、動きやすいブーツと小さな髪飾り。
『似合ってますよ』
嬉しそうな声が聞こえる。
「……ミーナ様、こういうの好きなんですか?」
『好きですよ。私も白いワンピースを着ています』
「ミーナ様の姿、見たことないです」
『そうでした。私の姿を映しますね』
すると、目の前の鏡が歪んだ。
そこには自分ではなく、緑がかった金髪で白いワンピースを着た少女が映っている。
『見えてますか』
鏡の中で手を振る幼い女神様に、思わず笑みがこぼれる。
「はい。見えてます」
ふとネックレスに視線が向く。
金属製の小さな女神像。
思えば、この数日、毎晩これに向かって話しかけていた。
「帰りたい」
「怖い」
「助けて」
返事が来るはずもないと思いながら。
それでも今は違う。
一人じゃない。
そう思えた。
◇
食堂には焼いた肉の匂いが満ちていた。
スープを飲みながら、ようやく一息つく。
温かい。
ただそれだけで泣きそうになる。
向かいの席には誰もいない。
それでも、ネックレスから声が聞こえてくる。
『サチ、お願いがあるのですが』
「はい」
『助けに行きたい人がいます』
声色が少しだけ変わり、どこか悔しそうに聞こえた。
「その人も召喚された人ですか?」
『はい』
「今は?」
『……会えば分かると思います』
その返事だけで、良い話ではないことは何となく分かった。
『なので今度は絶対に助けます』
その声には決意があった。
ネックレスをそっと握る。
「……はい。助けに行きましょう」




