第3章 5話
◇
あの日から、行動原理はただ一つになった。
復讐。
セシリアを奪った白竜。
そして、その背後にいる女神を殺す。
ただ、それだけだった。
◇
空を覆うほど巨大な翼。
純白の鱗に、紫の鬣。
居場所を突き止めた白竜へ向かって地面を蹴る。
転生によって与えられた異常な身体能力で、常人なら視認すらできない速度まで加速し、刀を振るった。
刃は白い鱗に簡単に弾かれる。
次の瞬間、白竜の爪が振るわれ、身体はたやすく引き裂かれた。
◇
血だまりの中で目を覚ます。
裂けた肉体は、すでに再生を始めていた。
「……っ、はは」
乾いた笑いが漏れる。
痛みは消えない。
死の恐怖も消えない。
なのに、死ねない。
それがどれだけ狂ったことなのか、嫌というほど理解していた。
◇
挑む。
殺される。
鍛える。
また挑む。
また殺される。
終わりのない繰り返しの中で、年月だけが積み重なっていった。
◇
「……悪い、ユウキ」
タクミは悔しそうに壊れた刀を見つめていた。
「今の俺の武器じゃ、あいつには届かねぇ」
「だから作る。神だろうが白竜だろうが斬れるやつを」
「……待っててくれ」
「……ああ」
◇
やがて、シンジも去った。
「このまま同じことを繰り返しても、結果は変わりません」
何も返せずにいると、そのまま言葉を続ける。
「この世界について調べてみます。何か記録が残っているかもしれません」
「だから、それまでは……どうか自分の命を大切にしてください」
だが、その頃には“生きること”そのものが呪いでしかなかった。
◇
最後まで残ったのはイヨリだった。
彼女も、もう限界だった。
「ユウキくん……」
震える声に、泣きそうな顔。
「私、もう……ついていけない」
俯いたまま言葉を続ける。
「ユウキくんが死ぬのを見るのも……私が死ぬのも」
「何度繰り返しても、怖いの」
「……ごめんね」
誰も、俺を責めなかった。
それでも、あの女神に届かなかったのは俺だ。
なのに諦めることもできず、その結果みんなを巻き込んだ。
気づけば、隣には誰もいなくなっていた。
◇
それからも挑み続けた。
無理だと心のどこかで分かっていても、立ち止まることはなかった。
そんなことを繰り返していたある夜、空の景色が歪んだ。
星々の向こうに、さらに夜空があるように見える。
違う。
カーラの巨大な瞳だった。
『いい加減、諦めたら?』
声が頭に直接響く。
膝から力が抜けた。
『その力、誰にもらったと思ってるの?』
巨大な瞳が、わずかに細められる。
『私があげた力で、私に敵うわけないじゃない』
戦うとか。
勝つとか。
そんな土俵にすら立てていなかった。
あぁ。
そうか。
こいつにとって人間は、本当に玩具なんだ。
『納得してくれた?』
駄々をこねる子供をあやすような、ひどく軽い声だった。
『じゃあ、後はよろしく』
背後から複数の足音が聞こえる。
気づけば王都の兵士たちに囲まれ、その後ろには王の姿もあった。
「……お前らも、グルかよ」
誰も答えない。
抵抗しなかった。
いや、もう抵抗する気力が残っていなかった。
◇
地下牢が、新しい居場所になった。
どれほど時間が経ったのか。
ある日、鉄扉が開いた。
「……イヨリ?」
入ってきた人物を見て、目を見開く。
だが、違う。
成長した姿に、紫の瞳。
頭上には光輪が浮かんでいる。
そこにいたのは、イヨリの姿をしたカーラだった。
『あー……その子、そんな名前だったっけ?』
軽い口調。
それだけで吐き気がした。
楽しそうに話し始める。
『この子、“なんでもするから解放してください”って泣きながら頼み込んできてね』
イヨリの髪を指先で弄ぶ。
『だから依り代にしてあげたの。私が世界に顕現するための器として』
怒りで全身が震える。
「返せ……」
『ん?』
「イヨリを返せっ!!」
鎖が激しく鳴る。
そんな姿を見て、カーラが笑った。
『体は少し成長させたわ。その方が使いやすいし』
そこで初めて、その表情が変わる。
『……この子、あなたのこと好きだったみたいね』
(何言ってるんだ、こいつ)
『だから少しぐらい、ご褒美あげてもいいかなって』
イヨリの顔で。
イヨリの声で。
ゆっくり近づいてくる。
反射的に顔を背けた。
「やめろ……」
「その顔で喋るな……!」
地下牢に笑い声が響く。
『ほんと、いい顔するようになったわね』
やがて興味を失ったように踵を返し、そのまま去っていった。
残されたのは、静寂だけだった。
◇
その後、災害が起こるたびに地下から解放されるようになった。
魔物の群れ、炎上する村、崩壊する街。
分かっていた。
これもカーラの自作自演だ。
恐怖を撒き、救済を演じて信仰を集める。
それが、この世界の仕組み。
ならば見捨てればいい。
最初はそう思った。
けれど、崩れた家の前で泣く子供を見た。
助けを求める声を聞いた。
彼らは女神の事情なんて知らない。
昨日まで普通に生きていただけだ。
刀を握る。
何のために戦う?
脳裏に浮かんだのは、セシリアの笑顔だった。
「誰かを助けられる人って、かっこいいと思う」
昔、そう言って笑っていた。
彼女の笑顔と、幸せだった頃の記憶だけが、かろうじて正義感をつなぎとめていた。
「……っ」
迷いは消えた。
「ここからは……誰も殺させねぇよ」
◇
災害があれば戦い、終われば拘束される。
それだけを繰り返す日々。
ある日、一体の魔物が近づいてきた。
敵意は感じない。
ただ、こちらをじっと見つめている。
だが、魔物であることに変わりはない。
刀を振るう。
刃が魔物を捉えた瞬間。
(ユウキ……)
セシリアの声がした気がした。
『斬っちゃうんだ』
背後から声がする。
振り返ると、兵士の身体に憑依したカーラが立っていた。
楽しそうに笑っている。
『その魔物にね、あなたの奥さんの魂を入れてたの』
頭が真っ白になる。
『意外と魂だけでも記憶って残るものなのね』
心底面白そうに笑う。
『楽しんでくれた?』
怒りのまま刀を振るった。
刃は指先一つで止められる。
次の瞬間、身体が地面へ叩きつけられた。
「くそが! なにがそんなに面白いんだよ!」
返事はない。
ただ、楽しそうに目を細めている。
『じゃ、引き続き世界救済よろしくね』
兵士の身体から女神の気配が消え、静寂の中には憑依されていた兵士の死体だけが残された。
◇
それ以降、刀を振るう手が鈍るようになった。
魔物を斬るたび、中に誰かがいるかもしれないと思ってしまう。
その一瞬の迷いで被害が増え、救えなかった人々の遺族から石を投げられた。
「なんで助けてくれなかった!」
「勇者なんだろ!」
罵声。
怒号。
憎悪。
反論はしなかった。
もう、どうでもよかった。
心はとっくに限界だった。
そして今日も、地下牢の暗闇で力なく項垂れる。
「あぁ……」
掠れた声が漏れた。
「やっぱり神様なんて……いやしない」




