第3章 4話
◇
神様なんて、創作物の中だけの存在だと思っていた。
そんなものが本当にいるなんて、考えたこともなかった。
――自分の身に、あんなことが起きるまでは。
◇
目を覚ますと、そこは見覚えのない神殿だった。
白い石造りの空間は静かで、どこか冷たい。
大学の講義室にいたはずなのに、なぜこんな場所にいるのか理解できない。
ふと、奥から声がした。
「起きた?」
声の方へ視線を向ける。
そこには黒紫の髪を揺らし、六枚の黒翼を持つ女がいた。
星空を思わせるドレス。
そして、人間とは決定的に違う、夜空を閉じ込めたような瞳。
美しい。
けれど、それ以上に恐ろしさを感じた。
「私は女神カーラ。おめでとう。あなたはこの世界で最初の転生者に選ばれたわ」
異世界転生。
流行りのアニメで聞いたことがある言葉だった。
だが、実際に自分の身に起きると、胸に浮かんだのは高揚ではなく不安だった。
「元の世界の俺は……どうなってるんですか」
自然と敬語になっていた。
目の前の女神は、安心させるような笑みを浮かべる。
「死んでないわよ。召喚しただけ」
「じゃあ、帰れるんですか」
「帰れる帰れる。ちゃんと元の時間に戻してあげるから安心して」
その言葉に、大きく息を吐いた。
両親や友人たちの顔が脳裏をよぎる。
迷惑をかけていないのなら、それでいい。
「それで、俺は何をすれば?」
「勇者として世界を救ってほしいの。転生特典も色々つけておいたから頑張ってね」
まるでゲームのチュートリアルみたいな口調だった。
けれど、その時は特典について深く考えなかった。
「わかりました。女神様」
◇
男の姿が消えたあと、誰もいなくなった神殿でカーラはくすりと笑った。
「別世界の人間って、ほんと面倒なこと聞いてくるのね」
元の世界がどうなっているかなんて、自分でも知らない。
「まあ、ああやって甘いこと言っとけば、いい暇つぶしにはなるでしょ」
帰すつもりも、今のところはなかった。
「まぁ、飽きるまでは遊ばせてもらおうかしら」
◇
次に目を開けた時、広大な草原の中に立っていた。
「うお……」
風が吹き、遠くには巨大な都市が見える。
ゲームみたいな景色だった。
「マジで異世界か……」
笑いが漏れる。
大学で使っていた鞄は、そのまま足元にあった。
中には教材と筆記用具、それに見覚えのない硬貨袋と小さな女神像。
「至れり尽くせりって感じだな……」
不安がないわけではない。
けれど、それ以上に知らない世界への高揚が勝っていた。
「……よし」
都市へ向かって歩き出す。
「まずは冒険者になるのがセオリーってやつか!」
自然と声が弾んだ。
知らない世界と景色に、怖さよりワクワクが勝っていた。
◇
武器屋で、日本刀に似た剣を見つけた。
「兄ちゃん、それ珍しいぞ。東の島国の武器でな」
「へぇ」
「使い手いなくて売れ残ってんだけどな!」
そんな軽口を聞きながら刀を手に取ると、妙な縁を感じた。
「これください」
「毎度あり」
その後、防具も揃え、冒険者ギルドへ向かった。
◇
「登録完了です!」
驚くほど簡単に登録が終わった。
身分確認もほぼなく、かなり緩い。
(こんなんで大丈夫か……?)
そう思っていると、受付嬢に呼び止められた。
「あの」
「本日登録された新人さんがもう一人いまして。よければ一緒に活動してみませんか?」
この世界の知識ゼロな俺にとって、断る理由はなかった。
「ぜひお願いします」
「では、お呼びしますね」
しばらくして、受付嬢が誰かを連れて戻ってきた。
「こちらセシリアさんです」
金髪を後ろで束ね、簡素な装備に身を包んだ青い瞳の女性だった。
いかにも駆け出し冒険者といった姿だった。
「セシリアよ。よろしく」
「ユウキだ。よろしく頼む」
じっとこちらを見てくる。
「あなた、珍しい髪色してるわね」
「あー……ちょっと遠くから来たんだ」
「ふーん?」
それが、セシリアとの出会いだった。
◇
彼女はよく喋る人だった。
「それ毒草!」
「え?」
「食べようとしないで!」
とか。
「貴族には不用意に近づかない!」
「なんで?」
「不敬罪になるでしょ!」
とか。
「その値段ぼったくられてるってば!」
とか。
馴染みのない世界で俺は、何度も彼女に助けられた。
とある日、焚火の前でセシリアが話し始めた。
「私ね、田舎から出てきたの」
「冒険者になって、有名になって、それで――」
「それで?」
「歌で食べていくの」
そう言って歌い始める。
静かな夜だった。
星空の下で聞いたその歌声を、今でも忘れられない。
綺麗な横顔を眺めながら思った。
(ああ、この世界、結構好きかもしれない)
◇
女神の言っていた“特典”は、すぐに理解した。
身体能力、魔力、回復力。
どれも、この世界の人とは明らかに違っていた。
魔物は簡単に倒せて、傷もすぐに治る。
気づけば名が広まり、王都から依頼が届いた。
魔王討伐。
それこそが、自分に与えられた使命なのだと思った。
◇
旅の途中で、他の転生者とも出会った。
「うぅ……帰りたい……」
最初に出会ったのは、イヨリ。
泣き虫で、いつも不安そうだった。
中学生で、知らない世界に突然放り込まれたのだから当然だった。
「大丈夫だから」
セシリアが優しく頭を撫でる。
「私たちがいるでしょ?」
「そうですよ。ちゃんと帰れます。全員」
そう言ってイヨリをなだめたのが、シンジだった。
三十歳で、元の世界では中学教師だったらしい。
面倒見がよく、出会った時からみんなに先生と呼ばれていた。
「先生、それ死亡フラグっぽいですって」
横から茶化したのはタクミ。
俺と同世代ですぐに気が合い、武器や道具を作るのが得意だった。
旅の途中から使っていた刀も、タクミが作ってくれたものだ。
「教師は生徒を家に帰すまでが仕事なので」
真顔で返され、みんなで笑った。
五人で旅する時間は楽しかった。
「世界救うとかマジ主人公じゃん!」
「いや先生いる時点で雰囲気出ないだろ」
「遊びじゃないんですよ」
先生が呆れたように返す。
「イヨリちゃんまた泣いてる!」
「うぅぅ……」
焚火を囲みながら笑い合う。
帰ったら何をするか、誰に会いたいか。
そんな話を何度もした。
みんな、本気で帰れると思っていた。
あの頃は、まだ。
◇
それから数年後。
魔王を討伐し、世界は救われた。
そして、俺はセシリアと結婚した。
家を持ち、穏やかな日々を送る。
彼女の作る料理や歌声、くだらない会話。
「ねえ、子供の名前どうする?」
「気が早くないか?」
「もう考えてるの!」
幸せだった。
本当に。
きっかけは、何気ない一言だった。
「ユウキって、全然変わらないね」
「……え?」
楽しそうに笑っている。
「初めて会った頃と同じ顔してる」
「そうか?」
笑って返そうとして、言葉が止まった。
そうだ。
イヨリも、シンジも、タクミも。
誰も歳を取っていない。
「……嘘だろ」
セシリアが何か言っていたが、耳に入らなかった。
考えるより先に立ち上がり、荷物の中を漁る。
あの日から持ち続けていた女神像を掴み、強く握り締めた。
「……俺たちは歳を取ってない。どういうことだ」
しばらくして、女神の声が響いた。
『転生特典いろいろ付けといたって言ったじゃない』
声は笑っていた。
『その中に不老不死が入ってただけよ』
「……は?」
頭が真っ白になる。
「じゃあ……俺は」
声が震える。
「セシリアも、いつか生まれる子供も老いていくのを」
「俺だけ変わらず見てろっていうのか……?」
「頼む」
必死に言葉を絞り出す。
「魔王は倒した。世界も救った」
「だからもう、特典なんていらない」
「不老不死を消してくれ」
だが、返ってきたのは楽しそうな声だった。
『良い顔するようになったじゃない』
「……っ」
『最近ずっと幸せそうだったから、退屈だったのよね』
背筋に冷たいものが走る。
『だからちょっと壊してみようかなって』
その瞬間、空を裂くような咆哮が響いた。
セシリアが窓の外へ目を向ける。
「……綺麗」
空には巨大な白竜がいた。
神聖な純白の身体に、紫の鬣。
世界そのものみたいな存在感だった。
白竜が口を開くと、空が歪んで見える。
「――――」
次の瞬間、光がすべてを包み、空が消えた。
◇
目を開けると、そこは瓦礫の山だった。
「……ここ、は」
起き上がり、傷一つない身体を見て理解する。
「……不老不死って、こういうことかよ」
乾いた笑いが漏れる。
振り返ると、そこには巨大なクレーターがあった。
家も、街も、跡形もない。
全部、消えていた。
「……ぁ」
喉が震える。
「……あああああああああああああああああああッ!!」
声が枯れるほど叫んだ。
怒りも、絶望も、喪失も。
全部を吐き出すみたいに。
◇
神殿では、カーラがその姿を楽しそうに眺めていた。
「やっぱり」
嬉しそうに笑う。
「その顔の方が、好きだわ」




