第3章 3話
◇
丘の上へ続く緩やかな坂を登っていく。
頂上へ差しかかったところで、足が止まった。
「……あ」
丘の向こう、遥か先に巨大な都市が広がっていた。
白い石壁に囲まれ、その内側には幾重にも街並みが重なっている。
中央にそびえるのは巨大な城。
遠くに広がる王都は、まるで物語の挿絵のようだった。
「……あれが王都、大きいですね」
「……同じ世界とは思えないね」
隣ではキョウさんも目を細めている。
これまで旅してきた街や村とは、何もかもが違って見えた。
腕の中から声がする。
『もうすぐ到着ですね。それでは行きましょうか』
◇
王都の門前は、多くの旅人や商人で賑わっていた。
簡単な確認を受けただけで、すぐに中へ通される。
石畳に整備された水路、立ち並ぶ店と道行く人々。
「すごい……」
どこを見ても、これまでの街とは違う。
隣ではキョウさんも辺りを見回していた。
やがて、その視線が街並みの向こうにそびえる城へ向く。
「その最初の転生者ってどこにいるわけ?」
『城の地下に幽閉されているはずです』
「……は?」
『ですので、さっそく王様に会いに行きましょう』
「ちょっと待って! そんな簡単に会えるものなの!?」
『この国は代々カーラ様と交流がありますから。女神だと伝えれば大丈夫ですよ』
迷いのない声だった。
キョウさんと顔を見合わせる。
(本当に大丈夫なのかな……)
『それで、王様にお会いする前にサチに一つお願いがあるのですが』
「なんですか?」
『少し身体を借りさせてくれませんか?』
「えっ?」
『この姿では、王様も困ってしまうと思うので』
「身体を……ですか?」
『はい。少しの間だけ』
「……分かりました」
腕の中のぬいぐるみをキョウさんへ差し出す。
「お願いします」
「はいはい」
その腕へ移ったミーナ様と目が合う。
次の瞬間、身体の奥へ柔らかな何かが流れ込んできた。
自分の手が、意思とは関係なくゆっくりと持ち上がる。
(……変な感じ)
『それでは、行きましょうか』
自分の口から、ミーナ様の声がした。
◇
王城の最奥。
豪奢な装飾が施された執務室で、現国王は深く眉を寄せていた。
女神からの神託が、長らく届いていない。
こんなことは、これまで一度もなかった。
あの女神は退屈を嫌い、災害を起こす時でさえ必ず事前に伝達を寄越していた。
災害のたびに逃れてきた民を受け入れ、女神へ祈り、奇跡に救いを求めるよう導いてきた。
そうやって、この国は“女神の機嫌を損ねないこと”で生き延びてきた。
もし何か気に障ることをしていたなら。
伝承に語られる白竜が、この王都を焼き払う日も近いのかもしれない。
そこへ、兵士が駆け込んできた。
「陛下! 女神を名乗る少女が……!」
喉が鳴った。
ついに来たのだ、と。
◇
客間の扉を開き、息を呑んだ。
そこにいたのは、転生者に多い顔立ちをした二人の若い女性。
しかし一人の頭上には淡い光輪が浮かんでいる。
その透き通った赤い瞳を見た瞬間、理解してしまった。
――人ではない。
『初めまして』
少女は柔らかく微笑んだ。
『女神カーラの代理として、現在この世界の管理を担当しております。ミーナと申します』
幼い容姿に、丁寧な口調。
それとは裏腹に、カーラ様と同様、目を逸らすことのできない存在感があった。
無意識に膝を折りかけ、どうにか踏みとどまる。
『どうぞ座ってください。それからお話をしましょう』
促されるまま席へ着く。
目の前の女神から、現在の世界について説明が始まった。
カーラは長期不在。
その間、このミーナという女神が代理として管理を担っているらしい。
話を聞くうち、少しずつ肩の力が抜けていく。
少なくとも、何か罰を与えに来たわけではない。
目の前の女神は、“あの女神”とはずいぶん違って見えた。
「して……女神様は、本日は何用で王都へ?」
『城の地下に幽閉されている転生者の男性に会いに来ました』
その言葉に、胸の奥が僅かに重くなる。
「……先代より聞き及んでおります」
あれはもう人ではなく、死なないのだと伝えられてきた。
「未曽有の災害が起きた際には、解放して戦わせるよう伝えられております。……近々、災害が起こるのでしょうか」
『いえ』
女神は首を横に振った。
『ただ、力になってもらいたくて来ました』
一度静かに目を閉じ、やがて小さく頷く。
「承知しました。案内の準備をいたしますので、少々お待ちください」
そう告げて、客間をあとにした。
◇
扉が閉まった途端、張っていた力が抜けた。
『ふぅ……』
サチの身体から意識を引き離す。
ふわりと浮くような感覚のあと、いつもの小さな身体へ戻った。
『終わりました』
「ちょっと身体が重いです……」
力の抜けたサチが、椅子の背にもたれかかる。
「大丈夫?」
キョウさんが顔を覗き込んだ。
『少し楽にしますね』
小さな手を向けると、柔らかな光が身体を包む。
サチがゆっくり肩を回す。
「……あ、楽になりました」
「身体貸してる間って、どんな感じなの?」
「んー……」
サチが考え込む。
「自分の身体が勝手に動いてるのを、目線のモニターで見てる感じ……かも」
「へぇ」
『すみません。思っていたより負担をかけてしまいました』
『今後はやらない方がいいかもしれません』
サチたちが用意されていたお菓子をつまみながら待っていると、再び扉が開いた。
「女神様。準備が整いました」
『では、行きましょうか』
ぬいぐるみから声を出すと、王様が一瞬だけ目を見開く。
けれど、すぐに何事もなかったような顔へ戻った。
何も聞かず、そのまま先に立って歩き始める。
◇
ミーナ様を腕に抱き、王様の後についていく。
案内されたのは、城の奥深くにある人気のない廊下だった。
その先には隠し扉があり、薄暗い石階段が地下へと続いている。
湿った空気の中、一歩下るごとに胸の奥が重くなっていく。
兵士たちの表情も固い。
そのうちの一人など、露骨に扉から距離を取っていた。
まるで、中にいる何かを恐れているようだった。
気づけば、腕に力が入っている。
隣を歩くキョウさんとの距離も、いつの間にか少し縮まっていた。
「……到着いたしました」
先頭を歩いていた王様が立ち止まる。
目の前には、幾重もの錠で閉ざされた分厚い鉄扉。
兵士たちが重々しく鍵を外していく。
鈍い音を立て、扉がゆっくりと開いた。
『案内ありがとうございます』
腕の中から静かな声がする。
『ここから先は、私たちだけで大丈夫です』
王様は無言で頷き、兵士たちを連れて階段の上へ戻っていった。
重い扉が閉まり、地下牢には静寂だけが残る。
ゆっくり奥へ進む。
暗闇の先に、“彼”はいた。
鎖につながれた男性は、こちらを見ようともしない。
痩せ細った身体に、骨と皮だけの腕。
無造作に伸びた黒髪と、虚ろな目。
呼吸だけが、かろうじて生を示している。
生きている。
それなのに、こちらへ反応する様子はなかった。
息を呑む。
隣で、キョウさんが小さく舌打ちした。
腕の中からは、しばらく何も聞こえなかった。
『……遅くなってしまいましたね』




