深淵の底へ、終わらない悪夢
幸いにして魔物の突進は直線的で、動きの予測はつけやすい。 危ないところは何度かあったが、そのたびにスレスレのところで横転したり、物陰に隠れたりを繰り返し、魔物の攻撃をすんでのところでかわしていく。一歩間違えば、散っていった人たちと同じ末路をたどる、危険な賭けだった。
(頼む、ナビラビ……! 早く穴の位置を教えてくれ!)
命がけで魔物の怒りを一身に引き受け、カイは崩れかけの危険地帯を駆け抜けていく――
「――データリンク完了したっピ!」
張り詰めた空気の中、ナビラビの頭上のツノが眩い光を放った。
「こっちだっピ、カイ! あと少しで一番深くてデカい大穴があるっピ! 」
「はぁ、はぁっ……!」
肺が焼き切れるような痛みに耐えながら、カイは急ブレーキを踏むように身体をひるがえした。その瞬間を狙って、ナビラビが宙へと飛び出す。
「お〜い、おバカなウシさんめ! こっちだっピ、マヌケな顔を引っ叩きに行くっピ!」
ナビラビは額から眩しいほどのホログラムを展開し、今度は強烈な赤い布の残像をまき散らしながら魔物の鼻先すれすれを旋回した。さらに、額のホログラムからパトカーのサイレン音を何重にも反響させながら大音量で鳴り響かせる。
「モオオオオオオッ!!」
怒り狂う雄牛の魔物は、視界の端にチラつく鮮烈な光と耳障りな電子音に本能を完全に乗っ取られた。カイを追っていたはずの血走った目が、一斉にナビラビの姿へと釘付けになる。
ナビラビはヒラリと華麗な身のこなしで宙を舞い、データリンクで割り出した「最も安全な足場」を縫うように駆け抜けながら、魔物を一直線に最深部の地盤沈下帯へと誘導していく。
「――そこだっピ!!」
ナビラビが急激に高度を上げ、ぽっかりと口を開けた巨大な陥没穴の直前で身を翻す。その先にあるのは、度重なる地盤沈下ですでに限界を迎えていた老朽化した太い水道管の継ぎ目――。全質量を乗せた猛烈な突進で、魔物がその足場を踏み抜いた。
『ゴキャッ――ン!!』
耐えきれなくなった地中の水道管が粉々に砕け散り、凄まじい水圧とともに数メートルの高さへと冷たい水柱が噴き上がる。濁った大量の水が容赦なく魔物の巨体を打ち据え、足元の土砂は一瞬にしてドロドロの泥濘へと変貌した。
「モオオオッ……!?」
急激な足場の悪化と、全身に浴びた氷のような水によってバランスを崩し、魔物は激しく体勢を乱す。
「今だ……っ!」
崩れかけの地表、ぽっかりと口を開けた底知れぬ巨大な穴。そこに重心を崩した魔物を誘い込み、自重と泥の滑りを利用して一気に突き落とす――計画はそこまで完璧だった。
しかし、運命は彼に味方しなかった。
泥濘の中で驚異的な踏ん張りを見せた魔物が、一瞬の足場の崩落を逆手に取って強引に踏み止まる。あともう一歩というすんでのところで穴への追い込みに失敗し、罠を免れた魔物は、ギラギラと血走った目を血祭りの標的へと切り替えた。 獲物を認めたその巨体が、怒りのままに牙を剥き出しにしてカイへとターゲットを完全にロックオンする。
「グルオオオオオッ!!」
怒り狂った魔物が全身の体重を乗せ、地表を抉るように暴れ狂ったその瞬間――悲鳴を上げるような轟音とともに、足元を走っていた地盤のヒビが凄まじい勢いで四方八方へと広がっていった。
「なっ……! うわっ、足場が――ッ!?」
崩壊は魔物の踏み止まった範囲にとどまらず、カイが立っていた地表までをも一気に飲み込んでいく。崩れ落ちる瓦礫の波にのまれ、カイは底知れぬ巨大な穴の底へと、魔物もろとも滑り落ちそうになった。
「くっ……!」
反射的に飛びついたコンクリートの縁に爪を立て、辛うじてしがみつく。だが、重力と疲労で指先の感覚が急速に失われ、必死に名前を叫ぶナビラビの声が、遠ざかる意識の中でみるみる小さくなっていく。
――これまでか。 冷たい絶望が脳裏をよぎり、死を覚悟したその瞬間。『ガガガガァァァンッ!!』
暗闇を引き裂く乱反射のヘッドライト。崩れかけた夜空を怒濤の勢いで切り裂き、一台の大型クレーン車が凄まじい爆音とともに急接近してきた。 その運転席で、死線をくぐり抜けてきた者の鬼気迫る表情を浮かべ、死に物狂いでハンドルを握り締めていたのは――ワタリだった。
「――そこだっ……!」
ワタリは操作レバーを叩きつけ、巨大なアームの先にあるワイヤーを弾丸のように射出する。吊るされた頑丈な鉄のフックは、まるでゲームセンターのクレーンアームの如く、崩落の淵で今まさに落下しかかっているカイの背中を完璧に捉えた。
「ぐっ……!」 すんでのところで宙へと引き揚げられ、クレーン車の巨大なフックにしっかりと掴み上げられるカイ。 その直後、足場を完全に失った巨大な魔物は、凄まじい地鳴りとともに、自らの巨体ごと暗黒の穴底へと真っ逆さまに堕ちていった――。
「ふう。俺様ってやっぱ天才だわ」
危機一髪で命を救われたカイは、クレーン車のガッシリとしたフックにつままれながら、安堵と感激に胸を震わせていた。一度は身を引いて逃げ出したはずの先輩が、最も絶望的な土壇場で戻ってきてくれたのだ。
「……ワタリさん! …あんた、一度は怖くなって逃げたはずじゃ……!」」 胸を熱くさせ、潤んだ目でワタリの乗る運転席を見上げるカイ。
それを横目に、ワタリは運転席の窓からひょっこりと顔を出してフッっと不敵に笑ってみせた。
「やっぱあれかなーって。人違いで巻き込まれたいたいけなガキを見捨てるのは、俺様の同義に反するっていうか?」
「嘘だっピ。前回、課長から『トンズラしたら今月の給料はなし&デコトラを問答無用でノーマル仕様に戻す』って鬼の形相で脅されてたの、思い出しただけだっピ」
「…………は?」
即座に入れられた訂正のツッコミに感動の余韻は一瞬で吹き飛び、カイは絶句して動きを止めた。
「ま〜ま〜!助かったんだし結果オーライだろ!細けぇことは気にすんなって!」
かっかっか!後ろ手で腕を組み豪快な笑い声をあげるワタリ。命を救われた感動と、あまりにも俗物すぎる理由のギャップに、カイは思わず天を仰ぎ、脱力感のため息を漏らすのだった。
「とりあえず、もう魔物の回収なんて不可能っピ……! 本部に状況を報告して、いったん撤収の許可をもらうっピ!」
地割れの底へ堕ちていった魔物を見下ろしながら、ナビラビが青ざめた顔でホログラム通信を試みようとした、その時――。




